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AKBINGO!!

ちーむ8001

ちーむ8002

ちーむ8003


AKBINGO!
ジャンル バラエティ番組
放送国 日本
制作局 日本テレビ
企画 秋元康(企画協力)
演出 藤井良記、藤原耕治、小俣猛
プロデューサー 井原亮子、齋藤匠、村上早苗
毛利忍(コンテンツP)
中村博行(統括P)
伊東修(CP)
出演者 AKB48
バッドボーイズ
音声 ステレオ放送
オープニング 「会いたかった」
外部リンク AKBINGO!(日本テレビ)
2008年10月から2012年3月まで
放送時間 木曜0:29 - 0:59(水曜深夜)(30分)
放送期間 2008年10月2日 - 2012年3月29日(180回)
2012年4月から2013年3月まで
放送時間 木曜0:59 - 1:29(水曜深夜)(30分)
放送期間 2012年4月5日 - 2013年3月28日(51回)
2013年4月から
放送時間 水曜0:59 - 1:29(火曜深夜)(30分)
放送期間 2013年4月3日 -

「AKBINGO!」はAKB番組の中では断トツにAKB人気を支えてきた。AKBメンバーの超多数を相手に一人一人の個性をちゃんと抜き出している番組は「AKBINGO!」しかない。これは考えてみるとけっこう凄い。クイズ番組形式でもリレー形式で言葉や絵をメンバー間に流して答えを出させているわけだが、一人当たりの時間が超短いのでメンバーの性格がもろに出て来る。運動会形式もドッジボールなどでは罰ゲームに展開と、流れに工夫がある。

この「AKBINGO!」を番組作りの基準とすると、他の一般バラエティ番組がいかに工夫が足りないか痛感させる。「AKBINGO!」の面白さはメンバーの個性とセットになった面白さなので見終えた後に足跡を残したメンバーの顔が浮かぶ。こういう番組での司会は司会役が友達感覚でなければならず、その意味でバッドボーイズは適役だ。司会が出すぎてはダメなのだ。

アイドル番組ではモーニング娘やおにゃんこなどでパターンは確かにある。しかし番組の面白さを重点的に置くのと、メンバーの個性を出すというのではカメラの狙うところが違ってくる。メンバーの個性を出しながら面白く見せるという演出は相当に論理力が要るわけで、これはアクションと心理の区別を明確に認識していないとどっちつかずのダメダメ演出になりやすい。

メンバーの心理を面白く見せるという点では「乃木坂ってどこ?」のバナナマンが巧くやっている。しかし「AKBINGO!」はその「心理の面白さ」に「アクションの面白さ」を加えている点で1日の長がある。さらには「誰が一番歌や踊りが巧いか?」という特集もやる。特に「ダンス」は初めての試みでAKBグループ戦は新しいAKBの側面を見せた。

この「ダンス」の巧さを競い合う試みにはけっこう重い課題を突き付けるものがあり、最初に登場したHKTだけが学芸会になっているという結果を生んだ。ダンス対抗戦をHKT側は甘く考えていたのか、あるいはそれだけの力量でしかなかったのかが問われてしまう結果だ。それほどにSKEもNMBもAKBも、さらには新チームのチーム8もプロのダンスを見せた。また新潟とAKB二人によるバレーとダンスの融合は目新しく、AKBグループの可能性を見せる新企画だ。

底辺が広がると必然的に頂上の技量も高くなるわけで、それも伝統的な訓練とは違った巧さが現れてくる。こういったAKBの新たな展開を一番予感させる番組が「AKBINGO!」なので、今更ながらではあるが取り上げた。特にアイドル板の掲示板があまりにも幼稚かつ悪意に満ちた書き込みが増えているので、正当な評価を誰かが書かねばならない。

今回は動画を静止画で抜き出しただけなので番組の概略も出せないが、動画をブログで紹介するのはけっこう難しい。というのも動画の場合、アドレス先が消えてしまうことが普通なのでリンク設定が無意味になってしまうからだ。が、一般サイトでも動画コンテンツは普通になってくるから、動画制作について初歩的な誤りを犯さないためにも優れた番組は紹介する必要がある。

動画は音声と映像がある総合的なコンテンツだ。性格として1方向に流れていくためにどうしても単調になりやすく、この単調な動画が何本もあるとすぐに飽きてくる。「AKBINGO!」ですら飽きてくる企画をやる。しかも登場するメンバーはバラエティ的に素人と同然なので、素人考えで「面白さ」を自分で作ると目も当てられない惨状を生んでしまう。

一般的に「面白い」と感じる番組は実は「すごく面白い!」なのである。それだけ「面白い」物を作るのは難しい。作った本人が「ちょっと面白い」と思ったものは第三者的に全く面白くないのが普通だ。というのも「面白さ」が全体の中で一部分だけだとそれ以外は退屈ということであり、全部を見終えた後に残る印象は「退屈」になってしまうからだ。だから物語の構成には「起承転結」が必要になってくる。「起承転結」をきちんと計算していればほどほどの面白さを確保でき、「起承転結」の計算がでたらめだと最悪の話になってしまう。

この「起承転結」で優れているのが「しくじり先生」だからこのブログでも取り上げた。「しくじり先生」の場合は「教科書」を軸にしているのが素晴らしい。「教科書」という設計図を「先生」役の登場人物が関わっているから、自分が何を訴えようとしているかを「先生」役の人物は熟知している。だから教科書通りに進行するだけで番組は面白い。面白くない場合は「教科書」の中身が面白くないためだ。

「AKBINGO!」が凄いのは教科書がないのに、しかも素人同然のメンバーに番組進行の肉付けをやらせて面白くさせているところだ。この面白さを生み出すのは内輪番組という性格もあるのだが、外部の人間にまで面白く感じさせるためには小道具を必要とする。この小道具にグループ対抗という設定もあるわけだが、設定が浅いといたたまれない雰囲気を作ってしまう。一般人が作る寒気のする番組のほとんどはこの設定が浅いためである。逆に素人コンテンツでも意表を突くようなアイデアの作品があるが、これは傑作になりやすい。しかし・・・後が続かない。

ちなみに静止画の最後の場面は「前田敦子の声にそっくり!」と指原が驚嘆したチーム8のメンバーだ。このメンバーの性格が見える場面があったのでそれを抜き出した。
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話を膨らます能力

山田と朝長
山田と朝長02
山田と朝長02a

山田と朝長03
AKBグループの中に「チーム8」という特殊な集団がある。このチーム8の活動を調べるにはAKBサイトよりトヨタサイトから調べるのが手っ取り早い。

http://toyota-team8.jp/links/index.php

一般的に企業サイトは優等生的サイト作りを目指すために人の心をつかむのは下手だ。筆者がチーム8に興味を持ったのは、AKBINGOという番組でのゲテモノ料理でセミを食べねばならなくなった少女の表情を見てからだ。チーム8は各県のテレビ局主催で一人をAKBに送り込んできたチームなので名前に県名が付帯している。セミを食べさせられたられた少女は「栃木県→本田仁美」と出てきた。

しかしリンク先のバナーの多さを見るとこれだけでAKBの全貌が解るように思える。同時にこのAKBの全貌はディズニーランドの迷路に迷い込むようなAKB世界を彷徨う迷路であって、バナーの向こうの世界はひとつひとつの性格が違っている。「なるほど・・・仮想空間でもディズニーランドのような夢の国は作れるのだ」、これは発見だと思えた。

サイト的には「ヘブライの館 2」総合案内所が筆者の知るところでは一番優れていると思っているが、

http://hexagon.inri.client.jp/floorA0F/_floorA0F.html

これは優れた著作の評価であって、著作が集まった例えば司馬遼太郎ワールドのような世界はサイト単独ではできない。

バナーの集合ページというのはネット初期に良く見られたデザインだが、バナーの向こうに何があるか?を期待させる度合いではネット初期と現在ではまるで違う。筆者はAKB関連の番組をよく観ているが、チーム8がこのような活動をしていると知ったのはトヨタリンクでのチーム8バナーをクリックしてからだ。バナーをクリックするとリンク繋がりでトヨタはもちろん、AKBとも違ったチーム8の世界が広がっていくが、冒頭で「チーム8はAKBの中でも特殊なチーム」と述べたのはこのような世界をチーム8は持っているからだ。

しかし大分での展開も含めてAKBの動画がネット上で無数にあるのには驚く。AKB運営自体、この状況を把握しているとは思えない。把握していればもっと壮大なAKBワールドを俯瞰できるサイトを作っているはずだ。繰り返すがネット上でディズニーランドのような「夢の世界」を作ることが可能なのである。「夢の世界」が「夢の世界」であり得るには仕掛けをふんだんに用意していなければならない。仕掛けがなければ見本市や展示会みたいなもので「面白さ」とは関係がない。

