「忍ぶ川」と「知りたくないの」の合体

忍ぶ川のカラオケ01
忍ぶ川のカラオケ02
忍ぶ川のカラオケ03
忍ぶ川のカラオケ04
忍ぶ川のカラオケ05
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菅原洋一 「知りたくないの」という曲で「忍ぶ川」は短すぎてまとめられないな。語呂合わせ的には「知りすぎたのね」か「知らず知らずのうちに」のどっちかだが、「知らず知らずのうちに」は淡い恋歌で「忍ぶ川」とは無理過ぎる。映像的には「浮雲」と連なるものということで「知りすぎたのね」で作るべきか。

ま、歌詞と映画の内容が相当に違っているが、これは雰囲気にどこか共通点があれば「良し」としている。それにしても「忍ぶ川」は「監督が相当に入れ込んでいるな」と描写の細かさに感心した。こういうのはビデオ・カラオケ用で再構築していると気が付く。栗原小巻をいかに綺麗に撮るかという意思が編集していると伝わってくるのだ。これは漫然と観ていると気が付かない事柄だ。

評論の仕方は色々とあるが、筆者の場合は「作品をどのように作ろうとしているか?」という作者側の意図を探ることから入っていく。「どのように」も単純ではなく、映画なら原作の魅力と俳優の魅力を出していかねばならない。カラオケなら今回は3分にも満たないので、ほとんど俳句の世界になってしまう。「忍ぶ川」は男女二人とも境遇は違っても「不幸」を背負っている。この「不幸」と向かい合いながらの恋愛物語なのだが、さすがにそれは3分足らずでは描けない。

で「忍ぶ川」を1と2で分けることにした。基本、カラオケ主体だから映画を見せるわけではない。歌詞だけだと眼のやり場に困るから映像を置くといった程度であるが、それでも眼のやり場に困る映像ではさらにどうしようもなくなる。だから超ミニストーリーにならないと面白くない。ソフトバンクがこの超ミニストーリーをC・Mでやっているが、実作をしているとそうなるのだと思う。実際、広告に力を入れたカップヌードルやサントリーはC・Mを超ミニドラマに仕立て上げて久しい。

カラオケも音楽主体なのでC・Mと考え方が近い。ミュージックビデオなどは完全に映像実験の場と化した。知人と少し前に「映画はちょっと長すぎるなぁ」と話し合ったことがある。いや、長い映画でもよいのだが連続テレビ小説の形が一番観やすいというわけで、連続なら一編に何もかも詰め込まなくていいから作りやすいし、観やすい。実際、このブログでもそういう考えで書いている。先に書いたものと反対のことを次に書くということをやる。これで筆者のキャラができてくるわけで、矛盾したことを書いても「それが筆者のキャラ」ということで落ち着いてくる。

もちろん多重人格ではないから基調は同じだ。「キャラ」が物指しの役割をしている。だから細かな粗探しはこのブログでは意味がない。重要なのは「キャラ」という「物指し」の方だ。「キャラという物指しが狂っている」とすれば筆者の人物が狂っていることを意味する。「危ない奴」というキャラは確かにあるのだ。で、「忍ぶ川」の連作が終われば考えているのは「雨の御堂筋」である。こちらは最初の地下鉄のドアの開閉の音が気に入って、それはすでに用意している。ドアが開く大きな音と「雨の御堂筋」の曲が同時に始まるというイメージだ。

次々とイメージが湧いて楽しいことこの上ない。最低30曲は作りたい。
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自家用ビデオ・カラオケ制作

浮雲のカラオケ01
浮雲のカラオケ02
浮雲のカラオケ03
浮雲のカラオケ04

ブログを休止している間、カラオケ・ビデオを作ろうと思い立って動画編集の勉強をしていた。動画編集自体は元アニメーターということもあって全くの素人ではないが、それでも編集ソフトの扱いは初めてだから初心者みたいなものである。特に歌詞の字幕を音楽に合わせて流していくのには神経を使った。

しかし実際に時間を食うのは素材集めだ。まず歌の場合、持っているのは全部MP3で、MP3だと動画編集ソフトが認識しない。で、これをWAV音源に変換するわけだが、この変換で想定外のFLASHが役に立った。次に歌詞に応じた映画選びも時間を食う。元々自分用のカラオケなので著作権は無視。なので自在に映画と歌の組み合わせができる。が、それでも歌はせいぜい4分以内の短さだから映画をぶつ切りにしなければならない。2時間の映画をそのまま読み込ませるのは編集で物理的に無理だからだ。

さらにぶつ切りにした映像の加工というか、変形に時間がかかる。しかし、この加工は創造性が多少あるのでやっていて面白い。ペイントソフトは使い慣れているが、この比較で映像編集ソフトはペイントソフトより勝(すぐ)れているのではないかと思えてきた。効果が実に多彩なのだ。元アニメーターというのは仕事柄、絵にあまり執着しない。絵よりも動きだ。だから絵や写真を見せようとするフォトショップやペインターより低価のSAIの方が筆者には実用的なのである。SAIは漫画用ソフトとさえ言ってもいい。

物事というのは実際にやってみないと発展形が見えないものだ。以前、このブログか前のブログで著作権を問題にしたことがあるが、そもそも小説や漫画・音楽などは模倣から始まっている。この模倣とオリジナルの境は曖昧なもので、微妙に変えるだけで全くの別物になることがある。

全くの別物になってしまうのは模倣の元作品を作った人と考え方が違うからそうなるわけで、考え方が違うと同じように見えても主張内容が違ってくる。模倣する側の基作品はある意味、素材にすぎず、その素材から新たなものが生まれてくる。AもBもCも単独ではそれぞれA・B・Cであるが、この組み合わせでACになったりBCになったりと、細胞が爪や髪の毛を作っていくのと同じ現象が起きる。

著作権は細胞を爪や髪の毛に変化させないことをもくろんでいるから問題になる。文明という視点では文明を止めてしまう権利であり主張だ。

技術でも同じ事で自動車の車輪が発展して単独で動力を持つともはや車輪とは言えない。「パクリ」が問題になるのは完全なコピーだからであって、完全なコピーには「創造性」が欠片もないから問題にもするし、軽蔑もする。逆に言えば創造性が加味されているとそれは新たな著作物や発明でもあるということだ。法律一辺倒の人はこの本質的なことを考えたほうがよい。「文明と秩序のどちらを優先させるべきか?」という本質だ。

さて動画編集だが、「編集」というのはあるイメージに基づいてそのイメージに近づけようとする作業になる。だから編集前の映画や音楽・イラストなどは全部素材だ。映画の中にイラストを放り込んでもいいし、イラストの中に動画を放り込んでもいい。筆者はこの考えで漫画の中に絵画風の絵を放り込もうとした。漫画の中に絵画風のイラストを放り込むこと自体が作品での「演出」なのである。横尾忠則などは50年ほど前に写真を絵画に放り込んできた。その前にはコミックのコマを拡大してドットにしたアンディ・ウォーホルなども居る。ジョージ・シーガルなどは人体に石膏を塗って彫刻とした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%AB

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%AB

一種の「創造的破壊」といったものであるが、動画がネットを通して湯水のように溢れて来ると従来の価値観や美意識も確実に変わってくる。ま、難しい話はやめよう。

上の画像は「浮雲」から抜いたものだが、この映画での高峰秀子には惹かれてしまった。子供のときに小学校で「24の瞳」を見せられたのだが、子供の筆者には綺麗とも思わなかったために晩年になるまで何の関心もなかった女優である。それが今になってものすごく惹かれる。実はこの惹かれ方は乃木坂の西野七瀬にも通じている。「或る表情」の有る無しで印象が全く違ってくる。西野七瀬など、この若い現代っ子のくせに「憂い」というか、沈んだ表情の魅力を持っている。これは貴重だ。ソニーの関係者は昔の女優を研究することを勧めたい。

