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「韓日慰安婦交渉妥結」の化石政治

「韓日慰安婦交渉妥結」のやり方は今の時代には通用しない。「今のやり方」とは歴史に対しては歴史という学問的な決着だ。学問と政治は水と油のように性質が違う。性質が違うものを一緒にさせればすぐに分離が生まれる。だから当然「韓日慰安婦交渉妥結」は新たな問題を生んで何一つ解決していないことを双方の国民に認識させるだろう。

相手が問題を複雑にさせてくるなら「放置」するのが一番だが、政府は相変わらずマスコミの顔色を窺う真似をする。しかし、そのマスコミはもはや一部報道筋に過ぎない。また政府内に居る偽日本人もどきの働きかけもあったと思う。こういう闇の政治劇はもう終わらせないとダメだ。1本筋の通った論理でしか次の時代を迎えることはできない。もちろん政治の背景には力があるが、この力でも日本が韓国に頭を下げるほど弱くはない。突き放せるだけの力が今の日本にはある。

早急な解決を望んだのは米国だが、米国にも国民が居る。米国の指導層を睨むのか?あるいは米国民に眼を向けるのか?この姿勢で対応も変わってくる。米国の狙いは世界政府のようなものを作ろうという考えだが、その世界政府は民主主義的な政府かどうかだ。米国が企業国家の性格を持っているところから企業主義の世界政府になると考えたほうが妥当だろう。

そうすると米国の企業国家は企業が活動しやすい国家となるが、しかし企業を育成しているのは米国のロックフェラーなどの財閥である。米国は共和党でも民主党でも政府顧問はロックフェラー財団から派遣された人物がなっている。つまり本当の政府はロックフェラー財団などの選挙に関係のないひと握りの集団が米国を動かしている。このミニ版が韓国であって、韓国の財閥が新聞・テレビを握り反日で国民を煽る。国民をどのようにしてどれだけ操ることができるか?という実験国家が韓国なのだ。

韓国マスコミの反日工作はひと握りの財閥系国民と圧倒的多数の韓国国民の経済格差を国民の眼から逸らすための工作だ。日本にも同じことが行われているが、日本の場合はまだインターネットをそれらの連中に取られてはいない。ただ、危ない傾向は出ている。「危ない傾向」というのはグーグルやマイクロソフトのようなネット展開である。現在のところ利便性で歓迎できるが裏の刃も垣間見えている。グーグルやマイクロソフトが提供するネットインフラに依存しすぎてアカウント停止という処置を取られたら身動きができなくなってしまう。企業なら倒産さえしかねない。

世界の一体化を反対する理由はないが、世界政府の独裁という危険性には強い警戒心が要る。この独裁に向かう方向を断ち切るには報道による監視が絶対に必要なのだ。しかしマスコミ自体が敵側に居るのが現在の状況だ。韓国などはインターネットも登録制になって匿名性を失っている。登録制だと誰がどういうことを書いたかが企業経営者も含めた権力側に筒抜けになり、ブラックリストに載ってしまえばまともな就職もできず、また起業でも金融機関が相手にしない。

韓国の場合、カード社会で日本より先行しているが、結果、大多数の借金漬けが起きている。借金漬けになると人は奴隷状態で一生を終える。働いても働いても金利が高いので借金が少しも減らない。日本の場合、第一次安倍内閣のサラ金規制法案でこの状態が消滅した。この頃、橋下がサラ金規制に反対していたから筆者は橋下を信用していないのだ。逆に安倍を信用しているのは短い期間でサラ金規制法案を成立させたからである。これで打撃を受けたのは在日朝鮮人系である。サラ金業者の大手はほとんど在日朝鮮人で占められていたからだ。

インターネット社会は、というよりコンピューター社会は徹底的な論理で動く。アルファベットの大文字と小文字を間違えても「エラー」の表示が出る。「適当」は通用しない。システム運営はそういう厳格さがあるから宇宙にロケットを飛ばせる。人間はもちろん機械ではないから部品点検をやるようにはいかないが、しかし「許せる範囲」は厳としてできてくる。

こういう一種の管理社会では管理権限を誰が持つかで天国と地獄に分かれてしまう。天国にするには「民主主義」の貫徹しかない。民主主義の理念を骨肉で持った人物を権力の椅子に座らせないと大変なことが起きてしまうし、起きてしまえばもう手遅れなのだ。「独裁」に「期間限定」はない。独裁権を握ったその時点で警察も軍隊も手中にするためだ。そのときに気が付いて反対の声を上げても収容所送りか、最悪の場合、密殺されてしまう。歴史を観ればそういうことが世界各国で頻繁に起きている。

社会構造の下部で厳格な規律を要求されているのに、上部でいい加減なことが行われているとなれば統治システムに重大な欠陥がある。このいい加減な統治を許し、かつ加担してきたのがマスコミである。我々はまたマスコミも監視せねばならないという状況に置かれている。

最後は「選挙」と、しつこいほど言っておきたい。
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極小の泡の威力

「直径10億分の1mという、ナノサイズの泡に注目が集まっている。水揚げした魚をこの泡の入った水に10分間つければ、刺身の賞味期限がのびる。また、養殖魚や農作物の成長が促進。さらには環境に優しい洗浄水や、医療分野では細菌やウイルスの破壊に利用されるなど、応用が広がっている。秘密は気体の種類を自在に変えられること。国の試算では将来的に経済効果は10兆円以上という日本発の極小の泡。研究の最前線に迫る。」

http://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp515.html

「ウルトラファインバブルは10億分の1メートル」という言葉は知っていたが「サイエンスZERO」の映像を観ていくと超極小の泡の威力に驚く。やはり人は聞くより見るほうで説得されてしまう。この極小の泡は単純に洗浄するだけで細菌を殺し、細菌を殺しながらもただの水なので下水に流れ出ても環境異変を起こさない。経済的には「花王は大丈夫か?」という連想が働いてしまう。

花王などの洗剤会社だけではなく保冷装置を作る企業にも影響が出る。極小の泡がある水に魚を漬けるだけで鮮度が1週間ほど保たれる。実際には極小の泡に漬けた魚類を保冷装置でさらに長く鮮度を保たせるということになるだろうが、こうなると鮮度を維持させながら世界のどこにでも鮮魚類を運ぶことができる。この極小の泡を作る原理は単純なので装置も安くできるし、化学薬品を使わないから応用で問題が出てきにくい。