冒頭の最初の画像は「さしきた合戦」という新潟にできたAKBグループを紹介するための番組である。指原が山田の顔を「面白い顔!」と言って「実は・・・」とNGTメンバーの誰かが「山田はHKTの朝長に似ている」と膨らましてきた。

http://akb48gnittimatome.com/article/post-1187.html

朝長は上の写真集紹介サイトから判るようにHKTの看板メンバーだ。一方、NGTの山田は「山田って誰?」状態のメンバーだから「似ている」こと自体が話題になってしまう。実際、筆者も一緒に山田と朝長が並んで「あ・・・似てる」と気が付いた。似てるだけで面白いのは色々な特集としての定番だが、「さしきた合戦」で北原がメンバーを把握していないのが気になった。眼がメンバーに向いていない。「面白い顔!」と指原に言わせるのではなく「面白い顔なんですゥ~」と北原が言えばNGTの他のメンバーの声をもっと引き出せたはずだ。

面白さを見つけるのも才能か?とも思う。NGTに「観察好きです」と言った茶髪のメンバーが居たが、これも触るともっと面白くなったはずである。乃木坂の番組ではこの膨らまし方が巧い。日常生活で「へぇ~」と思える話は面白いが、この面白さはテレビ番組でも通用する面白さなのだ。

サイトのリンクでも話を膨らませるリンクなら「面白い」リンクだ。こういった「面白さ」の仕掛けを用意して「その世界での滞在時間」を長くさせると視聴者は習慣化されてしまう。帰宅してすぐに「その世界」をクリックするようになる。AKBは劇場が出発点だが、本当に広がったのはネットにAKBの世界があったからだ。ネットの拡大とAKBの拡大は比例していた。この土壌の上でAKBのビジネスモデルが次々と生まれてくる。ま・・多くは瓢箪から駒のビジネスモデルだが、この偶然をビジネスとして膨らますことができたのはAKB運営の実力だ。

すでに始まったネットワーク社会

壮大な計画=当方もない巨額の資金・・・ということではない。第一に構想というのは無料なのだ。頭の中の世界なので一銭もかからない。インターネットが無料情報であふれるのも資材などの支出がなく、自分の人件費を支出と勘定してもスポーツなどの趣味的要素が大きいので人件費として普通は考えない。誰もカネを出さなくても面白いから情報や知識をネットに流す。

こういうことは絵や音楽、漫画や小説、あるいは草野球、サッカーなどをやっている人に「儲かりもしないのによくやっていますね?」と問えばいい。そもそも人の生活でのビジネスはやりたいことのためにやむを得ずやっているという側面がある。この辺りの論議は別な機会で述べるとして・・・。

NHKの特番によれば東日本大震災復興予算は26兆円ということになっているが、この超巨額の予算はどういう積み上げで出てきたのかさっぱり解らない。が、これも今は掘り下げない。日本の青写真を考えるのが先だ。青写真を考えていくうちに結果として物差しができてくるから、この物差しで現在行われている行政の是非を問うことができる。

現在、日本社会は新たなネットワーク社会を構築中である。政治・行政に関係なくコンピューターの利用の仕方で結果としてネットワークを構築しだした。コンピューターのデーター管理機能と通信回線の進展で一番最初にやれるのはネットワークの構築だからだ。今、こう言い切れるのは社会のいたるところでネットワークが進んでいるからだが、当初、自分達が何をしているのが十分に理解しないままデーターを管理したり、そのデーターを通信回線で他と結び付けたりしていた。行政では年金管理のでたらめさが問題になったが、これも「データー管理」という認識が行政に欠如していたためである。コンピューター導入以前にも役所はデーター管理をやっていたのに「データー管理」という認識がなかった。

データー管理と通信回線を顕著に結び付けたのがスーパーなどのチェーンストアであり、この延長でコンビニエンスストアの現在がある。

『最終更新 2015/11/29
2015年10月度 主要10社国内コンビニ店舗数 53,182店舗(前年同月比+1,706店舗)
2015年02月末のローソンの国内店舗数の数値を追加

では、1983年から2015年(10月まで)の店舗数推移を見てみます』

『グラフを見ると、1990年代に急激に店舗数が増加しているのが見てとれます。しかし、2000年代になってからは横ばいの状態がしばらく続きましたが、2000年代後半から再び増え始め2010年代になって増加速度が増しています。2014年04月末には、5万0173店舗と大台の5万店舗を突破。"コンビニは既に飽和"と叫ばれ続けていますが、全国のコンビニの8割以上を占める主要3社を中心に、今後どこまで増えていくのか大変気になる所です。 』

http://frequ2156.blog.fc2.com/blog-entry-106.html

コンビニの現況は上のサイトが解りやすいので詳細はこのサイトに譲るとして、ネットワーク社会とコンビニの動向を重ね合わせると将来の日本社会を読みやすい。民間も行政も間違いなくネットワーク社会に向かって動いているので「ネットワーク」という社会構図を直視する必要がある。同時に、これこそ「壮大な」日本社会の構想でもある。何も巨大なピラミッドを作るだけが「壮大」なものではない。しかも「ネットワーク社会」という構想は誰かが号令するわけでもなく勝手に実現していく構想でもある。単純に誰もが「ネットワーク社会」と認識すればいいだけなのだ。

「ネットワーク」という指針、あるいは物差しができると、個人も企業も行政も政治も「自分達のやっていることが日本社会のネットワークの何に位置しているのか?」という自問が始まる。この自問によって日本は再び「坂の上の雲」を目指すようになる。

東日本大震災復興の青写真も「日本のネットワーク化」という視点から考えれば現在とかなり違った足取りを見せたはずなのである。以前、富士通サイトの生活インフラ列島地図を取り上げたことがあったが、これはグーグルビューよりも優れた地図だ。ちなみに再度、そのサイトアドレスを載せる。

http://evacva.net/

このデーター地図によって日本の現況が解るから、この現況をさらにどのように変えていくか?が政治であり、その政治を生み出す有権者住民である。ここで考えておくべきは「日本はどこにでも自由に住むことができる」国ということだ。この認識が必要なのは人の往来をより活発にさせるためであって、この認識がなければ土地に縛り付けられた発想しか出てこない。沖縄の問題も「土地」に頭が縛り付けられているために生まれている。沖縄が住みにくいのなら沖縄から出て行っても一向に問題ではない。もちろん、文化や伝統と言った問題もあるが、それは個人的な嗜好に過ぎない。沖縄に執着したいならそれでよし、ということになる。ただし、個人的な嗜好はあくまで嗜好であって社会問題とするものではない。

終戦直後、日本は職を求めて人口の大移動があった。その子供達や孫などが東京人になったり、大阪人になったりしている。土地は「絶対」ではない。

こういうことを書くのもネットワーク社会は適地適所による人口の移動が想定されるからで、産業でも条件がそろっていないのにある土地にしがみつけばその産業は競争劣位で存続さえ容易でなくなる。企業での資産には金額に換算しやすい設備や不動産もあるが、一方で技術や技能、長年の営業で築き上げた信用、その信用を基にした得意先などの無形資産などがある。地方も同じだ。地方の特殊性で資産になる特殊性、逆に資産にならない特殊性があり、資産にならない特殊性はどんどんと削っていくべきなのである。

「人間はそんなに簡単に割り切れるものではない!」と怒られそうだが、人が快適さを求める動物であるのは事実だ。単純に移動は未知の世界に飛び込むのと同じだから不安や怖さがあるだけの話で、終戦直後の人口大移動も不安や怖さ以上に生活が追い込まれたから都市に向かって人々は動き出した。

現在は終戦直後よりはるかに情報が豊富であり、また移動先の状況も最低限は保証されている。むしろ問題になるのは「最低限の中身」だ。日本社会の偏りを軽減するには人口の移動が必要であり、人口の移動をたやすくする政策が必要になる。ここで改めて「適材適所」という言葉を出したい。現在、一般的に「適材適所」という言葉は仕事で多く使われるようになっているが、正しく仕事での「適材適所」も人口移動の中に含まれる。「自分の目的に沿った仕事選びの自由」がそれで、「仕事選びの自由」を実現させるためにセーフティネットの充実を筆者は前から言い続けている。

ちょっと疲れてきたから今回はこれで止める。

インターネットで観る「あらゆること」

『米国、英国、オーストラリア、カナダ、スペイン、イタリア、フランス、ドイツ - - 平均人口と比較して、最後の20年間に貧しくなっており、ガーディアンによってアクセスされる新しいデータはシングルトンが8豊かな国に29に25歳のことが明らかになりましたアタッチされていない若年成人は自分で設定するには難しく、これまで以上にそれを見つけています。

分析はまた、膨張後、自分で住む25〜29歳の人は8先進国のうち5で20〜30年前に今それらの等価物よりも実質ベースで以下税引き後の収入を持っていることを明らかにした:米国、カナダ、フランス、ドイツスペイン。

これらの国では、だけでなく、自分で生きる人たちは、コストがより面倒住んで見つけるか - 彼らはパートナーやフラットの同居人でそれらを分割するのではなく、自分で家賃や請求書の支払いを試みるように - しかし、新しいデータによると、彼らはあまり稼ぎますよく。