ともあれ戦後直後の光景が筆者は好きなのである。爆撃で荒廃した都市部はそれだけで魅力があるが、これは廃墟に通じた魅力かもしれない。「魅力」と書けば単純な人間には怒られそうだが、廃墟でも破壊された街でも人間の「業」が人の肢体や活動に薄く上乗せされている。だから泣き笑いが単純ではなくなる。「人間の業」がうっすらと上乗せされていない芸や表現は面白さも軽い。観終えた後に「面白さ」が残りにくい。

AKB選挙はネット政治運動のモデル

北原選対と松村選対

アイドルAKB村を覗いていると興味深い例を色々と散見できるが、上の画像は北原里英応援グループが「これだけ票を集めた」と金額にして3200万円集めたことで、その時の掲示板のやり取りである。「票」というのはAKB選挙のことだ。AKB選挙では松村香織陣営の選挙対策本部がネットを舞台にした選挙の在り方を示して興味深い。AKB選挙での投票ではシリアル番号ひとつが1票なので1万票を超えると投票作業も大変だからシリアル番号を読み取らせる機械まで作っている。

『渡辺の卒業後について問われると、須藤は「(発表することを)全然聞いてなかったです。『卒業しないよー』って言ってたんですよ。でも昨日は『嘘ついてごめんねー』って言われて、もう何も信じられない(笑)」と笑い混じりにコメント。

その一方で「でも、お店を持ちたいと言ってました。女社長みたいな。『生活に困ったらウチおいで』って言われたことがあります」と明かし、さらに「助産師になる夢もあったそうなので、もしかしたら助産師かもしれませんね」とにこやかに回答した。』

http://mdpr.jp/news/detail/1578199

上は「人生を危険にさらせ!」(3月30日発売)NMBメンバー須藤凜々花の著作発売記者会見での発言だが、人生は「個人の歴史」でもある。これを踏まえて「人生を危険にさらせ!」と言っているなら若輩であっても侮れない。実際、筆者も自分の人生観は18歳になる前に確立して現在に至っている。

何かに熱中することは「自分の人生を作る」ことでもあるから、AKB選挙でカネや労力を見返りなしで費やすことも無意味ではない。自分が納得すれば人生の終盤に至って悔いは少ない。「少ない」としたのは「納得できないこと」でもやる羽目に陥ることが人生では少なからずあるからだ。ま・・それも人生。

ネットは何も2チャンネルの掲示板だけではない。リンクをたどって徘徊すれば実に様々な知見に遭遇する。この知見を若いときから体験しているとネット以前の世代と大きな隔たりができてくる。この「大きな隔たり」は同時にビジネスチャンスをも作る。IT企業で若い人が多いのは旧世代が序列のピラミッド社会に骨まで染まっているから、その間隙を新世代は埋めることができたからに他ならない。

旧世代でも序列のピラミッド社会になじまない者はフラットなネット社会を歓迎するのである。しかもフラットな社会は中小や零細企業が多い日本には占める割合も大きい。大企業や公務員だけで日本は成り立っていない。しかし、マスコミは日本が大企業や公務員だけで成り立っていると勘違いをして報道をしてきた。ここでも現実と思い込みの間隙ができる。インターネットはこの間隙を埋めるインフラにもなっているのだが、いざ、インターネットに慣れてくると、この間隙が実は当方もなく広く深いということに気が付いてくる。

現在は茶色い川に澄んだ青い川が流れ込んで二つの色を見せながら流れている大河と思えばよい。筆者らの世代でも新世代と呼ばれていた頃にはそれがあった。茶色の古い川色は軍国主義に染まった世代で、そこに民主主義を教えられた新世代が入り込んできた。川は簡単には融合しない。軋轢を所々で起こしながら年齢の性格から古い世代は消えていき、それによって若い世代が次第に優位になっていく。が、若いと思われていた世代も古い世代に変わっていく。

こういう新旧交代は時代の変遷によって起きるわけだから新世代は対立しやすい旧世代の時代状況を知らねばならない。本質を見抜くには大きな視点、広い視点が要る。これと対照しながら時代の出来事を観ていけば小さな出来事にとらわれて問題の本質を見誤ってしまうということが少なくなる。この対照をいとも簡単にやれるのがインターネットの世界だ。

簡単ということはそれだけ認識に時間を要しないということでもある。文学の世界と社会認識の世界は違う。文学は人を観察し人を知る世界であるが、社会認識は人を単純化して社会の営みを観る世界だ。個人の認識、全体の認識とどちらも必要な認識だがこの区別認識がないと感情と理性がごっちゃになってしまう。感情と理性がごっちゃになってしまうと現実で起きることへの対処もウロウロするばかりになってしまう。

人生もまた個人の全体である。生まれて死ぬという限定された時間軸を頭に置いて眼の前の問題を判断していかねばならない。時間は人の気持ちとは無関係に刻々と過ぎていくわけだが、この刻々と過ぎていく時間は体の変化にも現れてくる。一方、頭の変化は時間より体調の影響が大きい。病気やケガをすると苦痛で思考力など簡単に飛んでしまう。ふだん目にする言葉は元気か、それに準じる人が書いている言葉だ。しかも書いている人のほとんどは自分が元気だと自覚しないままに言葉を紡ぎ出している。そのために病人やけが人の言葉は社会に届きにくい。

AKB選挙のやり取りの感想からこういうところまで来てしまったが、今の若い世代で新しい部分は「現実主義」のところだ。あまり理想論とか思想などの観念主義に陥っていない層が増えてきた。合理的な社会を考えるとき、この「現実主義」は具体性を持って考えるから融和性があるのだ。「ネットからカネを集めるためには・・・」というところから始まって色々な事態や心理を考え、それに対処する方法論を作っていく。自分達の行動を撮影してユーチューブに上げる、という手段は確かに信頼感を与える。また、このやり方はネット発の政治運動などにも広まるだろうと思える。

本質は何だ?

『ルイス氏の講演を受け、コメンテーターである共同通信記者の澤康臣氏(早稲田大学 J-School「調査報道の方法」講師)が英国オックスフォード大学にて研究員として約一年間 過ごした背景から英国の調査報道を取り巻く状況を描写した。英国も経済的困難に直面し ており、地方紙の休刊・廃刊、記者の大量リストラ、それに伴う執筆量の過集中の現象が 表面化している。厳しい現状に対する新たな挑戦として、ベテラン調査報道記者が設立し、 寄付により運営されている英国型「調査ビューロー」を取り上げた。

 また、朝日新聞記者である奥山俊宏氏(J-School「調査報道の方法」講師)は、自身のア メリカン大学研究員の経験に基づき、非営利報道組織の日本における可能性について語っ た。米国とは異なり、日本には NPO への寄付の文化がなく、調査報道に対する一般の認識もまだまだ低く、非営利の調査報道機関の前例もない。こうした日米の環境の差を列挙して「日米の違いを言い始めると、きりがない」とする一方で、「共通点も多い」とも指摘。調査報道がもっともっと必要なのに、新聞・出版・テレビが構造不況に陥っている実情は日米共通で、また、文藝春秋の田中角栄金脈研究、朝日新聞のリクルート事件報道など調査報道の実績が多々あることや、早稲田大学 J-School など大学発の報道の試みが今年始まったことでも、日米は共通していると指摘して、可能性を示唆した。』

http://www.waseda-j.jp/archives/128

調査報道

『あるテーマ、事件に対し、警察・検察や行政官庁、企業側からの情報によるリーク、広報、プレスリリースなどからだけの情報に頼らず(これを中心情報とする報道は発表報道)、取材する側が主体性と継続性を持って様々なソースから情報を積み上げていくことによって新事実を突き止めていこうとするタイプの報道。