実際、スーパーでイオン水を自由に持ち帰らせている店があるが、このイオン水がウルトラファインバブル水に替わることは十分に予想できる。また農業や漁業での野菜や魚の育て方にも効果があるし、さらには医療での糖尿病での足の殺菌も映像で紹介していた。細菌の殺し方は泡による物理的な破壊なので薬品での耐性にも繋がらず、魚の養殖では海水に酸素が入り込んで極小のために浮上せず、それで魚の体内に酸素が入り込んで魚体の成長が早くなっている。

マグネシウム電池にしてもウルトラファインバブル水にしても思わぬところから社会を揺るがす発明や発見が出てくる。そして情報時代ではマスコミに頼らず口コミで世間に広がっていく。飛行機の発明は二宮忠八という人物がライト兄弟より先に原理を発見している。

「陸軍従軍中の1889年、「飛行器」を考案。その翌年には、ゴム動力による「模型飛行器」を製作。軍用として「飛行器」の実用化へ繋げる申請を軍へ二度行なうも理解されず、以後は独自に人間が乗れる実機の開発を目指したが、完成には至らなかった。

なお、「飛行器」とは忠八本人の命名による。また、忠八の死から18年後の1954年、英国王立航空協会は自国の展示場へ忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、彼のことを「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」と紹介している。」

こういうことは発見・発明史を読んでいくとけっこう日本には多い。いや、世界でもあるのだろうが情報の流通次第で世界の人間の目に留まらないことが多い。マスコミと名がついていても流れる情報は媒体が限られているためにわずかな情報しか世間に広まらない。情報は結局、「誰が注目し、記事にする」かで決まってしまう。そしてマスコミの報道に携わる人間は日本だけに限っても人口比では圧倒的に少ない。もちろん数が少ない利点もあって、それは情報の共有がしやすい点だ。この利点が悪用されると国民の洗脳工作に向かう。

インターネットでは「注目し、記事にする」人がマスコミ時代に比べて圧倒的に増える。爆発的に記事にする人が増えるために否応なく分類で整理することになるが、今度はその分類で情報が一部の人にとどまってしまうことが起きる。今度は特化を警戒せねばならない。

パソコン情報も同じでパソコンに詳しい人が集まっている掲示板では周知のことも一般では知らないことが多い。まだネット初期のことだが小さな、しかし重要なニュースを覚えていても一向に株の掲示板では話題にならないことがあった。この頃は水素による燃料電池のことだったが、「そんなものはいつになったら実用化できるかという類の話だ」と断ち切られた記憶がある。この「いつになったら」が情報化時代に入って眼の先にまで来ることになった。

マスコミによる情報寡占とネット時代の情報大衆化はまったく性質が違う。人の注意度は立場によってかなり変わるもので、ネットで記事を書く人がムチャクチャ多彩になると「なるほど、そういう重要性があったのか」と気づかされることが度々出てきた。同時にこういった重要性は専門領域を超えることが多い。先の「極小の泡」も領域を超えて利用され、あるいは研究されている。

また、思いもかけない発明や発見は社会の構造をも変えてしまう。マグネシウム電池のような発電機が洗剤のような箱で売られると「乾電池はどうなるのだ?」という事態を引き起こす。乾電池を作る工場が一夜にして廃工場になってしまう。それで経営者も従業員も仕事を失い、単純に「素晴らしい発明だ!」と喜んでばかりではいられなくなってしまう。が、そうかといって重大な発明を反故にしてしまうと社会の進展は止まり、国家競争で敗者になり、一部の損をかばって全体の損になってしまう。

結局は新しい発明・発見の報に接すれば各自、きちんと影響を考えた評価をし、次の自分の生き方を探らねばならない。否応なくそうしないと落伍してしまう。

また、実際に人はそうする。時間のばらつきはあっても結局は新しい発見や発明に人は対応し、新たな価値観を共有しだす。ゲームでも任天堂やソニーなどのゲーム機はカセットやCD売りだったが今ではどれもがネット対応型になっている。ネット対応でなければ客が離れて会社が倒産してしまうから正しく「否応なく」だ。

そういうことになるから「評価」は重要なのだ。むしろ発明。発見より「評価」する人のほうが重要かもしれない。二宮忠八など評価する人が出てこなかったから重要な発明が歴史の闇に消えてしまった。人は「体験主義」なのでその地域の民度水準で正当な評価を得られない。人はどうしても見かけに騙されてしまう。戦艦の威容を見ると飛行機などおもちゃに見えただろうが、そのおもちゃに見える飛行機に爆撃されて多くの戦艦が海の藻屑となった。人は見かけで錯覚してしまい、本質的な重要度を見誤る。

しかし重要なものの始まりはたいてい「おもちゃ」のような見かけがある。だから「おもちゃ」を侮るな、である。

アカウントから見るネットの移行期

「フェイスブック書き込み設定サービス4千円」というので掲示板が騒がしいが、しかし妥当かそれ以上に安いと思う。というのもこの手のサービス依頼に来る者はアカウント作成でゴチャゴチャとやって解決不可能な状態にしているためだ。これは自分の体験から判る。

現在、ひとつのアカウントで色々なサービスにシームレスで飛べるという状況に移行しているので、「ひとつのアカウント」設定が最重要になっている。ネットサービスも次の段階に入っているわけだが、問題は「移行期」による混乱で起きる。以前はそれぞれのサービスでは個別でアカウントを作っていた。そのために複数のアカウントを作ってしまい、しかもたいていは作ったサービスのアカウントを何年も放置したままにしているので認証番号も忘れたか、控えたメモを消失している。

これで新しいアカウント設定がはねつけられる。これも筆者の体験だ。

そもそも「アカウント」という正確な意味、言葉の意味ではなく実質としての意味だが、これはパソコン用語なので普通は知らない。この場合の「知らない」はその重要性だ。家電操作は簡単だが、その家電感覚でアカウントを「適当」に扱う。この「適当」さで泣く。

ネットで様々な記事を見るが、ネットの最重要さである「アカウント」問題を誰も書かない。政治・経済・社会などの評論を軽視するつもりはないが時代はインターネットなのである。インターネット・サービスを自由に使うためには「アカウント」は避けて通れない。しかし、おそらく記事を書く人は40歳前後を中心とした人々だろうからネットの認識が浅い。時代がインターネットに入っているとの自覚はあっても、インターネットがどのようなものかという認識が十分に理解できていない。

インターネット世界も実は匿名世界ではない。「アカウント」という戸籍を持ってインターネットの住民となる。戸籍のない者は実社会で相手にされないのと同じことがインターネットでも起きつつある。それだけ「アカウント」は重要なのだ。