米国では20代後半でソロ住人のために、2010年は最悪の年でした。 その時だけでは、単一の25〜29歳の生活のための税引後の平均所得は全国平均よりも9%低い$ 27757でした。 インフレ調整後1979年に同等の図は、$2万9638ました。

エリックKlinenberg、ソロ行くの作者:臨時台頭と独居の意外なアピールは、よりゆっくりと、それは劇的な上昇があった1950年代と1980年代の間にしたよりもかかわらず、一人で生きている人々の数が増加したと述べました。』

http://www.theguardian.com/world/2016/mar/08/young-single-people-bear-the-brunt-of-generation-ys-economic-woes

以上はグーグルの翻訳ツールで機械翻訳したもの。機械的な翻訳なので読みにくいが大まかなことは解る。ま・・これが連続したら読む意欲は無くなってしまうが(苦笑)。無念ではあるが筆者はやたらとグーグルに依存している。だからこそ日本企業のみみっちさを情けなく思うし、腹も立ってくる。しかし、それ以上にむかつくのは日本の政治・行政だ。

民間企業は税金に依存しているわけではないので経営は自己責任だが、政治・行政はそのものずばりで税金に100%依存している。その税金で無駄な使い方をされると無駄に使った分だけ国民の所得が減る。所得が減っても公共性があるなら必要経費として容認できるが、公共性がなければ強奪されているに等しくなる。強奪なら誰だって怒る。

『日本人の6人に1人が「貧困層」

貧困率は、低所得者の割合を示す指標。厚生労働省が2014年7月にまとめた「国民生活基礎調査」によると、等価可処分所得(※1)の中央値の半分の額に当たる「貧困線」(2012年は122万円)に満たない世帯の割合を示す「相対的貧困率」(※2)は16.1%だった。これらの世帯で暮らす18歳未満の子どもを対象にした「子どもの貧困率」も16.3%となり、ともに過去最悪を更新した。

これは、日本人の約6人に1人が相対的な貧困層に分類されることを意味する。この調査で生活意識が「苦しい」とした世帯は59.9%だった。貧困率が過去最悪を更新したのは、長引くデフレ経済下で子育て世帯の所得が減少したことや、母子世帯が増加する中で働く母親の多くが給与水準の低い非正規雇用であることも影響した、と分析されている。』

http://www.nippon.com/ja/features/h00072/

江戸時代を調べていくと身分制での弊害、その過酷さは十分に理解できるが、一方でもっと悲惨な乱世がその前にあった。乱世の悲惨さは飢餓の蔓延であり、この飢餓地獄から抜け出すには国家統一しかないと乱世の過程で人々は漠然とながら気がついていく。秩序がなければ盗賊が横行してまともに農作業もできない。黒澤監督の「七人の侍」はこの状況を描いたものだが、ともあれ、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という流れで日本は統一国家となった。

政治を考えるとき、こういった流れを見落とせば適切な政策、誤った政策の判断ができなくなってしまう。ある政策には前の状況がある。この「前の状況」の分析がどれほどできているかで「ある政策」の適否が決まってくる。

徳川幕府を改めて見直すと米国のような連邦型政府であることに気が付くが、連邦型政府の特色は内政重視にある。当然であって米国では「州」、日本では「藩」の存在が中央政府に圧力をかけてくるためだ。これは欧州連合(EU)でも同じで、だから欧州連合も基本的に内政重視の政治をやる。

この内政重視の連邦型政治が植民地争奪の帝国主義の時代に入って中央集権型政治に代っていくわけだが、中央集権型政治になるのは「戦争」が政治の重要問題になってくるためだ。外国と戦わねばならないから「内政重視」どころではない。負ければ植民地となって「内政」など消滅してしまう。だから中央集権政治は軍事国家体制に向かっていく。明治政府が中央集権体制を作って全国民を徴兵したのは西欧列強と対峙するためだ。

そして日清戦争→日露戦争→日中戦争→日米戦争と続き、日本の戦争の時代は終わる。新たに中国がこの過程を歩みだして日本の先行きは不透明になっているが、ともあれ世界は冷戦構造を終えて経済戦争の時代に入った。「経済戦争」と砲火を交える従来の戦争は質的に違う。その違いは従来の戦争が「破壊」であり、経済の戦争が「創造」であるという正反対の性格として指摘できる。

実際、「冷戦」は懐に短刀を忍ばせてはいるもののやっていたことは「経済戦争」だったのであり、共産圏市場と自由圏市場との対立であった。国連の場でもお互いに「共産圏は豊かであり、資本主義圏は貧乏人を大量に生み出している!」と喧伝し、資本主義圏では「共産主義圏は物資不足が常態化した哀れな連中だ!」とやりあっていたのである。

この「どちらが豊かになるか?」という競争で共産圏市場は敗北した。世界支配のポジション争いも実態は生産力の競争であったということだが、この実態があるために世界は「経済」に意識が収斂していく。理念よりも現実に物資の豊かさで人々は勝敗を決めていったということだ。貧乏な生活をしているロシア人が豊かな生活をしている東ドイツに「何で貧乏な我々が豊かな東ドイツを援助しなければならないのだ?」とゴルバチョフが怒ったという逸話が流れている。

『話はもどって、ソ連もアメリカも軍事予算の拡大で経済的にピンチとなっていったんです。そして、1985年からソ連とアメリカは首脳会談を再開し共に兵器などを削減しない?と話し合いを始めます。この時の双方のトップはレーガンとゴルバチョフです。1989年にはゴルバチョフとブッシュ(アメリカでは大統領が変わっていた)が冷戦の終結を宣言しました。

 これでめでたしめでたしとはならず、ソ連では経済破綻を何とかしようとゴルバチョフが全般的な改革(ペレストロイカ)を打ち出していたんですが、これが失敗してしまいます。

 もはや、限界にきていたんですね。共産党一党独裁とか、社会主義計画経済とか・・・。』

http://www12.plala.or.jp/rekisi/soren-houkai.html

世界には国家という主権が国家数だけあるので、国家という部分だけ見ていると全体の大きな流れを見失ってしまう。政治は支配権の争いだが経済は需要の取り込みでの争いだ。同時に政治は大局的には国民の意思を反映するので「国民が何を望んでいるか?」という潮流を無視できない。

この「潮流」を認識させようとしてきたのがマスコミであったが、インターネットという、さらにマスコミをも飲み込んでしまう巨大なメディアの登場で世界の状況は混沌としてきた。そうなると否応なく「インターネット」というものを分析し、分析しながら利用していくしかない。

実際、「インターネット」の分析は簡単ではないが、分析することによって色々なことが見えてくるのも確かだ。この分析は一つの分野ではとても収まり切れない世界でもある。

壮大な計画は成功しやすい

「壮大な計画は成功しやすい」と書けば多くの人は「バカを言え!」と脊髄反射的に否定する。脊髄反射の否定だから反対の理由が貧弱だ。しかし実際の動きを見ると零細商店ばかりの街に巨大なショッピングモールが出現すれば、それまでの小さな商圏がいっきに大きな商圏を作って巨大なショッピングモールは成功する。これは簡単な理屈で「必要だけの買い物」が「イベントとしての買い物」に変貌してしまうからだ。イベントであれば遠い地域の住民まで呼び来させるからそうなる。

それでは商業以外の他の業種でもより巨大な、例えば巨大病院を作れば成功するのではないか?と連想するが、その通りで実際に成功する。巨大病院なら「行ってみたい!」という妙な気持ちが働くから、大して重病でもないのに電車や飛行機を使ってその巨大病院群に人は向かう。

これは都市の発展と同じもので人を集める核ができると、核に関連した必要性が次々と生まれて集積がさらに集積を生むという拡大循環を生むからだ。ハリウッドもかっては砂漠だったのである。

『1903年、当時農村だったハリウッドは市制を施行するが、1910年にロサンゼルス市と合併した。20世紀のはじめのこの頃、映画の中心地はニューヨーク(ニュージャージー州フォート・リー)とシカゴであった。

特許をめぐる争いが発端となり、当時の大手映画製作者や映画関連機器製造業者、一般製造業者らを含め9社がそれぞれの特許を持ち寄って管理するモーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニーを1908年に設立した。これに参加しない映画関連業者にはカンパニーから高額の特許料が請求された。参加が認められなかった中小の制作者らは一斉にこれに反発。特許料を払わずに買えるヨーロッパ製の機器やフィルムを使って撮影を続行した。

カンパニー側は探偵を雇って違反者を片端から摘発したため、独立系の制作者はカンパニーの目のとどかぬ土地に出かけて映画を制作した。中でもロサンゼルス一帯は気候もよく、映画の撮影には理想的で、クリエイターが集まり始めた。また、この地はメキシコに近く、カンパニー側の追っ手がやってくることを察知して国境を越えて逃げることができた。なお、カンパニーは1912年に反トラスト法違反であると指摘され、1915年には連邦裁判所で反トラスト法違反であるとされた。カンパニーは1917年には消滅し、これに前後してカンパニー参加業者らも次々にハリウッドに拠点を移した。』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89