日本の官公庁などに記者クラブがあるため、大手マスコミが発表報道に陥りやすく、調査報道をしようとするフリージャーナリストが取材活動しづらいと指摘されている。

北海道新聞の高田昌幸によれば、一介の個人には出来ない組織や権力者(警察、検察、官庁や大企業、大政治家)が絡む調査報道の目的は以下のことにあるという。

取材した中身を相手側にテーブルの上に出してみせる事

書きっ放しにせず、書かれた相手に報道内容(往々にして不祥事などデメリット)を事実だと認めさせる事

読者の為に書く事

ただし、2については、書かれた相手が反社会的勢力(暴力団、右翼団体、左翼団体)の場合は、「自分たちにデメリットな報道内容を事実だと認めさせる事」が、政府機関や一般組織や大政治家と比較して難しいことが多い。

調査報道は取材による手間とコストがかかる手法でもある。またそうして取材で手間とコストをかけたが取材結果が既存の公開情報と同じで新事実が出てこなかった場合、取材による手間とコストに見合うスクープという利益が得られないことになる。』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A0%B1%E9%81%93

この場合の「調査報道」という言葉は週刊誌記事で普通に今までやってきていた。ニュースサイトがNPOに向かうのは報道の中立性を維持するという面で必然的な流れだ。しかし報道の寡占バブルで高給をもらっていた朝日や共同の記者は「非営利団体になったら自分の給与はどうなる?」と、こちらの方が心配だろう。ま、今からNPOの平均所得を調べておくことだ。

「カネを儲けたかったら報道記者や学者にならず、事業家になれ!」と言うしかない。実際、NPOで仕事をしている者の多くは義務感に駆られて仕事をやり、所得は二の次だ。自分より社会を考え、社会に貢献したいという自分の「生き方」を大事にしている。こういう姿勢を大マスコミ記者諸君は持っているか?だ。持っていれば「マスコミ寡占」という「報道と対立」する状況を自分から崩す。これはそのまま所得を公開した京大教授にも言える。自分の問題となると突然、論理破綻のことを言い出す。所得の意味をまともに考えたことがない。

政治改革が本丸ならまず外堀を埋めなけれならない。今までは新聞テレビを独占していた大マスコミが報道を独占していたが、インターネットが登場してきた現在、大マスコミを飲み込んでしまう超巨大メディアと化して、極端なことを言えば全人類が報道記者になった。あらゆる業種や業務に従事している者が自分の周りに起きていることを書けるのである。「書く」「映す」「流す」という報道の基本でネットにはあらゆる記事が溢れている。しかも無料だ。これでは既存の新聞・テレビ・出版では太刀打ちができない。この事態に呆然としているのがそれらの業界人であるが、こういうことはネットが登場した時点で十分に予測できたのだ。

ネットの報道の在り方については筆者もこのブログで実験中だ。

「調査報道」とまではいかないがリンクを使うことによって単発の記事以上の掘り下げができる。「プーチンをやっつけてやろう」という意図があったかどうか知らないがパナマ文章の漏えいでプーチンが打撃を受けることはわずかだ。ロシア国民はプーチン以前のマフィアが横行していた時代を覚えているのである。

ロシアンマフィア

『ロシア系の犯罪組織の総称。グルジア、アルメニア、アゼルバイジャンなどといったロシアの近隣諸国のマフィアもロシア国内に存在し、これらもまたロシアンマフィアと言われることがある。

ロシアンマフィアはソビエト連邦末期の混乱期から活発化したと言われるが、多民族国家を反映してロシア系、チェチェン系などあって統一されているわけではなく、単にロシア国内の犯罪組織がロシアン・マフィアと呼ばれている。いっぽう犯罪者とは行かないまでも、共産党政権崩壊後に国有財産の払い下げを受けて財閥に成長した寡頭資本家層(オリガルヒ)もマフィアと呼ばれるなど、その定義は確立されていない。

ロシア内務省の報告によると、組織の数は5600以上にも及び、構成員の数は10万人以上である。しかも今やロシアGNPの40%を、こうした犯罪組織が稼いでいるとも言われている。CIA(アメリカ中央情報局)などの調べによると、ロシア国外では現在、約200もの組織が南北アメリカやイスラエル、東ヨーロッパおよび中央ヨーロッパを中心として全世界58カ国で活動している模様である(2008年時点)。

闇市場のブローカーから手を広げたロシアンマフィアの主な活動は、小規模な組織なら恐喝、売春などを主に行う、逆に大規模な組織なら国営企業や民間企業の乗っ取り、薬物売買、マネーロンダリング、武器の密輸などを行う。 ロシア国内にあっては、中部地方、シベリア地方、ウラル地方、南部地方で組織の数が多い。』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2

最近のウィキペディアはグーグルに負けず劣らず重要な社会インフラと化した。ウィキペディアに対して否定的な意見もあるが、これは「ネットは便所の落書き」と嘲笑したマスコミの見識と同じだ。「便所の落書き」となれば政府サイトも哀れなものになるが、もちろん、そんなことはない。哀れな方は「便所の落書き」と嘲笑したマスコミの見識の方だ。

日記でも評論でもどっちでもいいが、ブログはリンクを使うことで記事を紹介し、それによってニュースサイトに近い性格を帯びてくる。

考えというのは単独で成り立ってはいない。「考え」が生まれて来るには必ず「考え」を生む背景がある。リンクができなければこの背景説明で文章全体の8割くらいを占めてしまう。読みたいのはその人の考えなのに、実際には説明ばかり読まされるという事態も起きる。この説明をあっさりと省略できるのがリンクだ。

リンクされた元記事を読んでその人の考えと違う受け止め方になることもある。だからブログ記事に同意できないときは元ネタを読む。同意するならリンクされた元記事に飛ぶことはしない。次の論理の展開を期待するだけだ。これによって3文記事に見えた情痴話も他の関連記事に移っていくと、3文どころではない重大な内容を含んでいることに気が付くこともある。背景に社会問題が絡んでいる場合はそうなる。

単発の報道記事ではこの深みが出てこない。関連性もない記事の羅列では記事の重要性に気が付かない。気が付かないから社会問題にも政治問題にも発展せず、漫然と時間つぶしだけの読み方になってしまう。これが報道寡占の報道であり、番組であった。別話みたいに思えるがアイドル世界でもこれがある。AKBが人気になったのは関連性を追えるからであり、追える情報がネットに氾濫していたからだ。乃木坂でも欅坂でもこの面ではAKBを踏襲しているし、情報を出し渋ったら人気も比例して落ちていく。目先の収益か?長期的な収益か?当事者は頭を悩ますところだ。

出来事は千差万別だが形は似ているものだ。人間が人間であるのは形で判別しているからで、猫の形をしているのに「人間だ!」と言う人は頭がおかしい。しかし屁理屈は何とかして「この猫の形をした動物は、実は人間なのです。その証明として・・・」と訳の分からないことを言い出す。

こういう話なら笑えるが現実の社会ではこういう屁理屈が横行しているから笑えない。一刀両断で物事の本質を掴み取れと思うが、それにはやはり煩い人間のためにリンクが要る。重箱の隅をつつく者が必ず現れる。物事の本質を掴めない考え方があるのだと思う。