当然、これは「マイ・ナンバー」制とやがて繋がってくる。個人の確定があってインターネットだけでなく実際の現実社会でも自分を認められる。要するにインターネットと現実社会の融合だが、これが始まりだした。

こういった移行期は筆者が高校1年生の時に体験した。旧戸籍を新戸籍に書き換える役所のアルバイトをしたためだ。区役所の倉庫に膨大な旧戸籍があり、それを随時、新戸籍に書き換えていくアルバイトだ。旧戸籍には「平民」とか「士族」とかの身分が書いてあったのを新戸籍で全部、取り除いていった。

「民主主義」の実践としての公務作業であるが、社会が変わるときはそういう作業がある。当然、移行期には旧戸籍と新戸籍が併存している。新戸籍に書き換えられていないときは旧戸籍を差し出され「ああ、俺んちは平民かぁ・・・親父の野郎、うちは侍だと言っていたくせに嘘ばっかり言いやがって・・」と嘆くことも出てくる。当時はおおざっぱだったので16歳の少年でも戸籍の秘密を覗けた。

移行期というのは新旧が併存するわけで、それが現在にも起きている。そして新戸籍に書き直しているのが「アカウント」の整理なのだが、このインターネットと現実社会の融合についてのイメージを具体的に持っている者は少ない。しかし、多くの人間が知らなくても現実にネットと実社会の融合は始まっている。筆者もネット・サービスを利用しようとしてその事実を知ったから偉そうなことは言えない。

そこで提案だが、「アカウントは戸籍や住民票と同じですよ!」と簡単明瞭に誰かが広める必要がある。問題は「簡単明瞭」が実はぜんぜん「簡単明瞭」な説明になっていないところだ。「簡単明瞭」であるためには図解による流れとその説明が要る。これを多くは文章でやろうとする。文章は「説明」に関しては非常に苦手な分野であるのに、文章の性格を知らない者が多すぎる。法律の文章を見れば一目瞭然なのにだ。

そういう意味でこの文章は手続きなどの説明ではなく注意喚起の文章だ。「なぜ注意しなければならないか?」を喚起するのは逆に図解では難しい。図解は決定事項だから図解でやれる。

移行期の混乱から避けるために「アカウント」は一度、旧アカウントのリセットをやったほうが簡単だし、解りやすい。現時点で新たにネット参入する人にはこの混乱はないが、以前からやっていた人は確実に混乱する。しかも愚かなことに同じ内容なのに名前を変えてくる。これでは混乱をさらに混乱させる。それをやるなら最初に「名称の変更」の一覧表を示すべきだ。役所の玄関に貼ってある見取り図を連想すればよい。こういう配慮に欠けるのが技術者だ。サービス仕事をやりながら「サービスとは何か?」を考えたこともない。

このインターネットの動向は大事なのでこれからも書いていく。

考えることの楽しさ

考えを深めていくと最初の考えの動機を忘れてしまうことが普通にある。筆者などその典型で話が横道に逸れるのは常態だ。こういう場合、たいてい補足のつもりで書き始めている。そして補足が補足を呼び込んで動機そのものがいつの間にか別のものに変わってしまっている。

こういうことは絵を描くときにはっきりと出てくる。空白の用紙を眺めて最初に浮かぶイメージは曖昧なもので、最初の線を引いて顔なら顔のイメージがかなり明確に浮かんでくる。顔のどの部分を最初に描くかはその人の癖だから「こう描かねばならない」というルールはない。この場合、似顔絵ならかなり具体的に指摘できる。

というのも30年間程どうしても想い出せない顔があった。他の似た人の顔と重なって記憶が邪魔される。その似た人の顔を消すため「鼻はどうだったかな?」と部分に集中し、線を引く。ちなみに筆者は似顔絵が得意だ。特徴を抜き出した絵を描ける。しかし、似顔絵は写真などの手本が眼の前にある。が、記憶からの再現には手本は記憶しかない。

空白の画面に鼻を描いてその鼻からの連想を待つ。「眉毛は薄かったはずだ」と次に眉毛の片方を描いてみる。「そうそう、この眉毛だ!」と突然、かなり明瞭なイメージが浮かんできだした。人の連想は侮れない。眉毛を描いているうちに眼も想い出している。急(せ)いた気持ちを抑えながら眼を描く。眼というのは顔のキーポイントだから、これが似ていると懐かしさが不意にこぼれだしてきた。30年間ぶりの再会だと言ってよい。

このとき初めて「絵を描ける技量があってよかった!」と自分に感動した。

出来上がった似顔絵は確かに昔の人の顔に似ている。しかし、似ているから逆に違いも見えてくる。この違いを修正し、ついにはブログにも上げられない絵が出来上がった。ブログに上げられないほど似てしまっている。知っている人ならすぐに「あの人だ!」と指摘できるほどに似ているからブログに上げられない。こうなると密かな自分の楽しみだ。

筆者は物事を考えていくにも絵を描く手法を採(と)る。

線というのは1本で決めるのがすごく難しい。だから日本画、特に美人画の浮世絵はその技量で尊敬する。パソコンでは簡単に描き直しができるが筆ではそれができない。油彩の場合はこの限りではないから、日本画との違いを考え方の違いとして受け止める。日本人は修練を尊び、西洋は描く目的を再現することに注力してくる。

修練があってさらにその修練の上に目的のイメージを再現できる画家は東西を問わず力量を認められる。浮世絵が西洋に渡って油彩に大きな影響を与えたのも、美的である以上に修練がその下にあったからだ。修練は、つまり指を自在に操るにはそれなりの努力という年月がかかっている。

しかし・・・西洋は西洋だ。目的を忘れない。目的に忠実であろうとする。写真の登場で西洋の油彩は写真の代替という機能を奪われ、新たな目的を作り出す必要が出てきた。この目的に「美術とは何か?」という論理がある。「美は多様である!」とピカソは考え、「独自な美を作り出そう!」と主張しだした。この端緒は浮世絵の衝撃だ。油彩の立体への追及に対して浮世絵は平面の完成形である。「これは絵画だよ」「そうだな・・・確かに優れた絵画だ」という認識の一致。

ここから「美」にはルールがないという考え方が共有され出してきた。また、実際、絵画以外の彫刻や焼き物、あるいは建造物と連想を働かせばその通りなのである。要するに「美の世界」を意識しだした。

芸事というのは「道」に通じ、「道」を深めるために「しきたり」という道筋を作っていく。この「しきたり」こそ修練なのであるが、しかし「道」に入る前の心情は「しきたり」とは違う。「美しい・・・」という、人に訴えかけてくる気持ちはかなり複合的な感情だ。料理などの味付けに通じる「調合の妙」と言い換えてもよい。「調合の妙」ほど曖昧な基準はないが、しかし確かに「調合の妙」という基準はある。

「人気」が侮れないのはこの「調合の妙」が好みの下にあるからだ。社会の程度で「調合の妙」はさらに高みに上がっていく。「やり過ぎてもダメ、やらなさ過ぎてもダメ」と言えば、多くのことにこれが通じる。

考えるというのは楽しい。

誰がアホなのか?