『しかしロサンゼルスが飛躍的に発展したのは20世紀に入ってからであり、様々な要因がある。1つ目は19世紀末の油田発見による石油化学工業の発達、2つ目は大戦中に急伸した航空機産業の発達、そして3つ目はハリウッドに代表される映画産業の発達が大きい。そして自動車交通の発展である。ロサンゼルス都市圏は非常に広域であるため、交通手段にマイカーは欠かせない。そのため、他の都市よりいち早くフリーウェイ(高速道路)を整備し、10本以上の幹線が市街を網羅している。一方、市街交通手段として発達していたパシフィック電鉄などの路面電車は、1930年代から1960年代に次々と撤去され、世界的に例のないほどの自動車交通偏重の都市となった。そのため、1980年代は大気汚染が深刻であったが、今日ではかなり改善されてきている。

こうして、市街地は急速に発展していった。しかし、一方で飲料水、工業用水の確保が急務となった。そこで1913年にシエラネバダ山脈の東部を流れるオーエンズ川と市を結ぶ水路を建設、1936年には豊富な水量を持つコロラド川から水を供給し、この問題は解決された。』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%82%B9

壮大な計画は「風」を作る、あるいは「風」を呼び起こす。これによってどの事業も追い風を受ける形になり、本来なら1の力が2倍にも3倍にも膨らんでいく。しかし、こういう理屈は解っていても壮大な計画はミクロな利権欲のために挫折しやすい。

『1973年10月1日に制定され翌1974年3月1日に施行された、「消費者の利益の保護に配慮しつつ、大規模小売店舗の事業活動を調整することにより、その周辺の中小小売業者の事業活動の機会を適正に保護し、小売業の正常な発展を図ることを目的」とした法律。

百貨店、量販店などといった大型店の出店に際してこの法律に基づき「大規模小売店舗審議会」(大店審)が審査を行う(いわゆる「出店調整」)仕組みを定めている。この法律で調整できるのは開店日、店舗面積、閉店時刻、休業日数の4項目(いわゆる調整4項目)に限られるがとくに問題とされ紛争となったのは、「店舗面積」である。

対象となる大型店には2つの区分が設けられた。

第一種大規模小売店:店舗面積3,000m2[2]以上(特別区・指定都市は6,000m2[3]以上)
第二種大規模小売店:店舗面積500m2以上

この店舗面積規制を逃れるために、各地でロードサイド等に500m2未満の店舗面積で進出する例が見られた。地方公共団体の中には大店法の調整対象とならない500m2未満の進出を規制する「上乗せ規制」を行うところも出てきて、これもまた問題となった。』
『この法律を改正し、さらに廃止に追い込んだのは日本国内の大手流通業界ではなく、日本市場の開放を求めるアメリカ合衆国連邦政府の「外圧」であった。

日米の貿易格差を縮小する目的で行われた日米構造協議において1990年2月にアメリカ合衆国が「大規模小売店舗法(大店法)は非関税障壁で、地方自治体の上乗せ規制条例を含めて撤廃すべきだ」と要求し、この問題が協議の焦点のひとつとなった。当時、設立されたばかりの日米合弁会社である日本トイザらスが国内第1号店として新潟市への出店を計画していたが、大型店の出店に反対する地元商店街の意向を受けた事実上の大型店出店凍結により進出の見通しが全く立たないままであった。

4月に入ると、アメリカ合衆国は「法律があろうとなかろうと、アメリカ合衆国の企業が日本で店を開くことができるようになるのであれば、構わないという見方もある」と柔軟な態度を示した。この結果、4月に発表された日米構造協議の中間報告で「現行大店法の枠組みの中で法律上実施可能な最大限の措置である下記の運用適正化措置を実施する」として出店調整処理期間の短縮や出店調整手続き・機関の明確化・透明化、地方公共団体の独自規制の抑制が合意された。合意を受け、翌1991年に行われた大規模小売店舗法の改正でこれまで商工会議所(商工会)に置かれて大型店の出店を扱っていた商業活動調整協議会(商調協)が廃止されることとなった。これ以降、大店法の運用は大幅に緩和され、各地で大規模なショッピングセンターの進出が進むこととなる。』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A6%8F%E6%A8%A1%E5%B0%8F%E5%A3%B2%E5%BA%97%E8%88%97%E6%B3%95

「総論賛成、各論反対」という現象は商業以外にも色々なところで見受けられるものだが、時間の経過によって結局は総論通りの方向に動いていく。各論は細かな利害を背景にした主張であるが、総論はそのものずばりの理屈だ。「総論賛成」には利害がない。利害がないから共通認識になりやすく、この共通認識が風となっていく。いったん風となってしまえば風を背中に受けたほうが前に進むのに有利になり、これによって逆風となった「各論」は個別的につぶされていく。

以上のことを書いたのはインターネットという情報世界ができると「総論」が広まりやすいためだ。そして「総論」が共通認識となると「風」となってしまう。だからインターネットが現実となった現在、壮大なプランを実行しやすい環境ができているのだ。グーグルなどは世界政府を作るような勢いである。世界政府を作るという発想でネット上に様々なツールを開放して、そのツールに依存させることでグーグルの支配権を強化していこうとしている。単独の企業が国家以上のことをやろうとしている。

「壮大さ」に対抗するには「壮大さ」しかない。これを疑う者は歴史をじっくりと眺めてみることだ。

インターネットという情報世界

『インターネット上においては特定の集中した責任主体は存在しない。全体を1つの組織・ネットワークとして管理するのではなく、接続している組織が各ネットワークを管理する建前となっている。事実上の管理主体(ICANN、IETFなど)はあるにしても、それは接続している組織・ネットワークの総意として委任されていると言う建前になっている(国際的に中立的とされ、また一部は国際機関による管理もある)。それはインターネット・プロトコルの開発においても同様であり、RFC(Request for Comments)に具体化される。ただし、ICANNは非営利団体ながらも米商務省の傘下にあり、国際問題となっている。

インターネット接続が難しかった時代には、UUCPによる研究機関・大学や一部の企業などの間でのメール・ネットニュースの交換が多く見られた。専用線が高価だったための苦肉の策であった。その後、接続コストの低下に加え、World Wide Web(WWW)の流行、さらにパソコン向けOSのインターネット接続対応により、一般的ユーザへも爆発的な普及を見るに至った。 情報の伝達速度が飛躍的に向上したため、物理的な距離と関係なく様々なコミュニティが形成され活動を行うようになった。

商用のインターネット利用についてはまだ歴史が浅く、20世紀末期の概ね1980年代後半に入ってからである。1990年代末期までは、個人向け接続サービスの大半は低速なダイヤルアップ接続で、従量制の課金が多くみられた。定額のブロードバンド接続サービスが低価格で提供され、爆発的に普及しはじめたのは2000年になってからであった。同時期に携帯電話でもインターネットへの接続サービスが提供されるようになり、携帯電話でのインターネット接続も一般化する。しかし、セキュリティに関する仕組みが現行のインターネットのプロトコルに組み込まれていないために、コンピュータウイルスの感染や不正アクセスなどの問題が後を絶たず、アプリケーションレベルで様々な対策が行われている。最近ではセキュアなネットワークを目指した新しい仕組みを作る動きも見られる。』

『インターネット・プロトコル(IP)は、インターネット上の通信に用いられる基本プロトコル(ネットワーク層(レイヤー))であり、その上にトランスポート(転送)層、さらにその上にアプリケーション層のプロトコルを組み合わせて用いる。転送プロトコルにはTCPやUDPなどがあり、アプリケーション・プロトコルにはWWWで用いられる HTTP、ネットニュースに用いられる NNTP、チャット(IRC)、ファイル転送(FTP)、ストリーミングなどさまざまな利用方法に伴うプロトコルが存在する。これらのプロトコルの定義の多くは RFC として公開されている。

インターネット・プロトコルは狭義のインターネット(The Internet)だけに使われるプロトコルではない。例えばインターネット・プロトコルや周辺技術を、企業内等のローカル・エリア・ネットワーク(LAN)環境で応用したものはイントラネットと呼ばれる。また、イントラネットを相互接続したものはエクストラネットと呼ばれる。』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88

技術用語満載で頭の痛くなるインターネット解説だが、新しいものの出現ではどうしてもそうなってしまう。パソコン雑誌の初期でも解らないまま読み続けてようやく文章の内容がほんの少しだけ解ってきた。自動車でも同じ事で、初めに専門世界があり、需要が拡大していくと専門世界が一般化されていく。需要が拡大しなければ専門世界だけの閉鎖社会のままだ。

テレビ電話について書く前にその背景を多少は知っておくべきだろうとウィキペディアから引用した。またテレビ電話のことを書くが、頻繁に雑談をする仲間の一人がどういう理由からかSkypeにサインインできなくなってしまった。何度やってもダメ。で、Skypeに代るテレビ電話として現在はグーグルのテレビ電話を使っているが、このグーグルテレビ電話も筆者が仲間をブロックするという状態になって3人会話ができなくなってしまった。