「ヘイトスピーチ規制法」の危険性

「歴史が先で現実は後」ということは空想に生きる病人だ。

『在日韓国・朝鮮人は、日本の外国人のうち、韓国・朝鮮籍 の人のことであり、日本国独立行政法人統計センター発表の統計によれば、2015年6月末現在、このうち統計上「在留外国人(韓国・朝鮮)」(総在留外国人(韓国・朝鮮) とは別)として表される韓国・朝鮮籍の「中長期在留者」及び「特別永住者」の合計は497,077人、そのうちしばしば「在日」と略称される韓国・朝鮮籍特別永住者は350,408人となっている。(外国人登録制度が廃止されたため、2012年7月以降の統計においては、「外国人登録者」が、「在留外国人」に置き換わった。)また、韓国に本籍地があっても朝鮮籍のままの者もいるため、北朝鮮地域を本籍地にしている者は2010年末時点で2,589人に過ぎないが、朝鮮籍保持者は3-4万人程度いるとみられている。

主要五カ国の在日外国人国籍別滞在者数の推移

長年に亘り日本定住外国人の最大勢力であったが、帰化と死去による特別永住者の減少が続き、2007年度、急増する在日中国人を下回った。

併合時代に朝鮮から内地に渡航し、そのまま日本に定住した者、およびその子孫と、戦後、朝鮮戦争などの戦火から逃れるために、荒廃した朝鮮半島より日本に密航した20万から40万と推定される密航者 およびその子孫の多くはその後特別永住資格を付与され、旧日本国籍保持者としての背景から日本の外国人の中で特殊な地位を占めている。』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%83%BB%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA

以上抜粋のウィキペディア「在日韓国・朝鮮人」の記事は非常に長いが、この抜粋部分が「現実」の記述。この勢力が中心となって「ヘイトスピーチ規制法」を法制化しようとしてきたが、ここで「「ヘイトスピーチ規制法」与党案がおかしいこれだけの理由」という記事を読んだ。

http://hbol.jp/90252/4

この主張は本質的なことを覆い隠している主張だ。「在日韓国・朝鮮人」の経緯、つまり歴史だが、「ヘイトスピーチ規制法」が問題になるのは「在日韓国・朝鮮人」と韓国や北朝鮮の関係性にある。この関係性は現在と直接かかわっているので「主権は誰を対象にするのか?」という問題にもなってくる。ここで、「在日韓国・朝鮮人」のポジショントークが出て来る。このポジショントークには「社会」が優先されていない。「日本社会で在日韓国・朝鮮人を特別扱いしてくれ」という自分本位の考えを正当化することに終始している。

社会には「在日韓国・朝鮮人」も日本人も関係がない。社会をシステムとして考えるとそうなる。どのような仕事でも選択の自由があるから人種・民族は関係がないということなのだが、しかし「主権」という「現実」の問題で「関係性」が出て来る。外国籍の人物は外国に主権を有しているのだ。しかも韓国や北朝鮮は現に「反日教育」をやっている国である。日本との親和性を拒んでいる国だ。その「反日教育をしている国」と関係性を持った国籍を有している人物・集団が「日本の政治に加えろ!と要求している。

社会の大前提は「通貨」でも触れたが「信用」にある。「在日韓国・朝鮮人」は「信用」できるのか?問題はこの1点だ。

この「信用」について『ヘイトスピーチ規制法」与党案がおかしいこれだけの理由』は一言も触れていない。歴史的経緯をいかに詳細に述べようと「社会的信用」がなければ「詐欺師の騙し」と受け取られても仕方がない。ましてや反日国家と関係性がある集団なのである。日本の政治に入り込んで内部攪乱をする動機が潜在的にある。この疑いを晴らすには「これだけ日本社会に貢献してきました」という事例の列挙が必要だ。この列挙ができるのか?できるならやった方がいいし、筆者も知りたい。

日本は「知と技術の要塞」を構築できる国だが、要塞にするためには内部攪乱の警戒が絶対に必要なのである。人は外敵だけでなく病気という内部の敵でもやられてしまう。病気にかからないためにはどうすればいいか?その答えは国家にそのまま当てはまる。健康な体を作るのが病気の対象法として一番だから「健康な国を作るにはどうすればいいか?」を筆者は考えてこのブログを書いている。正直の話、筆者にとっては韓国も北朝鮮も中国もどうでもいい国だし、またその国の人間が自分達の国について考えればいいことで、これが「主権」の持つ意味だ。

「ヘイトスピーチ規制法」はその意味で怪しすぎる法案だ。

「パナマ文書」と「国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)」

『世界騒然の「パナマ文書」、なぜ日本のメディアは本格的に報じないのか?

この騒動の火付け役とも言える「南ドイツ新聞」(Süddeutsche Zeitung, 略称:SZ)が開設する” About the Panama Papers”という特設サイトによれば、昨年の8月に匿名の情報提供者がSZに接触にしてきたことがすべての発端だという。

 この情報提供者から、SZは2.6テラバイトを超えるデータ受け取った。同じデータはワシントンに本部を置く国際調査報道ジャーナリスト連合(International Consortium of Investigative Journalists 略称:ICIJ)にも提供され、SZとICIJは昨年暮れから共同調査を開始したらしい。

 その結果、現在までのところ、税金逃れのためにオフショアの金融機関を利用していた21万社以上の存在と、株主やオーナーたちの数万名分の名前が明らかとなった。

 4月3日にICIJが公開した「パナマ文書:実力者たち」(Panama Papers The Power Players)と題された特設ページには、各国の元首級の人物や閣僚たちなど、50か国以上の政界の有力者たちの名前が並ぶ。』

http://hbol.jp/89907

『「パナマ文書」の謎を解明した「国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)」は世界のジャーナリストが集まった組織であるが、運営の為の維持費用が要る。そのスポンサーは誰なのかという疑問が沸く。このICIJのスポンサーに「オープンソサエティ財団」、すなわちジョージ・ソロス資本の組織が名前を連ねているのだ(参照「ICIJ」)。ソロスが噛んでいるとなれば、彼は何らかの意図なしには動かない人物。一連の騒動も俄然様相が変わってくるだろうという見方をする声が挙がっている。(参照「El Robot Pescador」)

米国の「タックスヘイブン」覇権狙い説

 またもうひとつ話題になっているトピックスがある。

 現在、世界で租税回避地(タックス・ヘイブン)として最も成長しているのはどこだかご存知だろうか? 実は、米国のネバダ州とワイオミング州とサウスダコタ州なのである。これは、銀行口座開設に関して政府間で情報交換できるように経済協力開発機構(OECD)が策定した共通報告基準(CRS)に米国が署名していないことを利用して、海外の富裕層が法人税のないネバダ州・ワイオミング州、サウスダコタ州に資産を移しているのだ。
ネバダ州のリノ市にはロスチャイルドが信託銀行を開設し、各国の富裕層は他国のタックスヘイブンに隠しもっていた資金をネバダに移動させているという。(参照「Bloomberg」)

 こうした事情を受けて、今回のパナマ文書は「米国のタックスヘイブンを更に進展させよう」というものなのではないかと見る向きもいる。すなわち、他国のタックスヘイブンの国を間接的に攻撃して、そこに隠されていた資金を米国に移動させるという狙いがあるという説だ。』

『ウィキリークスも陰謀論を煽る!