「米国の刑務所には、日本の自動車部品メーカーの幹部ら51人が収監されているのだ(2015年3月9日現在)。米国の独占禁止法に違反する「価格カルテル」で摘発され、有罪判決を受けた人々である。 

米司法省による日本の部品メーカー幹部の摘発がはじまったのは2010年頃から。記者が入手した資料によると、2011年9月に古川電機工業の社員3人が約10年間にわたってカルテルにかかわっていたとして2億ドルの罰金が課せられ、幹部3人が禁固刑に処された。

続いて矢崎総業に4億7000万ドルの罰金が課せられ、幹部6人が禁固刑に。他にもデンソー、日本精機、パナソニック、日立オートモティブシステムズ、三菱電機、三菱重工、東洋ゴム、ブリジストン、日立金属、日本ガイシなど計34社、51人に禁固刑が科された。

米国は他の先進国、資本主義国の中でも、自由競争を妨げるような行為に対する取り締まりが厳しい。ライバル企業間であっても、担当部署の人間同士が頻繁にあって情報交換したり、他社と調整しながら製品開発したりする日本の企業文化は米国には馴染まないのかもしれない。

だが、それだけで米国で有罪判決を受けた人間の大部分が日本人であり、日本企業であることの説明がつくだろうか。

こうした実態に疑問を投げかけた議員もいる。自民党の三原じゅんこ参議院議員だ。ことし3月16日の予算委員会で、宮澤洋一経産相(当時)にこう問うている。

<グローバル競争の中で闘う日本の企業戦士51名が、現在アメリカの刑務所に数珠つなぎにされております。具体的に申し上げると、我が国の自動車部品メーカー、これがアメリカの反トラスト法、この法律の下でカルテルを行ったというアメリカの司法省の摘発で30社51名にのぼる日本人社員が起訴または収監されているんです>」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46932?page=3

「米国は他の先進国、資本主義国の中でも、自由競争を妨げるような行為に対する取り締まりが厳しい」・・・この米国の考えは西部開拓での成功体験から来ているので米国の体質となっている。米国の銃の規制も「自由競争」→「自己責任」という考えで「銃はダメだ」と解っていても国民的合意とならない。逆に日本の場合は豊臣秀吉の「刀狩り」があった。これによって戦国時代を終わらせる方向に向かいだしたが、それでも戦国時代の気風が消えるのに要した年月は徳川吉宗の時代までかかっている。

社会というのは「体験主義」であって、だから各国の事情も各国の歴史と密接に絡んでいる。「資本主義」や「共産主義」のイデオロギーはこの「体験主義」を軽視するから机上の論となる。そして現在・・・インターネットという新たな体験が各国の体験の上に重なってきた。インターネットは世界の共通体験であって、世界を巻き込んだ第二次世界大戦と同じ体験だ。

第二次世界大戦終焉で植民地の争奪戦でもあった戦国時代は列強間で終わったとも言える。この背景には冷戦という膠着状態での経済競争の戦いが進行し、経済競争が別な形での戦争になっていた。ただ経済戦争は血を流さない。いや、敗者が存在しない戦争とも言える。経済競争に参加すると否応なく生活資材が負けた国でも多く出回るからだ。

この経済戦争という共通体験で軍事的戦争の不毛さを先進国の国民は気が付き、世界の市場一体化に向かい始める。軍事で占領しなくとも経済で占領できることが解ってきた。しかも経済で占領すると占領された国民は喜ぶのだ。経済拡大で窮乏から抜け出すのが経済占領だから当然でもあるし、事実、日本も米国の経済占領で敗戦後の苦境から脱した。こういう体験があるから米国を憎む日本国民は少ない。

戦国時代から太平の時代に移っていくと戦国時代がどれほど悲惨であったかを国民は共通認識として持つ。ただ、これも規模で様相が異なり、最悪なのは小規模での乱戦だ。小規模の乱戦はギャング同士の抗争と同じものでお互いに相手から奪うことだけを考え、生産の確立ができない。このために餓死者が続出してしまう。

このギャング・夜盗の抗争から戦国大名の中規模の抗争に進展していくと、領地ができるので領地経営が始まって生産も動き出す。そして領地経営が優れた戦国大名は経済力が軍事力を強化させるので弱小の戦国大名を吸収してさらに大きくなっていく。これも成功体験のひとつである。この成功体験が教えるのは「領地経営の重要さ」だ。だから戦国時代に次の時代を用意する様々な発明や仕組みが案出された。日本の場合は紙の生産である。

戦国時代、戦国大名の多くが紙の量産を図っているが、紙は情報の媒体となるので紙の流通が多くなればなるほど情報の流通も多くなるわけで、これによって意思の統一がやりやすくなった。戦争であれば図面で作戦を立てることができ、立てた作戦での指令が末端の武将まで細密に行き渡る。この紙の量産技術で日本は世界一にあったが、これが明治維新後の産業革命に乗れた最大の理由でもあった。なにしろ国民の識字率が70%を超えてやはり世界最高であったのだ。この識字率の高さがなければ「笛を吹けど誰も踊らず」という状態になってしまう。

こういうことを考えるとネットのインフラは「紙」や「寺小屋」に該当することに気が付く。誰もが、家庭だけではなく情報端末が個人所有にまで行き届いて次の時代、つまり情報革命の波にその社会は乗ることができる。幕末の侍は筆と紙を常備し、どの侍も絵が上手であると日本に来た外国人を驚かせている。「筆」「紙」「絵」となればまさに現在のインターネットではないか?