このブロック解除が解説ページを読んで試みてもダメ。何度やってもブロック解除ができない。それでファイアフォックスにある「ハロー」というテレビ電話を使おうということになったが、すぐにグーグルのテレビ電話で起きたブロックの回避、解除ではなく回避の方法を見つけて今はグーグルのテレビ電話を使っているが、この使用不可能な期間にやった短文でのやり取りには参った。文字でのやり取りの不便さを痛感した。

・・・・ここまで書いた後、体調不良に陥って1週間ほどブログを書くのをやめた。壮年期と老齢期では体調不良の内容が違ってくる。壮年期ではなかった力の喪失感が老齢になると起きる。昨年後半に動脈瘤の手術で人工血管を入れたり、カテーテルを入れたりもあったから、それも影響している。ともあれ、またブログを書けるようになったが、書くのをやめるのも視界を広げるには役に立つ。

さて「インターネット」についてだ。前回に重ねるが商業の本質はブローカーである。商業自体は物質的に何も生産しない。Aで生まれたものをBが求めているのでAからBに仲買して売る。この仲買が専業となって商業となる。仲買が専業となれるのは情報を集めるからで、情報収集の場が広がれば広がるほど商業の領域も広くなっていく。生産はその「情報を生む」場所であるが、「生む」というのは「創り出す」ことでもあるから、「今やっていることをさらに深く掘り下げていく」とういう形になり、「情報を集める」という形とは違う。

この違いで「松下とダイエー戦争」が起きた。

『1964年(昭和39年)、ダイエーは「価格破壊」で消費者がより安価で商品が購入できることを目指し、松下電器の商品を当時のメーカー小売希望価格からの値引き許容範囲である15%を上回る20%引きで販売しようとした。ところが、松下電器はダイエーに対しての商品出荷を停止する対抗措置を取る。ダイエーは松下電器の出荷停止が独占禁止法違反に抵触する恐れがあるとして、裁判所に告訴した。

そのころ、松下電器もこの年の金融引き締め策による景気後退の影響で、現在の「パナソニックショップ」に当たる直営販売店、あるいはフランチャイズを結ぶ販売代理店で経営難に陥る店が増えたことから、これらの販売店の社長を熱海に集め、この状況からの打開策を図ると共に「共存・共栄」を図ることにした(熱海会談)。松下電器会長の松下幸之助は「定価販売(小売希望価格)でメーカー・小売りが適正利潤を上げることが社会の繁栄につながる」としてダイエーとの和解の道を模索した。

一方、ダイエー創業者の中内功は「いくらで売ろうともダイエーの勝手で、製造メーカーには文句を一言も言わせない」という主張を貫き、自社・ダイエーグループ店舗だけで販売するプライベートブランド(PB)商品の開拓を進める。1970年、PB「BUBU」名の13型カラーテレビを、当時としては破格の59,800円という廉価で販売し人気を集める。この行動は松下電器との対立をさらに激化させることにつながった。』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%BB%E6%9D%BE%E4%B8%8B%E6%88%A6%E4%BA%89

これはこれで面白いが、この事例を知っておかないとインターネットの本質を見抜けない。

『代 名 前 社名(当時) 会社での肩書き(当時) 任期
1 中内功○ 主婦の店ダイエー● 代表取締役社長 1967年 - 1976年
2 岡田卓也○ ジャスコ● 代表取締役社長 1976年 - 1978年
3 伊藤雅俊○ イトーヨーカ堂● 代表取締役社長 1978年 - 1980年
4 西川俊男○ ユニー● 代表取締役社長 1980年 - 1984年
5 中原功 東急ストア 代表取締役社長 1984年 - 1986年
6 清水信次 ライフストア● 会長兼CEO 1986年 - 1988年
7 高丘季昭 西友 会長 1988年 - 1991年
8 高丘季昭 西友 会長 1991年 - 1992年
9 小林敏峯 ニチイ● 会長 1992年 - 1993年
10 中内功○ ダイエー● 会長兼CEO 1993年 - 1994年 』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A2%E5%8D%94%E4%BC%9A

上はチェーンストア協会会長の推移だが、スーパーの出現で「問屋不要論」が起きた。製造と販売が直結してブローカーは要らないという理屈なのだが、これに対して問屋や商社は「情報企業」化することによって単なるブローカ稼業から抜け出していく。これはある意味、製造の松下電器を抜くと商業同士での戦いであるが、いずれにしろ「松下・ダイエー戦争」は製造が商業の支配下に陥っていく過程でもあった。この商業の支配下というのは別な側面で観ると「情報を制する者は経済を制する」という法則を認識させるもので、この法則があるからインターネットは爆発的に広がった。

インターネットが次にどういう社会を作り出すか?という面で肝要な認識だと思う。東日本大震災は東北を日本の新たなモデル地域になり得たという筆者の論拠でもある。

「情報」はなにも経済を制するだけでなく、人間社会のあらゆるものが情報に依存している限り人間社会をも「情報」は制する。この人間社会には軍事もあるから情報商売のスパイも出て来る。

『スパイのことを 「間諜」 と云うが、 「喋」 が敵の情報を探索することであり、 「間」 は敵中に潜入して破壊活動をすることで、 暗殺・放火などから始まり、 敵の内部分裂を仕掛けるものにまで及ぶ。
 日露戦争の時、 日本は敵国ロシアに対して壮大な 「間」 を仕掛けた。 その困難な役を担ったのが、 ロシアの首都サンクトペトロブルグの日本公使館駐在武官だった明石元二郎陸軍大佐である。 開戦にともなってスウェーデンのストックホルムに拠点を移し、 ロシア革命の運動家に資金を供給し、 革命の火に油を注ぎ、 帝政ロシア崩壊の導火線を仕組み、 彼に戦争継続を困難ならしめ、 米国の大統領ルーズベルトが斡旋する日露講和会議の席に着かざるを得ざらしめた。
 後にドイツ皇帝ウイルヘルム2世は 「明石一人で、 大山満州軍20万に匹敵する戦果を上げた」 と激賞し、 ウォーナーの 「日露戦争全史」 は 「東郷や大山はロシアの艦隊や地上軍を撃破したが、 明石はロシアの心臓部に直接攻撃を加えた」 と記している。』
http://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/episode/akashi.html

これも面白いサイトだが、「情報の力」を認識するには十分な事例だ。インターネットを考えていくと一見、横道に逸れるような事柄も考えていかねばならない。今回は事例紹介だけで終わる。

情報社会と平均化

「中国全土に水道や下水道を行き渡せるだけでも膨大な製造需要がある」と中国の将来を楽観視した論が散見する。しかし、それを言えばカナダでもロシアでも国土に限れば同じだ。が、現実に広大な国土全体にほぼ完璧な社会インフラを整えるのは夢物語に過ぎない。「需給」という大きな夢を押しつぶす圧力があるからだ。需給は現実そのものである。カナダやロシアは国土の広さに対して人口過小の現実があり、人口が少なければ比例して需要も少なくなる。需要が少ないのに過剰な供給体制を作れば供給過剰となって供給した分だけ浪費になり、浪費は税金となって納税者に負担を強いるから納税者の怒りを買う。

中国やインドの場合は逆に人口過剰の現実がある。これをコンピューターのプログラムに摸すれば、プログラム自体が膨大になっていつまで経っても制御プログラムが完成しないという事態が起きる。人口過剰は国土過小より厄介な問題を惹き起こす。東日本大震災での復興では東北の人口が少ないからこそ復興速度が速くなった。利権は人口数に比例して増えてくるので、人口が少ないと利権での揉め事も少なるという理由によってだ。

しかし社会インフラが整っても人口が少ないと需要も少なくなるから、地域の発展は人口の増大に望みをかけるしかない。ここで人口過剰な地域と人口過少な地域をつなげて平均化を図るという発想が生まれてくる。日本全土に道路や鉄道を網の眼状に広げるという国土開発の考えだが、問題は職場である。所得を生み出す職場がなければ誰も定住することはできない。実際、震災復興が進んでこの問題が起きてきている。

かって終戦後、日本では地方から都会に向かう人口大移動という現象が起きた。都会では仕事があるから地方で余った人口が都会に向かう。日本に限らず、どの国でもこういうことが起きている。では「なぜ、都会では仕事が増えるのか?」という「鶏が先か?卵が先か?」という問題の答えを見つけなければならない。

この答え自体は簡単だ。産業は組み合わせで幾何科学的に増大するという法則性があるからで、土地に縛り付けられた農業や漁業中心主義だと産業の増えようがない。それによって重農体制は重商体制に向かっていった。東北の振興は商業地の拡大を最重点にする所以(ゆえん)だが、震災以前の産業形態が農業や漁業主体であったために「それを元に戻す」という愚策を復興省はやっている。産業社会の歴史に無知と言うしかない。