 ウィキリークスもこうした「陰謀論」的な見方を後押ししている。

「パナマ文書」は米国の〈組織犯罪や汚職報告プロジェクト(OCCRP)によって組織され、国際開発庁(USAID)によって資金が賄われて誕生したものだ〉と発表したのだ。(参照「HispanTV」)。USAIDは当然米国国務省の指示で動いている。』

http://hbol.jp/90112/2

「国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)」

『センター・フォー・パブリック・インテグリティ(英語: The Center for Public Integrity、略: CPI)とは、アメリカ合衆国の非営利の調査報道団体である。

CPIの使命は「力のある公的機関や私的組織による権力の濫用や汚職や義務に対する怠慢を暴き、誠実かつ高潔で説明責任を備えた公益第一の運営がなされるようにする」事である[1]。CPIには50人以上のスタッフがおり、アメリカ合衆国の無党派・非営利の調査センターの中では最大の組織の1つである。CPIは自らを「党派に属さない、擁護活動をしない」組織と表現しており、進歩主義や無党派性、独立性 、自由主義グループを特徴としてきた。

創立者 チャールズ・ルイス
団体種類 501(c)(3)
設立 1989年3月
所在地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ワシントンD.C.
910 17th Street, NW, Suite 700
主要人物 ウィリアム・ブゼンバーグ、執行役員
ブルース・フィゼン、会長
主眼 調査報道
活動手段 財団と会員のサポート
ウェブサイト www.publicintegrity.org        』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3

CPIはウェブサイトで発表した記事を、全米や世界中のメディア・アウトレットに配信している。2004年にはCPIの書籍「The Buying of the President」(買収される大統領)がニューヨーク・タイムズで3ヶ月間ベストセラーになった[9]。

CPIの日本語訳は定まっておらず、センター・フォー・パブリック・インテグリティ[10]や公益擁護センター[11]、公共性保全センター[12]、社会健全センター[13]など様々な表現がなされている。また調査報道NPO[10]と呼ばれることもある。

『チャールズ・ルイス (英語: Charles Lewis、1953年10月30日 - )は、アメリカ合衆国のジャーナリストである。

ABCニュースやCBSニュースの60 Minutesの元プロデューサー。1989年3月、非営利の調査報道団体センター・フォー・パブリック・インテグリティ(CPI)を創設。2008年、アメリカン大学大学院「調査報道ワークショップ」(en:Investigative Reporting Workshop)を設立、現在、担当教授を務める。ジャーナリズムの核心部分である調査報道を非営利の形で実践してきた先駆者とされる。』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9_%28%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%29

『J-Schoolシンポジウム第 2 弾「ジャーナリズムの新しいかたち~非営利化するメディア と調査報道の可能性~」が 12 月 10 日午後、早稲田大学大隈小講堂で開催された。学生や 研究者、メディア関係者ら約 150 人が参加した。既存のメディア企業の危機に直面してい る米国で、NPO(非営利組織)の調査報道組織が増えている現状が報告され、刺激的な内 容のシンポジウムとなった。

 基調講演者は、米国ワシントン DC にあるアメリカン大学大学院の「調査報道ワークシ ョップ」担当教授のチャールズ・ルイス氏(Charles Lewis)。1989 年に非営利報道組織「セ ンター・フォー・パブリック・インテグリティ」(CPI)を創設し、2008 年に、今度は大学 を拠点とした非営利報道組織「調査報道ワークショップ」を設立し、ジャーナリズムの核 心部分である調査報道を非営利の形で実践してきたフロントランナーだ。

 基調講演では、CPI が 2000 年に米エンロン社とブッシュ前大統領との資金関係をスクー プするなど、非営利組織で試みてきた調査報道の実績を紹介するとともに、非営利組織の 長所と短所、寄付金を提供してくれる財団との関わりを説明した。自由に活動ができる非 営利組織は、技術的発展との親和性も高く、独立性が担保されているために調査報道に適 していると指摘した。』


http://www.waseda-j.jp/archives/128


輪郭がまだイメージできていないので関連記事を載せておくことにした。ちなみに筆者はワードパッドを下書きに使っているので、アドレスを下書きの中に貼り付ければウェブサイトに簡単に飛べることができる。これでワードパッド文章を自分用のデーターバンクにできた。抜粋した記事があるのでそのサイトがどういう内容かも掴みやすく中々便利だ。下書き=データーバンク資料なのでブログを書くこと自体がデーターバンク構築となって無駄がない。ブログをやっている人にはお勧めだ。

人工知能利用は法律から

『ゴールドライセンスと呼ばれた医師や弁護士についても神戸大学名誉教授で『人類を超えるAIは日本から生まれる』の著者の松田卓也氏はこう言及するのである。

「医療現場でも、IBMのAI、ワトソンによる診断の正答率は、人間の医師を上回ったという結果が出ています。患者のデータをワトソンに入れると、どの病気に罹っている確率が何%で、候補となる治療法は何か、などと教えてくれるアプリケーションを、IBMは開発しました。ただ、人間は心情的に、ロボットに診断されたくないから、患者とコミュニケーションをとる医師はいなくならないでしょうが、医師を補助するAIが活用されるようになる。弁護士も同様で、アシスタント業務を行うパラリーガルという職種には、AIが使われるようになるでしょう。医師も弁護士もAIが持つ知識をもとに判断するようになる。今のように膨大な知識を獲得して難しい試験をパスする必要がなくなり、医師も弁護士も価値が下がって、給料は低くなるでしょう」
■“技術的特異点”はいつか

 ところで、進化を重ねた人工知能が、人間よりも頭がよくなってしまう時点は“技術的特異点”と呼ばれる。これまで、2045年ごろに訪れるのではないか、と言われていたが、

「私は自分の講演会で、よく会場の方々に“AIが人間を超えるのはいつになると思いますか”と聞きます。以前は“2040~60年”という回答が多かったのですが、最近は“2026~40年”と答える方が多い」』

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160410-00507156-shincho-sci

人工知能を一番最初に使うべきは裁判の場である。膨大な法律の数から該当案件を的確に見つけて取り出せるのはコンピューターが適しているし、しかも機械だから中立性を備えている。この中立性は公平さと直結するので判決に対して不服の論拠を見出すのは容易ではない。これによって裁判の迅速性は飛躍的に高くなる。訴訟の段階で類似訴訟の結果を知らされるからよほどの新たに判例を求める訴訟でない限り裁判所の前から引き返すことになる。

法律をコンピューター化すれば政治問題になる相当数の問題も一挙に解決してしまう。しかし同時にこれは選良主義から大衆主義に社会が移行することを意味するので権力のピラミッド構造が全力を挙げて抵抗してくる。が、所得の2極化という現況によって抵抗すればするほど強い逆風となり、結局はコンピューターの前で抵抗を失う。コンピューターは機械なので誰が相手でも機械的に答えを出し、私欲という感情がないから公平さの面でも決定的に人間に勝る。

ではコンピューターを中心に置いた思考方法はどうなるのか?これはもう「技術主義」以外ではありえない。地域的特性がデーターに入っているなら日本全土を俯瞰して適所適材をするように求めてくる。このコンピューターの要求には圧力団体が介入する余地はない。これによって政治は圧力団体を背景にした偏向が消えていく。これもコンピューターによる公平な政治の実現だ。

中心にコンピューターを据えれば社会のあらゆることがネットワーク化して日本は知と技術の要塞と化した国になる。それも「短時間に」だ。こういう国になるから全国民にパソコンを配布しなければならないと筆者は主張している。パソコンは個人の情報基地でありスマホは情報を受け取るツールと認識すればパソコンからスマホへという流れはありえない。その流れが起きているが、社会の情報化が進むにつれて改めてパソコン回帰が始まると観ている。