日本には情報による成功話が数多くある。そのために江戸時代でも百姓・町人から武士に至るまで情報を欲しがった。これは日本という国の個性であり、その情報好きはインターネット時代でも衰えることがない。インターネットでの使用言語で日本語は英語に次いでいるのだ。しかも英語は世界での流通だが日本語はほとんど日本国内での流通である。どれだけ日本国内で情報のやり取りが行われているか想像するに余りある。

この膨大な日本語流通があるために日本語を覚えていれば世界を俯瞰できるのだ。技術や世界市場情報から巷の与太話まで、全部、日本語で読めることができる。しかも外国語翻訳機器も需要があるために一時は多くの店に置かれていた。この事実認識があると「英語を全社員に覚えさせる!」という間抜けな経営者も出てこないはずだ。さらにはネットでは言語から動画に主軸が移っている。

現在本当に必要なのは英語を覚えることより世界を俯瞰して考えることだ。考えることこそ実益につながっている。また考えるためのインフラが日本には整っている。この事実を認識できないとなればアホとしか言いようがない。

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44 123.2 長野県
45 124.8 滋賀県
46 126.2 香川県
47 132.8 鹿児島県
http://gogo.gs/rank/ave.html
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こういうランキングは実に訴求力があり、実際、筆者の住んでいる高知の高止まりしていたガソリン価格が大きく下げた。
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ガソリン激安競争、公取委が2社に警告 一時80円台
愛知県常滑市のガソリンスタンド(GS)2店が原価割れでガソリンを売り続けた問題で、公正取引委員会は24日、独占禁止法(不当廉売)に違反する恐れがあるとして、外資系量販店を運営するコストコホールセールジャパン(川崎市)と、石油販売会社バロン・パーク(愛知県半田市)に警告した。

公取委中部事務所によると、安売り競争は11月18日に「コストコ中部空港倉庫店」のGSが開店したことから始まった。近くでバロン・パークが運営する「ユニーオイル常滑りんくうSS」とともに10日間、レギュラーガソリンを仕入れ値より安く販売。会員価格で1リットル当たりコストコは87円、ユニーは85円台に下げ、120円程度で売っている周辺のGSの営業を困難にさせたという。

 同事務所は「安売りは悪くないが、採算度外視で販売する業者が出てくると公正な競争を阻害する。値下げで意地のぶつかり合いが続くと周辺のGSは太刀打ちできない」とする。

 両店はその後に値上げして今月11日に107~108円だったが、24日には101~102円で6円安くなり、付近の商業施設への買い物客らが利用していた。同事務所は「一時に比べ改善している」としている。

http://www.asahi.com/articles/ASHDS5H5ZHDSOIPE021.html

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これは公取委が消費者か業者かのどちらに顔を向けているかが明確に判る記事だ。公取委の業者側に立つ姿勢で賃金も下げたままになっていた。コストコは時間給をも大幅に上げて周辺業者の時間給アップに繋がっている。この介入こそ行政の反国民的体質の典型でもある。コストコは経営戦略に基づいて価格を決め、賃金を決めている。ここには業者間のもたれあいなど眼中にない。

そもそも「もたれあい」に経済合理主義があるのか?ということだ。

市場は計画経済とは反対の需給の論理で動く。需要を伸ばすために商品価格を下げれば価格下げに比例して市場は広がる。この論理が大量生産・大量消費の論理だ。この論理によって工業化を成し遂げた国は大きく経済を拡張した。

一方、計画経済・統制経済は価格を決めているために商品の質が落ちても値段を変える必要がなく、結果、商品は劣悪に向かっていく。当然であって、値段が同じなら質を落としたほうが儲かるからだ。この性格のために世界がグローバル化したとき計画経済・統制経済は自由経済に太刀打ちできず自由経済に転換していった。転換しない国は旧共産圏がそうであったように国力もどん底に向かって下がっていく。

これは歴史的に実証済みなのだ。

昆虫でも環境変化に適応できなければ種として消滅するが、これは企業でも国家でも同じである。「市場主義」は経済論ではなく生物の自然淘汰論なのである。太陽が東から上がるという宇宙的原則だ。この原則を認めて、その上で社会という大きな視点で市場を見なければならない。

だから公取委は業者間の申し合わせより、「あなた達はどういう経営展望を持っているのか?」と問うのが筋だ。ここには時間給の底止まりという事実認識もある。業者間の談合で値段を高止まりさせ、一方で同じ談合で時間給も下げ止まりをさせていれば経営など誰がやっても儲かる。しかし、こんな楽なことをやっていれば時代から間違いなく取り残されてしまう。

市場はアホを生かしておくほど甘くはない。だから懸命に考え実行していかねばならない。こんなことは日本全体の多くの零細も含めた企業がやっていることだ。この事実認識が「権力」をバックにした行政には理解できないのだ。しかし、その権力は国民が政治家を通して与えているものだ。主権が国民にあるのが日本だと義務教育で教えられていたはずではないか?

どうも戦後の試験教育で育ったバカが「需給」という市場経済の理解も足りないのに巷で偉そうに評論している。市場は自然淘汰をするために各自、分析して有利になる行動を見つけていく「場」であり、優勝劣敗が働く。この認識があれば太平洋戦争での敗戦もなかった。ベクトルの方向を示すのが市場だから、ベクトル、矢印の方向に逆らうなということだ。

ともあれ、情報時代になって「楽な商売」はますます難しくなっていくのは確実だ。役人は社会の進歩・発展を妨げるなと苦情を言っておく。

オンリーワンによるシステム社会

総務省では、本年1月より「ICT成長戦略推進会議」を開催し、昨年7月に公表した『ICT成長戦略』の着実な推進を図るとともに、新たな戦略(ICT成長戦略II)に関する検討を行ってきました。

 また、昨年12月より「ICT国際競争力強化・国際展開に関する懇談会」(座長:岡 素之 住友商事株式会社相談役)を開催し、我が国のICT国際競争力の強化及び国際展開に関する方策等に関する検討を進め、今般、同懇談会において、最終報告書となる『ICT国際競争力強化・国際展開イニシアティブ』がとりまとめられました。

 総務省では、『ICT成長戦略』の第二弾となる上記『ICT成長戦略II』を国内戦略、そして上記懇談会の最終報告書である『ICT国際競争力強化・国際展開イニシアティブ』を国際戦略と位置づけ、今般、両戦略から構成される『スマート・ジャパンICT戦略』を添付資料のとおり公表いたします。

http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/02tsushin01_03000264.html

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アサヒ飲料では、以前から自動販売機を災害時におけるライフラインであると考え、飲料水の提供以外の社会貢献を進めてきた。今回新たに飲料用自動販売機に大容量発電が可能なマグネシウム空気電池を併設することで、約72時間にわたり非常時に飲料を提供し続けることを実現する他、生活に必要な最低限の電力を供給し、ライフラインを確保するというものだ。2016年1月から、福島県内の学校や病院といった避難場所を中心に100台を設置予定で、2017年以降も福島県以外の被災県指定避難所への設置も検討する。