社会の発展には順序があるのだ。この順序を間違えば発展はおろか、社会自体が縮小に向かっていく。では「なぜ商業が先か?」である。答えはまたしても簡単で、「情報が行き交う商売」として商業があるためだ。需要を見つけ、その需要に応じた供給先を見つけ、あるいは供給を作るというのが商業なのだ。要するに需給の仲買であり、需給の仲買によって商品価格は平均化され、供給側も安定した供給ができる。

この「商業」の本質である「情報」を拡大していくとインターネットの重要性が理解できてくる。農業や漁業などの一次産業が拡大発展するためには情報産業と一体になるしかない。そのためには情報社会の最前線であるパソコンを何よりも優先して全戸・全員に配布する処置を行政側は採るべきだったのだ。これによって地域での情報共有ができ、「どこをどのように優先するか?」という情報が飛び交い、結果として地域全体が商業地帯になっていく。この商業性の中に農業も漁業も林業も、いや製造業ですら組み込まれていく。これによる復興は需給に直接応じているので箱モノだけの復興とは違って安定した地域社会になっていく。

こうなると震災被害にあった地域は結果として日本の最先端の地域と化す。震災特需のバブル経済とは本質的に異なってくる。同時に日本社会の未来モデルにもなるから利用できる事例が次々と生まれて日本社会を大きく変える引き金となったはずだ。

原始性との闘い

復興予算26兆円


『9月9日のNHKスペシャルが「追跡 復興予算19兆円」と題して報じると、朝日、毎日、読売など各紙や民放各局が10月に入って一斉に批判報道を展開し、国会にも飛び火。自民党は衆院決算行政監視委員会の閉会中審査を要求し、政権側は委員会を開かせないために民主党委員を欠席させる暴挙に出た。

 あまりにも白々しい騒ぎである。

 NHKなど各メディアの報道は、総額19兆円の復興予算が、東京の税務署改修や北海道・沖縄の道路建設、果ては捕鯨反対運動への対策費まで復興とは関係のない事業に役人によって流用されているという、本誌報道の丸パクリである。それもそのはず。各紙記事は衆院の決算行政監視委員会の調査をもとにしているが、そもそも調査の発端は、本誌記事に関心を持った委員の提案によるものだったからだ。

 いや、パクられたことに目くじら立てるつもりはない。重大なのは、大メディアと国会は、本誌が8月はじめにこの事実を報じてから2か月以上、頬被りを決め込んでいたことにある。知らなかったとはいわせない。』
『この復興予算流用問題の本質は、財務省をはじめとするシロアリ役人と政治家が「復興のため」と国民に増税を強いながら、巻き上げた税金を被災者のためではなく、庁舎の改修やハコ物公共事業などシロアリの利権拡大に好き放題使っていた「騙し増税」の構造にある。

 消費増税も同じだ。国民には「社会保障のため」と説明しているが、実際は社会保障の充実には使われず、民自公3党と霞が関の間には、「増税による税収のうち毎年5兆円は防災の公共事業にあてるという暗黙の合意がある」(自民党大蔵族のベテラン議員)という。

 あのとき、国会追及や大メディアの報道が行なわれていれば、消費増税法案への批判が一層高まって廃案になる可能性があった。

 だからこそ、増税推進派の大メディアと自民党は、消費増税法案成立まで黙殺し続けたのではないか。NHKスペシャルで“報道解禁”となったのは増税法案成立の1か月後だった。』

週刊ポスト2012年10月26日号

http://www.news-postseven.com/archives/20121016_149218.html

トップの資質として「大筋を読む能力」が絶対条件となる。が、「大筋を読む」には可能な限り事例を集めていかなければならない。この「事例」は数字ではなく「出来事」だ。ホメイニを中心としたイラン革命のとき、小さな記事で「警察は民衆デモを傍観していた」という外電が出てきた。普通、こういう記事の場合はデモの参加者数を大々的に報じるのだが、本当の状況を現すのは治安維持をする警察の動きだ。警察はトップを頂点とした縦の動きをする組織なので「警察がデモを傍観していた」とあれば、トップが機能停止状態になっていると推測できる。

『パフラヴィー皇帝は自分の意向に反対する人々を秘密警察によって弾圧し、近代化革命の名の下、イスラム教勢力を弾圧し排除した。』パフラヴィー皇帝は、この小さい記事のあと、すぐに国外脱出をした。

歴史が重要なのは過去の「事例集」でもあるからで、もちろん事例はあらゆる事柄を含んでいるために理屈としては矛盾だらけのことが普通に噴出してまとまりがないように見える。しかし、事例から見える「動き」には共通点があるので「動き」の方向性で大筋が読めてくる。

冒頭の「復興予算19兆円」の記事は2012年10月であるが、NHK特集番組では26兆円とさらに7兆円が膨れ上がっている。が、金額よりも内訳を見ると「社会インフラは計画通りに進んでいるが町の復興はこれからだ」という言葉が番組で復興の責任者から出て来る。これで連想するのは第二次世界大戦後の冷戦構図だ。戦争で消費関連の産業が破壊されて物不足に陥ったとき、物不足解消では計画経済体制のソ連が躍進した。

経済活動では「物不足」社会と「物余り社会」では経済の動きが違ってくる。「物不足」社会で重視されるのは「供給」であり、「物余り」社会で重視されるのは「消費」ということなのだが、計画経済では「供給」が重視されるから物不足解消にあっては強く、早い。しかし「供給」重視体制では「情報収集」が生産に偏って、「物余り」状態になると消費情報が計画立案者の基にほとんど入ってこない。これで「市場経済」体制に大きく後れを取ってしまう。

ここから見えてくるのは情報収集の違いだ。「その組織はどういう情報に依存しているか?」という違いである。かって銀行は政府政策依存の「船団」と称されていたが、これは政府情報依存の「船団」でもあったから市場動向よりも政府の動向に「船団」の眼が向けられていた。この姿勢は正しく「計画経済」であって、「物不足」、つまり銀行なら「資金不足」の社会では効果があるが、「資金余り」社会になると落伍していく姿勢でもあった。この姿勢だから企業が資金の内部留保を厚くしていくと銀行は貸出し先を失って身動きができなくなっていく。

姿勢というのは方向性を決めるものだから金融が市場情報を集めなければ動きも決まらなくなってしまう。しかし組織は人の集まりなので、急に「右から左に!」と号令をかけても号令の意味を誰もが理解しない限り簡単には姿勢を変えることができない。また個人の出世とも関わってくるから、なおさら今まで通用していた姿勢を変えるにはリスクがありすぎるように思えて変えることができない。

しかし人の視線は三つ巴(どもえ)になっている。下っ端は上役に向けられ、上役はトップに向けられ、トップは下っ端に向けられるという三つ巴だ。トップである王様は庶民の動向が命に係わってくるから気になるのだ。下っ端の上役に対しての情報収集は顔色を見る程度の単純さだが、上役のトップに対する情報収集は自分の人事をトップが決めるためにやや複雑になる。「やや」としたのはせいぜい内部情報に限定されるからだが、トップの庶民に対する情報は範囲が広すぎて「情報収集」などできっこない。結果、上役が提出する「庶民動向」に依存することになる。

が、情報時代に入るとこの構図が崩れてくる。下っ端も上役もトップも情報入手でフラット、平面的になってくる。つまり情報のピラミッド構図が消えてしまう。株の世界では実際にこの通りになった。一般投資家も専門投資家も情報入手で大きな違いがなくなっている。極端に言えば一個人がCIAのような情報データーを集めようと思えば集めることができる。だから情報機関が情報機関として依存できる情報は特殊な情報に限定され、その意味では情報機関の情報も偏りが強いと見做していい。機密情報の性格を考えれば「機密」にしたい情報というものがどのようなものか、多少は理解できるはずだ。

ここでまた「事例」がでてくる。中国トップの愛人問題を扱った本を売ろうとしていた書店関係者が消えるという記事があった。そうするとトップの愛人問題は「重要な機密」となるわけだが、重要な機密になってしまうのは「トップへの庶民の信頼が失われるという事態」を危惧するから「機密」扱いになるということなのだろう。独裁体制では確かに重大な機密になるが、しかし、一方でこの「機密」には滑稽さが漂う。何かがおかしい。

これをコンピューター視点で観れば「その社会にはメカニズムがない」とあっさりと結論付ける「機密」なのである。メカニズムで観れば誰が愛人を作ろうと知ったことではないわけで、重要なのは「政策」なのだ。政策は国民に権力という強制力を持って「ああしろ」「こうしろ」と命じるものだから、愛人問題と全く重要性が違う。しかし「事例」として扱うと「トップの愛人問題」は政権の動き方や性格を見せてくる。政府首脳が顔を近づけて「何とか対処しないと・・」という光景を想像すればその政権の原始性が浮かび上がって見える。