実際、筆者の仲間はノートからデスクトップに置き換えてデスクトップの快適さに感心しているのである。むしろノートパソコンの代用になるのがスマホだ。パソコンが個人の情報基地となるならスマホで自分のパソコンにアクセスすれば自分が持っている情報はすぐにでも引き出せる。となればノートの独自性がどんどんと薄れてしまっていく。ツールなのか?基地なのか?どっちつかずになってくる。果たしてパソコンメーカーはこのことについてどこまで認識しているのか、パソコン店に並ぶ機種を見ると怪しい限りだ。

政治を変えるのは外からだけでなく、内側からも変えることができるし、現実には外も内も同時進行で政治は変わっていく。当然であって政治家であろうと社会から孤立した人間ではないからだ。そうなると政党の名前は同じでも中身の政治家は別人ということも起きる。大きな文明の波ではそうなってしまうのである。

有権者の考えるべきこと、採るべき行動は「情報時代」の認識を持たない候補者を当選させないことだ。当選しないという現実を見て政治家は考えや行動を慌てて変えていく。政党よりも自分なのである。もちろん情報時代を見据えた候補者が現れるに越したことはないが、新たな政治家や政党を待つ時間はもうない。我々一般人ができることは情報時代の波を大きくすることであって、政治家不適格者を落選させることも立派に優れた政治行動なのだ。

政治批判から政治を変える方向へ

『ヴィクトール・クレンペラーは、後に著書『第三帝国の言語「LTI」―ある言語学者のノート』において、ナチスの言語とのかかわりについて述べた。結論としては、ナチスのレトリックが人々に影響を与えたが、これは個々の演説やビラなどによるものではなく、ナチ的イメージが刷り込まれた常に同じ概念や常套句を、判で押したように繰り返すことによるものであった、とした。

1933年以前のナチスのプロパガンダ

「大衆動員」を達成するため、政治活動の重点はプロパガンダに置かれた。ヒトラーは『我が闘争』で既に以下の原則を編み出していた。

テーマや標語を絞る
あまり知性を要求しない
大衆の情緒的感受性を狙う
細部に立ち入らない
信条に応じ何千回と繰り返す

こうしてナチ・プロパガンダの定式が決まり、ナチの装置として最も成功した武器となった。

ナチのプロパガンダと相対する概念であったのが、他の民主主義政党の採った方法であり、理性的な論拠に基づき政策を広報していた。ナチのプロパガンダは、説明を意図的に放棄する代わりに、非理性的なもの、感情が左右する「敵か味方か」という類型に訴えかけるものであった。

集会での演説は、1933年までナチスにとって最も重要な煽動の手段であった。ここで目的とされたのは、具体的計画を示し、選挙公約や政治目標を説明することではなく、曖昧模糊としたナチズムへの「漠然とした信仰」を普及することにあった。来る将来展望の点については、宣伝担当者は処方箋通りに、万人に全てを約束したが、具体的な明言は避けた。』

https://mamorenihon.wordpress.com/2015/06/07/%E3%80%8C%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%89%8B%E5%8F%A3%E3%80%8D%E5%A4%A7%E8%A1%86%E6%93%8D%E4%BD%9C%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%91%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80/

「大衆操作」はナチ党に限らず新聞・ラジオ・テレビ、あるいは集会でほとんど教科書のような方法論が出来上がっている。実際、この方法論は効果があるので政治や企業広告などで現在にまで脈々と受け継がれているわけだが、インターネットの登場によってこの方法論が怪しくなった。

怪しくなった理由は蛇口の多様化だ。新聞にしてもテレビ・ラジオにしても大衆を操る情報源はそれまでひとつであったから宣伝報道に加えて「こういう言説は流さないでもらいたい」と通達すれば都合の悪い言説も消えた。しかしインターネットになると大衆参加であるために情報を流す蛇口がムチャクチャ増え、これでは通達などやりようがなくなってしまう。だから今度は「都合の悪い言説」を打ち消す作戦を追加してきた。実際、ネットパトロールでそれをやっている会社がいくつもある。

しかし産業が発達し、産業のやり方を仕事などで日常生活に入り込んでくると「大衆操作」とは別に「システム運営の方法論」が出て来る。「システム運営」は感情よりも理性だ。水道の水が出ないからと怒っても仕方がない。断水には必ず原因があり、その原因を探るにはシステムの流れを見ていくしかない。

システム思考は経済や政治論とは全く違う技術思考だ。目的を明確にして最適手順を考えるのが技術思考であるから、カネの動きでもカネの定義をまず明確しないと「カネをどのように動かすか?」というシステムも作れない。「カネの定義」としたのは現在ではポイント制などの疑似通貨が出てきたからだ。例えばグーグルの管理世界でグーグルのみに通用するポイントを作れば、その流通するポイント数だけ実際の社会での本物の通貨量は減る。これが商店街レベルなら影響もほとんどないが、ひとつの国をしのぐポイント通貨量なら疑似通貨が限りなく本物に近づいてしまう。

『政府は4日、インターネット上の決済取引などで急速に市場が広がるビットコインといった仮想通貨に対する初めての法規制案を閣議決定した。仮想通貨が「貨幣の機能」を持つと認め、オンライン決済などにも利用可能な公的な決済手段に利用できると位置づけた。仮想通貨の取引所を登録制にして監督強化することも盛り込んでおり、利用に弾みがつきそうだ。』

2016/3/4 10:31 日本経済新聞 電子版
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGC04H01_U6A300C1MM0000/

『健康商品販売会社「エル・アンド・ジー(L&G)」は「100万円で年利36%」をうたい文句に多額の出資金を募り、2007年1月から利息払いを現金から疑似通貨「円天」に変えたが、資金繰りが悪化、円天での配当も止まった。円天とは会員が振り込んだ現金に応じて発行するポイントのようなもの。円天市場と称して全国の高級ホテルなどで食料品から宝石類までが出品され「円天」で取引された。「使っても減らない通貨」などと売り込み、電子マネーにも似た手法でインターネット販売も宣伝した。この詐欺まがいの商法に全国で主婦らを中心に約5万人がだまされ、同社が集めた金は1000億円を超すと見られる。警視庁は詐欺容疑も含め出資法違反(不特定多数から資金を預かることを禁じた預かり金の禁止)で強制捜査に着手した。

(篠崎悦子 ホームエコノミスト / 2008年)  』

『1877年(明治10年)西南戦争に際して、西郷軍は薩摩商人からの軍費調達の必要が生じ、士族商社の「承恵社」「撫育社」によって発行された承恵社札を用いて六万円を調達した。承恵社札は五円・一円・半円の三種があったとされる。

その後、軍資金不足に陥った西郷軍が、1877年に発行したのがいわゆる「西郷札」である。「札」というが、実際は布製の「布幣」であった。寒冷紗を2枚合わせて、その芯に紙を挟み堅固にしたものであった。通用期間三年の不換紙幣であった。十円(淡黄色)・五円(鼠色)・一円(浅黄)・五十銭(淡黄)・二十銭(黄色)・十銭(藍色)の六種が存在したが、発行当初から信用力に乏しく、少額札は多少の流通があったと伝えられるが、十円、五円等の高額紙幣は西郷軍が軍事力を背景に実効支配地域内で無理矢理に通用させていたものであった。

西郷札は、西郷軍の敗北とともにその価値を全く失い、明治政府からの補償もなかったため、西郷札を多く引き受けた商家などは没落するものもあったといわれているなど、西郷軍の支配下にあった地域の経済に大きな打撃を与えた。なお「承恵社札」は翌1878年(明治11年)に償還された。』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%B7%E6%9C%AD