発電容量については、巽中央経營研究所が産業技術総合研究所の技術サポートを得て、大電力化のためのシステムを開発。従来の10倍の電流量にあたる12アンペア、72時間連続使用を実現し、今までの電池で稼働しなかったテレビやPC、複数の通信機器を同時に稼働させることが可能になったという。

 利用時は手動でスイッチにより発電を開始。アサヒ飲料では今回マグネシウム空気電池を採用した理由として「大容量で72時間の連続使用が可能である他、資源が豊富で再生可能である点などがある」としている。また、飲料自販機の流通ルートを使って交換用電池の輸送・交換・回収・メンテナンスが容易に行える他、量産体制が完成すれば自動販売機への実装コストも比較的低いとしている。

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「スマート・ジャパン」サイトは総務省の広報サイトみたいなものだと解ったので、マグネシウム電池も官民一体となったエネルギーシステム再構築のひとつと観ていいだろう。

マスコミの左翼ごっこはいいかげん卒業して、新たな日本社会展望を描かないと読者や視聴者にアホ扱いされるぞ。「新たな日本社会展望」は技術主導の社会だ。この技術主導を観るには世間の大中小に関係なく企業の動きを取材することに尽きる。仲間との雑談で「日本の過疎は消えたらしいな」という話が出て、その根拠をシステム化思考としている。

過疎で一番問題になるのは食料品や雑貨などの日用品を買える店がないことであったが、これがインターネット利用で解消に向かいだした。今まで商品選びから商品の受け取りまで企業単位の動きであったが、現在は個別企業が連携してネットワークシステムになりつつある。ディスプレを観て商品の選択をし、発注し、受け取り日時の指定と、これは従来どおりの通信販売だがネットワークシステムで最適化がどんどんと進んでいる。

今すでにあるものをインターネットでネットワーク化し、システムとして作り変える動きだ。システム化とは実際には個人も業者もパソコンの前に座りキーボードを叩くことで要件を済ませることであり、これによって無駄な動きがなくなって大幅な時間の節約ができる。無駄な動きによるコストが節約できるだけでなく、余った時間を自分の好きなように使えることの方が利益は大きい。

このネットワーク化したシステム社会は現在進行形なのである。現実がマスコミ報道より先に行っている。いや、マスコミも路地裏取材で企業をテレビなどで紹介しているのだが、この取材から浮き出てくる事態が見えていない。企業は競争だけでなく提携もやる。従来は企業競争だけに眼をやって「提携」に関心、いや悪い意味での「談合」として捉えていたために社会のシステム化に頭が及ばないでいた。

社会のシステム化とは個人も企業も自分の役割を認識することでもあるが、自分の役割の認識とは「自分探し」のことでもある。誰もが「オンリーワン」を目指して社会システムが成立する。「オンリーワン」がインターネットによって結び付けられシステムの中に組み込まれていく。

インターネットは社会のシステム化を促すインフラなのだ。不便さを解消する技術情報や仕組みがネットに流れ、その情報を自分の不便解消に向けて取り込んでいく。こういう動きを自発的に誰もがやりだしている。だから次々と新しい仕組みや新しい技術がパソコンのディスプレで観ることができる。

政治家もこの例外ではない。政治のプロとしての力量はオンリーワンの能力があってこそ成り立つ。政治ごっこをやっている場合ではないのだ。もう、どのような社会になるのかが確定してしまっている。システム化した社会が現実に進行しているのだから社会での自分の役割を自覚しない政治家は不要なのだ。これはそのまま「政党」にも言える。「政党の役割とは何か?」を自問いしない政党は害ばかりだから無用だ。

筆者は初めスクラップ&ビルドの考えで社会を考えていたため、過疎化した村落は消滅するだろうと観ていた。しかし現実はもっとはるかに実際的な解決方法を提示してきた。「過疎もまた価値がある」なら「過疎」は使える地域なのである。その「価値」を見出すのがインターネットでディスプレを見ている無数の人々だ。あとは過疎を社会に連結させるだけの話であって、この連結こそ「技術社会」でもある。技術が過疎を解消させてしまう。

再びマグネシウム電池

中国でマグネシウム電池量産へ 来夏に工場完成

2015年12月18日 19時15分

 日本で開発が進み、次世代のエネルギー源として注目されるマグネシウム電池の製造工場が来年、中国に建設される見通しとなった。開発に取り組む矢部孝・東京工業大名誉教授が18日、共同通信に対し明らかにした。

 矢部氏らは11月、上海に近い江蘇省啓東市にマグネシウム電池生産のための会社「啓東市金美新能源有限公司」を設立。来年夏、同市に工場を完成させ、スマートフォンの充電や小型無人機「ドローン」に使う電池の大量生産を始めるという。

 今月12日、国営の電気自動車(EV)メーカー「中合華浦智能汽車有限公司」(北京市)など2社と中型EV用電池を試作する契約を結んだ。
(共同)

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マグネシウム電池を以前このブログか旧「欠片(かけら)」で取り上げたが続報が出てこないのどうなっているのかと思っていた。そうすると上の記事を見つけ、この関連からマグネシウム電池記事が次々と出てきたので、下に列挙してみる。

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超小型の2人乗り電気自動車を開発する岐阜県のベンチャー企業が斬新なプロトタイプを完成させた。バッテリーにリチウム電池を搭載するのに加えて、水を入れて発電するマグネシウム電池を使うと1カ月間の連続走行が可能になる。車体の前面が開閉して乗り降りするユニークな構造にも注目だ。
[石田雅也,スマートジャパン]

開発したのは岐阜県のベンチャー企業「STYLE-D」で、2016年の市販を目指している。pianaは外観もユニークだが、それ以上に注目すべきはマグネシウム電池を電源に使える点だ。マグネシウム電池は水を入れるだけで発電できる簡便な電源で、マグネシウムが塩水に溶けやすい性質を利用する。使い捨て方式のため、非常用の電源に使われることが多い。

pianaに搭載するマグネシウム電池の発電量は現時点では公表していないが、1カ月分に相当する800時間の走行が可能になる見込みだ。主力電源のバッテリーにはリチウム電池を搭載して、2つの電池でハイブリッドの構成をとることができる。マグネシウム電池はオプションで販売する。