中国トップを例にしたが、もちろん日本もこの原始性では例外ではない。政治が「合理性で動く」という近代思考になっていない。「現代」が「未来」になるにはどうやら「原始性」からの脱皮を、笑い事ではなく真面目に社会が問題にしないと始まらない。その意味で原始性のある事例を「これでもか!」と思えるほどに集めて拡散していく過程がまだまだ必要なのだろう。

日本人の真面目気質

厚生省・汚職事件(彩福祉グループ贈収賄事件)
『-経緯-
平成8年11月18日、警視庁と埼玉県警は厚生省課長補佐の茶谷滋と社会福祉法人「彩福祉」グループ代表の小山博史を贈収賄の容疑で逮捕した。更に翌19日、小山代表から6000万円を受け取っていた疑惑で厚生省事務次官・岡光序治が辞任。12月4日に収賄容疑で逮捕された。この3人は福祉を食い物にして「私腹を肥やす」という典型的な官僚-民間の汚職事件を引き起こした。

小山は昭和55年頃、玉置和郎参議院秘書を経て福祉を目的とした「彩福祉」グループを設立した。一方、厚生省の岡光は平成元年6月に厚生省の老人保健福祉部長に就任。このポストは社会福祉法人を認可する都道府県知事の監督、特別養護老人ホームへの補助金許認可を担当するもので、 ここに岡光と小山の利害関係が一致した。更に岡光は厚生省から埼玉県に出向していた高齢者福祉課長の茶谷滋を小山に紹介し3者一体の汚職が開始された。

平成5年8月、小山が申請した社会福祉法人「桃泉園」が茶谷らの便宜で認可された。この認可を端緒に社会福祉法人「彩吹会」・「彩光会」、特別養護老人ホーム「吹上苑」など次々に法人を設立。小山は埼玉県内に6つの特別養護老人ホームを建設するという異常ぶりだった。また彩光会の理事に岡光の妻が就任していた事実も判明した。この許認可に便宜を図ってもらうため小山は茶谷の埼玉県出向を1年間延長する要請を岡光にしていた。

小山は、この特別養護老人ホームの建設にあたってJWMという建設会社を設立。県からの建設認可でJWMを通して大手ゼネコンに請負させて利ざやを稼いでいた。日本は高齢者社会に変遷していくなかで「高齢者保健福祉推進10ヵ年戦略(ゴールドプラン)」を制定したが、岡光、小山、茶谷らは、この政策(補助金)につけこんで私腹を肥やしていた。

岡光は「要求型汚職」の典型で小山に数々の便宜の見返りとして、自動車・ゴルフ会員権・自宅マンションの購入資金など約6000万円を受け取っていた。茶谷も同様に1020万円を受け取っていた。』

http://jikenshi.web.fc2.com/newpage231.htm

『官僚転落
著者は、収賄容疑で逮捕された元厚生省(現厚生労働省)事務次官。地裁、高裁ともに有罪を言い渡されている。

本書は、その著者が一連の事件のあらましと半生を振り返ったもの。帯には「これは『弁解』の書ではない」とあるが、事件については終始利己的な弁解が展開されている。自らの脇の甘さを省みておらず、最高裁判決を待つ身とはいえ、潔さは感じられない。

ただ母校東京大学の批判やキャリア制度についての言及は、力がこもっている。官僚から見た、小泉純一郎首相を含めた歴代の厚生大臣比較も興味深い。また記者クラブの腐敗や介護保険制度の実態にも触れられている。著者の逮捕から6年も経ちながら、その腐敗ぶりは現在も全く改善されていないことが分かる。


(日経ビジネス2002/11/11Copyright©2001日経BP企画..Allrightsreserved.) 』

http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%98%E5%83%9A%E8%BB%A2%E8%90%BD%E2%80%95%E5%8E%9A%E7%94%9F%E5%AE%98%E5%83%9A%E3%81%AE%E6%A0%84%E5%85%89%E3%81%A8%E6%8C%AB%E6%8A%98-%E5%B2%A1%E5%85%89-%E5%BA%8F%E6%B2%BB/dp/4331509249

『日本の誇りである「新幹線お掃除劇場」からトヨタのすごさ、世界最古の先物市場・堂島米市場、そして福島第二原発を救った「チーム増田」まで、日本人が想像できないほど、ハーバード大学をいま「日本」が席巻している!

世界最高峰の学び舎がハーバード大学であることに、異論のある人はいないだろう。だが、そのハーバードでいちばん人気のある国が日本、といわれて信じられるだろうか? その証拠に、ハーバードの学生が毎年主宰する日本ツアー「ジャパントレック」は、100人の定員が数分で埋まってしまうという!

新興国の成長などに比べて目立たない印象もある日本になぜ、ハーバードは学ぶのか? 本書では、自らもコロンビア大学でMBA(経営学修士)を取得した著者が、ハーバード大学経営大学院の教授20人を直撃取材、その秘密を徹底的に聞き出した。

世界が絶賛した奇跡のマネジメントから「東洋の奇跡」の解明、じつはすごい日本人リーダーまで、彼らの語る「日本の強み」は私たち自身に誇りと自信を与えてくれるだろう。同時にそれはこれから日本が「課題先進国」として、世界でどんな役割を果たしていくべきか、というヒントにもなるはずだ。』

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569827276/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4569827276&linkCode=as2&tag=mtmttwo-22

「世界が絶賛した奇跡のマネジメント」の「マネジメント」の説明は「マネジメントとは、様々な資源・資産・リスクを管理し、効果を最大化する手法」となっている。「我田引水」とは、人がやったものを勝手に自分のものとして吹聴する意味もあるが、これは日本の官僚がよく示す姿勢でもある。だから最初に厚生省・汚職事件を持ってきた。これを読んだうえで『ハーバードでいちばん人気の国・日本 (PHP新書)』の書評を読めば書評の印象もかなり違ったものになってくる。

日本人の資質は歴史の流れを見ていくと江戸時代期に圧縮・純化されたようなところがある。江戸時代というのは戦国時代から信長、秀吉、家康によって日本を統一した後の時代だ。民族の体験は伝承として受け継がれていくもので、この「伝承」が途絶えてしまうとゼロからまた始めなければならない。つまり過去の教訓を失って同じ誤りを再び繰り返すという「無駄」を生む。この「無駄」には流血と飢餓を伴う状況が含まれているから軽い「無駄」ではない。

社会というのは生活をする場であるから、これ見よがしに「日本は素晴らしいだろ?」と誇っても方向違いである。大事なのは「自分達の社会」を「より暮らしやすくする」ための思索の方だ。「自分達」ということは「皆」でもあり、ここから「公共」という考えが出て来る。そうすると「管理」という言葉は「皆」の中に「自分」が入っていない響きがあるので「誰が誰を管理するのだ?」という警戒心が生まれる。

どういう「言葉」を使うかは使う当人の姿勢を示すものだから案外と重要なのだ。ともあれ、経済成長の低下は高度成長の「浮かれた気分」を日本人から一掃した。多くの日本人にとってはバブル時代の気分を残した言動を見れば嫌悪感を抱くようになっている。このバブル時代の浮かれた気分には「そいつ」という敵対した気分さえ生じさせるものであり、「そいつ」には皆がなく、皆の姿が見えていない。

今の日本人の多くはそういった心理が多数派なのだ。インターネットの登場によって新聞もテレビも出版も将来のバラ色な展望を失い、過去の財の蓄積によってかろうじて「見通し無き勝ち組」という状況にある。この不安感があるからマスコミから出る言葉にとげが出て来る。自分が不安だから皆も不安にさせて不安心理を軽減したいという隠された気分がある。

「何を目指しているか?ではなく、今を一生懸命にやるだけです」という言葉をアイドル年齢、10代の少女達からよく飛び出してくる。ネットの時代になって現実の知識が増えたから「夢」を幻想ではなく具体的に捉えだし、夢を現実化する困難さを感覚として解っている。だから「今を一生懸命にやる」という言葉が出て来る。

この「今を一生懸命に」あるいは「真面目に」やるという姿勢は社会システムにあっては土台の考えでもある。この土台がなければどんなに優れたシステムであっても絵に描いた餅であって、システムが正常に動けない。だから「真面目にやる」という土台を絶対に崩すことはできない。

問題は「真面目さ」のイメージが単純になってしまうことだ。真面目さにも受動的な真面目さと自分からやる能動的な真面目さとがあるが、人が問題に、あるいは評価するのは「受動的な真面目さ」の方である。「勉強を真面目にやる」「仕事を真面目にやる」・・・これらは傍(はた)から見た眼での感じ方であり、「自分から進んでやる真面目さ」に対しては評価より称賛に近い受け止め方をする。しかし真面目さの本来の在り方は「自分から進んでやる真面目さ」にある。