我々が当然のように手にしているカネもこういう事例がいくつもあって「カネ=信用」で成り立っている事実を改めて知る。冒頭での「大衆操作」も突き詰めれば「信用」に行き着く。国家も企業も人も最後には「信用」という形で軽重が出て来る。この「信用」の裏打ちをするのが専門学者などの「権威」であって、「権威」の役割は「問題を解決できる人、あるいは機関」ということになる。逆に言えば「問題解決ができない」人や機関は「権威」になりえないのだ。

ところが社会が安定して社会システムも問題なく運営できている状態になっていると「権威を問う」必要性が希薄になってくる。この「希薄さ」で「権威」の中身も権威に値しなくなり、「権威」の名前だけが独り歩きをするようになる。

インターネットの登場で「権威」の効力が失われたのは中身が伴っていないことを皆が知りだしたからだ。「問題を解決できない権威はありえるのか?」という疑問から「そんなのは権威でも何でもない」とう結論にたどり着くのは早い。では権威に替わる指針を何にするのか?この答えは「事例集」でしかない。裁判での判例集が仮想裁判の答えとなっているのと同じだ。法律があっても実際の紛争で答えが出るのは裁判だから、その「判例」から直面する問題を判断する。

もちろん「事例」は膨大な数になるのだが、この膨大な数をいとも簡単に整理してくれるのがコンピューターである。インターネット自体、日々、膨大な数の情報が蓄積されているわけだが、この発達を見越した「検索」ビジネスは慧眼である。次の時代は「検索」によって似た事例を引き出し、引き出した事例と照合して直面する問題を解決していく政治に変わっていくはずだ。

ここで「大衆操作術」のひとつである「細部に入らない」手法が砕けてしまう。事例を持ってこられると否応なく細部に立ち入るしかないためだ。細部の事例に入れば曖昧な主張や言い逃れはできなくなってしまう。「水道の水が流れないのはここが詰まっているからだ」と誰かが指摘すれば、「水道局が悪い!政治が悪い!」と叫ぶ人間がアホに見えるし、実際にそれを野党がやっているから野党もアホの集団に見えている。

政治は批判から政治を変えていく段階に入っていると思う。

パナマ文書日本関連

『英領バージン諸島や中米パナマなどの租税回避地は、税金逃れやテロ・犯罪資金の秘匿に使われているとされ、国際的な対応が急務とされている。

 文書は大手銀行や法律事務所、仲介業者と連携し租税回避地での法人設立を代行するパナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」のもので、ICIJは南ドイツ新聞を通して入手し分析した。

 それによるとプーチン大統領の古くからの友人であるチェロ奏者ロルドゥギン氏や、同氏の口座を管理するゴルジン氏らは、二〇〇八~一三年、主にキプロスのロシア商業銀行から融資を引き出し、バージン諸島に設立した複数の企業を経由させながら関係企業に移し、取引総額は約二十億ドルに達した。

 〇九~一〇年にはこのうち計約九億五千万ドルがゴルジン氏所有の企業から返済能力のない複数の会社に融資されている。通常ならば問題融資は当局の検査などで把握できるが、租税回避地では協力を得にくい。専門家は「経済活動として理解できない」とマネーロンダリング(資金洗浄)目的だった可能性を指摘する。

 ロシアのペスコフ大統領報道官は「(ICIJによるプーチン氏への)攻撃であり、でたらめだ」とコメント。ロシア商業銀行は文書で、ロシア有力者への便宜供与などを否定した。

 「失われた国家の富」の著書がある経済学者ズックマン氏は「これらの調査から、悪質な慣行が(租税回避地に)いかに根深くはびこっているかが分かる」と強調した。 (共同)』

『◆セコム創業者ら、株700億円管理

 ICIJなどが入手した内部文書の分析からは、警備大手セコムの創業者や親族につながる複数の法人が一九九〇年代に租税回避地につくられ、当時の取引価格で計七百億円を超す大量のセコム株が管理されていたことが分かった。

 創業者は取締役最高顧問の飯田亮氏(83)と元取締役最高顧問の故戸田寿一(じゅいち)氏。複数の専門家は「この仕組みで親族への相続税や贈与税がかなり圧縮できるはずだ」と指摘した。

 セコムコーポレート広報部は取材に「税務当局に詳細な情報開示を行って、適正な税金を納めている。課税を免れるためのものではない」と書面で回答。ただ、情報開示や納税の具体的内容に関しては説明を避けた。

 文書はセコム株保有にかかわる各法人の役割を説明した書類や法人の定款、株主名簿など。日本と英国の弁護士やパナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」が協議していた。創業者の死後に備えセコム株を親族らに取り分けておくことなどが目的と記されていた。

 文書によると、法人が設立された租税回避地は英領バージン諸島、ガーンジーで、飯田氏や故戸田氏は法人を使い大量のセコム株を間接的に管理する仕組みを構築。これに伴い両氏が直接保有するセコム株は大幅に減少した。

 さらに株の一部は、両氏の親族につながる租税回避地の法人がそれぞれ管理する形とした。法人間の取引は贈与にならない。』

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201604/CK2016040402000130.html

パナマ文書に載ってた主な日本企業
バンダイ
大日本印刷
大和証券
ドリームインキュベータ
ドワンゴ
ファストリ
ジャフコ
JAL
石油資源開発
丸紅
三菱商事
商船三井
日本紙
双日
オリックス
日本郵船

https://twitter.com/rockhound_/status/717353657470029825

『これは、世界全体で匿名オフショア企業の販売を回避しますパナマの法律事務所です。 これは、プロモーターに彼らのビジネスの詳細を隠すのに役立ちます。 同社は、世界中の多くのオフィスを構えています。 今のところ、それは、彼らが設立している多くの企業を扱っ販売し、他の人を管理しています。 これは主に、チューリッヒ、ロンドン、香港、などのような都市で取り組んできました。

Mossackフォンセカは、約$ 1000の少量のために多くの匿名の企業が販売しています。 任意のクライアントが任意の追加料金を提供している場合は、会社が偽(ニセ)ディレクターを提供し、クライアントが望むなら、さらに、それが真の株主の身元を隠すことができます。 このように、法律事務所は、オフショア会社の所有者の正体を隠し、源泉徴収のビジネスです。 』

『パナマ・ペーパー 日本 企業数・顧客数・受益者数・株主数
https://twitter.com/jdgonbay/status/716814175914344448
https://briankilmartin.cartodb.com/viz/54ddb5c0-f80e-11e5-9a9c-0e5db1731f59/embed_map

日本ではこのパナマ文書に関与する対象は以下

1、企業数 24社
2、顧客数 10人
3、受益者数 45人
4、株主数 360人』

グーグル翻訳を使って日本語化した「パナマ文書」サイト。(注:文字化けの可能性あり)・・・・アドレスを貼ったがちょっとまずいので削除した。自分で翻訳することを勧めたい。該当サイトのアドレスは下にある。

グローバル化した企業、あるいは政治家を含めた資産家は何をするか?今後、参考すべき資料に「パナマ文書」はなると思う。またマスコミはこれをどのように報道するか?あるいはまったく報道しないか?でマスコミの正体も暴露される。詐欺師は正体が解ったら詐欺の手口自体が信用されない。