 リチウム電池の容量は7.2kWhで、超小型のpianaに搭載すると1回の充電(3時間)で最長120キロメートルまで走る能力がある。充電量が少なくなっても、マグネシウム電池で発電して走り続けることができる。電気自動車の課題である「バッテリー切れ」を防ぐ対策になる。

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凸版印刷は、「第6回 高機能フィルム展」(2015年4月8~10日、東京ビッグサイト)において、古河電池と共同開発した非常用マグネシウム空気電池「MgBOX(マグボックス)」を展示した。

 マグボックスは、金属マグネシウムに水を加えることで発電する1次電池だ。災害時をはじめとする非常用の電力源として開発された。マグボックス内にある4つの電池セルに、それぞれ500mlの水を注入するだけで300Whの電力を発電する。マグボックスの電力は、専用のUSBボックスを介して、電圧5V/電流1.2Aの電力が2個のUSBインタフェースから出力される。

この300Whという容量は、単一形のアルカリマンガン電池32本分と同じで、スマートフォンであれば最大30台分を満充電にできるという。発電時間は5日間だ。2014年12月から販売されている。

軽量化で大きな役割を果たしたのが、凸版印刷の「紙製複合容器技術」だ。マグボックスは紙製容器を用いているので、水を入れない状態であれば1.6kgと軽量だ(注水後は2l(リットル)の水が入るので3.6kgになる)。同じ容量となる単一形のアルカリマンガン電池32本分の重量が4.5kgなので、約3分の1になる。

 マグボックスに使われているのは単なる紙箱ではない。注入した水と金属マグネシウムが反応して生成される電解液を外部に漏らさないよう、内部にバリアフィルムがラミネートされている。「マグボックスの紙箱は、お菓子の箱などと同じラインで製造されている一般的なものだが、このバリアフィルムとラミネート技術が差異化の要になっている」(凸版印刷の説明員)という。

長期保管については、水を入れない限り発電しないので、いつでも新品同様の発電性能が得られる。保証期間としては、最長10年、推奨5年としているが、原理的にはそれ以上の期間が経過しても発電は可能だ。

          以上抜粋 スマート ジャパン
http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1504/10/news024_2.html

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スマート ジャパンのサイトは記事リンクで出会ったのだが、マグネシウム電池関連記事が集まっていた。

ビデオ電話で同年齢3人が雑談しているのは何度も書いているが、それぞれ背景や趣味も違うので教えられることも多々ある。ただ、エネルギー関係では電力会社の将来は暗いと意見が一致している。燃料電池が進展していくとそうなってしまう。燃料電池は発電装置だ。マグネシウム電池も電池と名がついているが、これも発電装置。つまり発電させて電気が発生するから発電させなければ漏電も起きない。

この発電装置が家庭や工場、あるいは車に入り込めば送電線は不要になる。それは電力会社の電気も要らないということだ。また電気がエネルギー源の主力となるとたいていのことは電気でケリがついてしまう。冷蔵庫や洗濯機、パソコン等々、生活を見渡せばほとんどが電気によっているが、ここに電気自動車、あるいは電気補助自転車となると、ほぼ電気だけでの生活となってしまう。しかもこの電気は自分で発電するのである。そうすると電力会社は誰に電機を売るのか?という疑問が出てくる。

マグネシウム電池の凄いところは漏電のない電池をストックできる点だ。これで一挙にバッテリーの壁を乗り越えてしまった。バッテリーはあくまで漏電のある電池なのだ。しかもやたらと重い。一方、マグネシウム電池の重量は市販の乾電池の3割少しの重さである。電池の寿命が三倍、重さは三分の一となると後は価格だけが問題になる。その価格もマグネシウムは無尽蔵に海からとれる資源であるから大量生産体制が整えば劇的に安くなる。

燃料電池は社会を変えると言われてきたが、どうやらその実現は目前に迫っているわけで、あとは政治と行政の「妨害」が大きな懸念になってくる。これは十分に監視する必要がある。

ネットがリアル社会を支配するとき

「お手軽」というのは軽視されやすいが、しかし人間の行為を考えると非常に重要な事項で、「非常にお手軽」「普通にお手軽」「やや、お手軽」「難解」「非常に難解」と5段階の例を考えると、人の動作は「非常にお手軽」から順番にアクションを起こして、最後の「非常に難解」となれば特殊な専門家しか関心を持たなくなる。

また「お手軽」あるいは「難解」も字面(じづら)の判断とは違う。丁寧語を使っていても主語・述語の関係が守られていないと何を言おうとしているのかさっぱり理解できない。こんな小学生でも解るようなことが機械による翻訳ではできないし、機械翻訳だけでなく専門的な説明でも結構な比率で見受けられる。

これを書いたのは、マイクロソフトやグーグルでも恐ろしいほどに説明が稚拙なためだ。「難解」を通り越して「稚拙」なのである。

日本のサービスは世界一と評価されるようになっているが、「何故、世界一になっているか?」を分析するのはインターネット上で独自の占有を勝ち取るために必須である。同時に日本人のサービスは日本社会の土台で成立しているから、つまり日本人の慣習を基にして生まれているから他の国で日本型サービスを取り込むには自分の国の社会的価値観を変えねばならない。これは「言うは易く・・・」の類だ。

「情報」というのは水先案内人の役割を持っている。その情報を得ることによって向こうが想像できる。逆に言えば「想像できない情報」は無価値に等しい。

インターネットは情報の世界でもあるから「向こうを想像できる情報、つまり言葉や映像」でなければならない。これは問題の答えを解く作業ではなく、表現の作業だ。実際、コンピュータープログラムは0と1の機械語を人間に理解させるためのプログラム言語が次々と出てきた。そしてプログラムが膨大になってくると人間の理解能力を超えてしまうためにプログラムを分割するようになる。これによってバグの発見は簡単になり、発見が早いと修正も簡単になって、全体としてのプログラムの信頼性も上がってきた。

さて、インターネット。

インターネットの現在までの展開を観ると仮想空間上で世界をひとつにしていく動きが見えてくる。これは産業革命に乗った国と乗れなかった国で先進国と後進国に分離していく過程と同じものだ。先進国は後進国を無視して先進国同士で争った。これを帝国主義と呼んでもいいが、どういう呼び方であろうと分類がふたつに分かれると同じ分類の中でしか相手を認めない。土俵が違うから視野に入れても仕方がないし、後進国が見えても後で開拓するジャングルくらいにしか思わない。

そして現在、先進国に該当するのはインターネット世界であって、後進国に該当するのはリアル世界だ。この認識がないと将来の世界を見誤ってしまう。先進国の技術や考え方は必ず後進国に波及してくる。波及しなければその国は未開のまま見捨てられた国になるだけだ。