日本社会にはこの「本来の真面目さ」を持っている人が多い。だから仕事でも「こだわり」が出て来る。賃金以上のことをやろうとする人が出て来る。合理主義、あるいは利己主義では「賃金以上のことをやる」のは無駄であり、それ以上に「損」になる。「損得」の価値観はその意味で限界が出て来る。「要求された以上のことはやらない」という限界だ。製品で言えば「基準は合格しているが驚きはない」商品のことだ。これを皆がやると新しいものは何も生み出せない社会になる。計画経済が行き詰まるのもこの論理によってだ。発見・発明は必要がないためであって、これは、そのまま官僚制の弊害と通じてくる。

日本人の多くが持っている「真面目さ」は自己規律であるので、これが生かされる状況は上からの指示がない時だ。その意味で一見、管理形態になじむように見えて、実はなじんでいない。自発的に皆に合わせているから管理されたように見えるだけだ。

インターネットでの使用言語で日本語が多いのは外国人が日本語を使っているからではない。日本人同士でのやり取りが他の国に比べて多いから結果としてインターネット上に日本語が飛び交う。これも日本人の自発性好きから来ている。損得意識が薄いから情報が自発的にどんどんと流されていく。

日本社会を考えるにはこの日本人の気質を最初に認識していないと見当外れの論になってしまう。ちょっと外国人には解らない部分でもある。

システム社会が理解できない官僚

『九州新幹線、全線開業5年…経済のけん引役に
http://www.yomiuri.co.jp/national/20160313-OYT1T50100.html
 博多―鹿児島中央間を結ぶ九州新幹線鹿児島ルート(約256キロ)は12日、全線開業から5年を迎え、各駅では記念行事などが行われた。
 輸送人員は右肩上がりを続けており、2015年度は14年度(1310万人)を上回って最多を更新する見通しで、九州の経済・観光のけん引役となっている。
 九州運輸局によると、15年度の輸送人員は今年1月までで、14年度同期比4%増の1139万人。04年3月の部分開業(新八代―鹿児島中央)以降の累計は8957万人となっている。
 50%を下回る乗車率の向上や、地方の沿線への効果波及などが課題となっている。』
 
 東日本大震災で「幻のCM」と化してしまった、以下の全線開通広告を後にYoutubeで見たとき、思わずポロポロ泣いてしまったことを思い出します。

【祝!九州 九州新幹線全線開CM180秒】
https://youtu.be/UNbJzCFgjnU


 結局、東京圏がこれほどまでに膨張してしまったのは、パワフルな鉄道網により人々が「繋がる経済」が実現できてしまっているためです(但し、東京圏のみで)。次なる日本の高度成長は、東京県内ではなく「日本国内」で各地域、各企業、各国民を短時間でつなげ、分散による安全保障の強化と、集積による経済成長を両立させる形で実現する必要があります。

 日本国は、新幹線や高速道路という交通インフラの整備により、「繋がる経済」を日本全国に拡張、展開しなければならないのです。

http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/

以上の記事抜粋は昨日の三橋ブログからだが、これは「リンク」効果によって日本を何倍も大きくさせる説明になっている。リンク効果で記憶に残るのはグデーリアンの電撃戦だ。

『1888年に生まれたグデーリアンは第一次世界大戦と第二次世界大戦を経験した軍人であり、また独自の戦術学の研究に基づいて独立した戦闘行動が可能な自動車化部隊の必要を主張した電撃戦の研究者でもある。この回顧録では第二次世界大戦初期のヨーロッパ戦線を扱ったものであり、またグデーリアンの電撃戦に対する思想を明らかにしている。

グデーリアンは電撃戦の中心的な主体である戦車に注目し、ドイツが第一次世界大戦で行われたような戦闘陣地による戦闘を行うことは難しく、兵力の不足や装備の不備を補うために機動力で戦うことが不可欠である。そして機動力を発揮できるのは装甲車両、戦車によってのみ可能であると論じる。そしてグデーリアンはフラー、リデル=ハート、マーテルによる研究を参考にしながら戦車を従来の歩兵の補助とする兵器ではなく、新しい形態の戦術の先駆的役割を与えることを構想した。

この理論には装備の問題があり、少なくとも装甲部隊の装備として2種類の戦車が求められた。それはカノン砲1門と1丁の機関銃を備えた軽戦車と大口径のカノン砲1門と2丁の機関銃を備えた中戦車である。後者は軽戦車の戦闘支援を行う戦車であり、時速40キロの性能が発揮できるように開発された。また装甲部隊の戦闘力を高めるためには歩兵や砲兵などの戦車を支援するための部隊に戦車と同等の機動力を持っていれば向上させることができる。

このような電撃戦の研究は第二次世界大戦後にグデーリアン本人によって実践されている。第19軍団長に任命されたグデーリアンはポーランド侵攻や西部戦線での作戦に参加し、独ソ戦では第2装甲集団の司令官としてモスクワに対して進撃したが、モスクワ進撃とウクライナ進撃の作戦方針を巡って総統アドルフ・ヒトラーと対立したために解任される。後に装甲兵総監として復帰するが敗戦後にはアメリカ軍の捕虜となる。』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%92%83%E6%88%A6_%28%E3%82%B0%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%29

情報時代はセット思考の幕開けと言ってよく、単品が連結してシステムを作り上げ、これによって単品と競うわけだから単品思考に負けるはずがないのである。

『人間は水なしには生きていけない。だが、特に発展途上国において、水道事情は深刻だ。設備が未整備なことから、漏水や「盗水」は日常茶飯。料金徴収体制もまったく不十分である。経済発展を遂げ人口が増加するのに伴い、「安全で安定供給が望める水道」に対するニーズがますます高まるはずだ。そこに「世界に冠たる」東京の水道システムの出番があるのではないだろうか——。そう考えて、東京水道の海外進出を提唱し、2010年に「海外事業調査研究会」を立ち上げた。官民連合で世界に打って出るビジネスモデルをつくるのが目的である。

東京の水道のすばらしさは、以前から認識されていた。海外向けに有用なさまざまなノウハウが蓄積されていることも分かっていた。だがそれが生かされたのは、東京にある研修施設に海外から人を呼んで技術を伝授する、といった取り組みに限られていた。「国際貢献」はあっても、ビジネスの発想はなかった。』

http://www.nippon.com/ja/in-depth/a00903/

「リンク」は独立したものを連結して効果を何倍にも膨れ上がらせるもので、これは相場でのレバリッジと似ている。

『てこ(lever)の作用から転じて、投資において信用取引や金融派生商品などを用いることにより、手持ちの資金よりも多い金額を動かすこと。自己資本と比較して損も利益も巨額になる。購入資金を借入によってまかなうことで、自己資金以上の投資を行う。購入した有価証券を担保として更に借入を起こすことでレバレッジ比率を上げることもできる。信用買いなど。

例えば100万円の自己資金で株を買い、その株を担保に資金を借り入れるとする。このとき担保掛け目が80%なら80万円借りられる。その80万円でさらに株を買い増して合計180万円とすると、180%のレバレッジと表現する。

証券価格が上昇すると担保価値が上がり、さらに借入が可能となるが、逆に証券価格が下落すると担保価値も下がり追証が発生することになる。ポジションの含み損が拡大し、担保不足が継続的に発生するようになると、投資家の財務状態悪化として借入可能な信用枠(クレジットライン)自体が削減されることもある。このとき不足分の現金を用意できないと強制売却となる。こうしたリスクは流動性リスクともよばれる。』

というものだが、連結効果を想定して大昔から人は村から村、町から町へと道路を作った。これによって適材適所が生まれ、社会は新たな形態に向かっていく。要するに国土を広げるのは土地だけではないということだ。三橋ブログが言っていることは集積回路の発達史でもある。

『ムーアの法則

「部品あたりのコストが最小になるような複雑さは、毎年およそ2倍の割合で増大してきた。短期的には、この増加率が上昇しないまでも、現状を維持することは確実である。より長期的には、増加率はやや不確実であるとはいえ、少なくとも今後10年間ほぼ一定の率を保てないと信ずべき理由は無い。すなわち、1975年までには、最小コストで得られる集積回路の部品数は65,000に達するであろう。私は、それほどにも大規模な回路が1個のウェハー上に構築できるようになると信じている。」 』

これは集積回路に限らず、産業の発展でも同じ事が起きた。この延長線上に現在のインターネット時代がある。さらに言えば重農経済から重商経済に移った時点より社会は平面から立体に移っていく。この立体を介在するのは情報の伝達であり、それは正しくリンク形態の社会だ。その結果として都市の発展がある。

三橋ブログが力説しているのは今度は日本中の都市と都市を結ぶ回路を作れということであり、「マイナス金利の現在は絶好のチャンスではないか!」としていることで、これは全面的に正しい。「大きく伸びる企業は不況時に投資をする」と昔から言われているが、問題は投資をするには妥当な見通しがあっての話で、妥当な見通しを持たなければ単なる浪費・散財になってしまう。この「見通し」に致命的に欠けているのが官僚だから設計図さえ描けない、と三橋ブログは指摘していたが、官僚が日本国民を裏切る集団なら設計図を描く気もないだろう。筆者はそこまで官僚に対して不信感を抱いている。でなければムチャクチャ阿呆な集団なのか?
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