ちなみに文章を保存するサイトアドレスは以下の通り。

http://alfalfalfa.com/articles/149155.html

今回は記事紹介にとどめる。

日本の政治改革

『すべての企業が単純に利益の38.01%の税金を払うわけではない。各社は租税特別措置による優遇税制や国際的な節税スキームを駆使することなどにより、課税べースである課税所得を大幅に縮減させている。このため、実際に払っている税金は想像以上に少なく、その実際の負担割合である「実効税負担率」は名目の「法定実効税率」38.01%の何分の一、何十分の一という企業も少なくない。

 たとえば、税負担率の低い大企業1位の三井住友フィナンシャルグループは税引前純利益1479億8500万円であるにもかかわらず、法人税等支払額はなんと300万円。実効税負担率は0.002%にすぎない。

 また、税負担率の低い大企業2位のソフトバンクは税引前純利益788億8500万円をあげながら、法人税等支払額は500万円。実効税負担率は0.006%。

 他にも、税負担率の低い企業は有名企業が目白押しだ。冒頭であげた三井住友やみずほ、三菱UFJといった金融系の大企業のほかに、7位にはカジュアル衣料品のユニクロを手掛けるファーストリテイリングが名をつらねているが、同社の税引前純利益756億5300万円に対して、法人税等支払額は52億3300万円で実効税負担率は6.92%。8位はプロ野球チームも所有する金融サービス会社・オリックスだが、税引前純利益1725億1800万円であるにもかかわらず、法人税等支払額は210億100万円で実効税負担率は12.17%である。』

『税金を払わない巨大企業』富岡幸雄/文春新書

http://lite-ra.com/2014/10/post-513.html

『中央大学名誉教授である著者は「税の専門家」として、企業負担が軽すぎる日本の税制の不公平さを指摘してきた。「大企業がこれらの税金を支払っていれば、消費税を増税するどころか、そもそも消費税の導入さえ必要なかったでしょう。日本の財政赤字もこれほど巨額にならなかったと私は考えています」(同書より)

 こうした優遇を受けているにもかかわらず、さらに、経済界や大企業の経営者たちは「国際競争に打ち勝つために法人税減税が必要不可欠」と引き下げ要求をしている。』

製品検査という工程が製造工場にはある。この検査部門がいい加減だったり、あるいは検査部門がそもそもなかったりした場合、不良品が発見されないので次々と商品にならない製品を生み出していく。製造の検査部門というのは営業では商談での「詰め」の部分である。90%成約が見込める状態にまで来たのに最後の土壇場で重大な見落とし、あるいは人間性を疑われるようなことをやってしまって商談不成立という事態が普通に起きる。製造でも営業でも最後が悪いとそれまでの努力が全部、パーだ。

社会で最終工程となるのは政治である。国民が営々と努力を積み重ねてきたものが最後の政治でひっくり返されてパーになる・・・つまり悪法の成立だ。

『創業200年以上: 日本:3146社 ドイツ:837社 オランダ:222社、 フランス:196社 』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E8%88%97

日本の商業を考えるには江戸時代の元禄期に照準をあてたほうが妥当だと思ったので元禄期を検索してみたが、やはり実に様々なサイトが元禄時代を取り上げ、その分量の多さで引用を断念した。筆者が得ようとしたのは当時の「商人道」のようなものだ。あるいは「生業(なりわい)」。

「創業200年以上」の企業数で日本はダントツに各国と比較して多いが、ダントツに多いことにはそれなりの理由があるはずで、その理由を「生業」や「商人道」の考え方から見つけてみようと思った。以前、どこかで「士道」と「商人道」の類似性を述べていたところがあったが、「道」という考え方や捉え方は共通点がある。だから、むしろ「道」について考えるのが根本だと思うが、筆者は事例主義のところがあるので妥当な事例はないかと探していた。

普通「企業」と言えば「株式会社」を連想するが、それとは別に日本には「商店」という企業に類似した概念があった。そして商店では理念化した経営方針があり、この経営方針と「株式会社」の考え方は根底でかなり違う。三井でも住友でも出発点は商店なのでやはり理念化した経営方針を掲げている。しかし理念は代を継いだり、規模が巨大になるにつれて形骸化していくものである。

一方「株式会社」の始まりは

『世界最初の株式会社は、1602年にオランダで設立された東インド会社です。東インド会社は、インドや東南アジアから特産品をヨーロッパに運んでいましたが、船を造ったり、船員を雇うのに多くのお金を必要としたので、株式を発行して、費用をみんなから集めたのです。

日本初の株式会社は、1873年に設立された第一国立銀行という名前の民間の銀行でした。また、1878年には東京と大阪に証券取引所が開設されました。しかしその後、1937年の中国との戦争を契機に証券市場は急速に統制色が濃くなっていきました。全国に11カ所あった株式取引所は「日本証券取引所」に統合され、さらに戦局の悪化により1945年8月からは売買立会は中止されました。そして、1949年になってやっと証券取引所が再開され、現在の市場規模まで成長したのです。』

http://www.jsda.or.jp/manabu/qa/qa_stock09.html

と、日本証券業協会は簡潔に記述しているが、「東インド会社」は

『東インド会社は、アジア地域との貿易独占権を与えられた特許会社。重商主義帝国下、特に貿易差額主義に基づく経済活動に極めて大きな役割を果たした。なお、ここで言う「インド」とはヨーロッパ、地中海沿岸地方以外の地域をさす。同様の特許会社に新世界との交易を行った西インド会社がある。各国ごとに設立され、以下のようなものがある。オランダ東インド会社は世界初の株式会社としても有名である。

イギリス東インド会社
オランダ東インド会社
スウェーデン東インド会社
デンマーク東インド会社
フランス東インド会社    』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BC%9A%E7%A4%BE

とあるように現在の株式会社とかなり様相が違う。性格として商業より貿易に近く、貿易と言っても実態は略奪に近い。だから「生業」とした日本の「商業」と「株式会社」の性格や考え方はかなり違うとした。「株式会社」の発想だと冒頭の記事は十分に頷けるものだが、「生業」の発想では外道である。道を外れている。

欧米企業の考え方の根底は「略奪」的な臭いがするが、ま、それより日本だ。

不公平、デタラメ、反則とひとつひとつを取り上げて糾弾するよりも最終工程、最終決着である「政治の在り方」を考えるほうが一気に問題を処理できる。日本の場合、検査作業の部門であるマスコミが検査の仕事をしていない。だから早急に検査部門をインターネットで代替する必要がある。でないと不良製品が次々と生まれて社会はどうにもならなくなってしまう。が、この代替もニュースサイトが色々と出てきているので早晩、ニュースはネットが中心になってくるから筆者は楽観視している。

まともに記事を作るニューサイトが増えてくると、今度は政治改革だ。この政治改革で説得力を持つのが「事例」だからニュースサイトの充実を筆者は願っている。政治の場で事例も出さない言葉の応酬では水掛け論にはまってしまう。空っぽの内容で言い合いをしてしまう。こういう無意味で無駄で、さらには問題をひとつも解決できない政治で困るのは国民だ。こういう未開政治を変えるのも「技術」である。議会にスクリーンを置いてプレゼンテーションを互いにやるような形で問題解決の討議をする。

これだけでも政治の場はかなり変わる。バカとか未熟さが浮き上がってしまうために否応なく議員は勉強する気になる。勉強しなければ落選で議員の身分を失う。また有権者もバカを議員にさせてはならない。泣くのは有権者だからだ。

政治改革も結局は総合的な社会の波に乗せて変わっていく。総合的に見て「何が優先度が高いのか?」を広く世間に周知させないと一歩も先に進めない。先に進めないどころか、後退しているのが現況の政治であるからこれは急ぐ事案だ。
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