ネット世界は事実上世界をひとつにする動きであって、そのネット技術は人種や民族を超えて「人間」という共通項に焦点を絞って開発している。「人間」という共通項に絞っているからどの民族もネットのインフラやツールを利用できる。

社会が誰も気がつかないうちに世界社会になってしまったのだ。

ここでリアル社会の価値観を持ち出してくるとややこしくなってしまう。領主が支配する封建主義視点で産業革命以降の世界を判断するのと同じことになってしまう。

ネットも人が集まらなければただの虚空だと前に書いたが、虚空に人を集めると「場」ができる。人々がその「場」にやってくるのは「情報」を求めてであって、その情報はリアル社会に応用すると有利になるから、あるいは危険を逃れるからやってくる。そして情報空間が出来上がっていくが、これは電話の普及と同じだ。電話を持つ人が多ければ多いほど電話の利便性は増すという理屈。情報のやり取りが数と比例して増えていくためだ。

次にネットに入るには資格が必要ではないということ。誰でも思いついたら即座にネットの世界に入ることができる。先進国に入るためにパスポートを申請する必要がないのだ。これによって住んでいる国に関係なく、どの人種もどの民族も、とりあえずはネット世界の住民になれるのでネット世界は限度も知らずに膨れ上がっていく。

もちろん国によってはネットに入る壁がある。しかし、先進国はそんな事情など一切考慮しない。ネットという世界で厳しい競争があるから、市場を見込んだ連中しか関心がない。

これを考えると楽天やソフトバンクなどの野球球団を買収する行為など資金の無駄使いもいいところだ。ネットの将来が見えていない。資金はネットの枝を増やしたり伸ばしたりするところに使わないと、たちまち気がつけば落伍していたということになってしまう。

ネットの現在は世界を視野に入れてマイクロソフトやアップル、グーグルがインフラ作りによって世界市場を分割しようとしているのだ。そのために次々とサービスを増やしてきている。そして落ち着いてきたら必ずリアル社会を支配下に置こうとする。支配下に置けば恒常的に利益を確保できる。実に植民地争奪戦と同じではないか?

ここで「製造技術を確保していれば簡単には植民地にはならない」と寝ぼけたことを口にする連中も出てくるだろう。しかし、企業は買収できるし、製造会社もネット世界のインフラに依存していく。このネットインフラを遮断されるとどうなるか?

情報革命は産業革命と同じ革命だ。産業革命を実行した国は工業社会となって日用品から兵器まで商品や製品を飛躍的に増大させ、この増大が結果として国力をも高める。同時に産業革命は封建主義の価値観をも変えていく。封建主義の考え方では産業を発展させることができないためだ。情報社会はこの下地の上に新たな価値観を生み出し、その価値観で今度は産業革命以降の価値観を変えていく。

結局、情報社会になると価値観も変わるしかない。ではどのように変わっていくのか?

この変貌をこのブログは試行錯誤しながら考えている最中だ。旧ブログから考え始めて3年になる。「石の上に3年」だから、さすがに輪郭は見え出してきた。

自分の感覚を信じる

日本地図や世界地図に、日本の場合は各県、世界では各国をボタンにしてのニュースサイトは使いやすいし、言語を画像に代替すれば基本形になるような気がする。

このニュースサイトも様々な需要があるから、趣味を中心にしたニュースサイト、スポーツを中心にしたニュースサイト、政治を中心にしたニュースサイト等々、ほぼ無限とも言えるほどニュースサイトにする対象はある。要するにニュースサイトと「まとめ」を一緒にしたような体裁。

政治や社会を論じる前に、インターネットという仮想空間をどのように使っていくかを提案するのが先決と筆者は考える。ま・・・必要に駆られてグーグルを調べ直した結果の考えではあるが、グーグルそのものを映画にした昔の作品もあるので、要所的な場面を静止画にしてこのブログに近日中には掲示したい。

というのも筆者の判断では「楽天」などの通販ビジネスはグーグルやマイクロソフト、アップルの多面的な展開の中で飲み込まれて消えてしまうのではないかという危惧があるからだ。つまりイオンができて近在の商店街がシャッターを下ろす光景を連想すれば足りる。

このシャッターを下ろした商店街を復活させるには最初に書いたニュースサイトの展開しかない。グローバルには徹底的なローカルで戦うというゲリラ戦術である。これもコンビニストアを連想すれば「どういうローカルか?」の形が浮かんでくる。また地方新聞が生き残るにはこの「徹底したローカル」記事でしか新規読者を呼べないのだ。

当然であって、ローカル記事以外は全部ネット上で読めるし、しかも種類が多い。新聞というのは「経営」ではなく「記者」によって成り立っている。この基本的な原則が再び顔を出してくる。その「記者」が所在する地域で取材すればオンリーワンの価値が出る。地方新聞が総合新聞化すれば地方新聞の価値がなくなってしまうのだ。これが情報時代である。

現在の未開拓地域は路地裏まで覗く毛細情報だ。

かって海外情報がムチャクチャ少ないとき、ロイターなどの記事より海外に住んでいる人のホームページを筆者は回遊した。このとき日本人はどこにでも居るのだなぁ・・と痛感もしたが、多くはその国の生活事情を綴っているので、例えば「ギリシャの公園はガラスが散乱しているので子供を公園で遊ばせるのは危険なんです」という愚痴も読むことになる。

こういう日常生活の記述はその国のリアルな状態を伝えるものであるから海外ニュースを補完する。記事から光景に連想が働く。文章を書く作業をしていれば言葉で全体を描くことが非常に難しいと思うに至るが、しかし動画や写真などの画像だと写せばいいだけなので簡単だ。そして「こんな国にも日本人が居るのか?」というような国名も知らない処に住んでいる人は苦労して写真も載せる。「苦労している」のはネット環境が劣悪なためである。

そうこうして世界の各国に住んでいる人のホームページを覗いているうちに、この比較で日本がどういう国かが判ってくる。

ネットはリニューアルの頻度が高い世界なのでサイト作りも幹線に合わして変えていく必要がある。この場合の「幹線」とはグーグルやアップル、マイクロソフトの展開を指す。彼らが幹線、つまりインフラを作っているのでそれを利用しない手はない。そして新しい展開になったと見えたとき、適応していなければ考えを変える。考えを変えると周りがとたんに古ぼかくしく見えてくる。

そして、その感覚は正しい。
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