感傷、あるいは感慨について

「ランゴリアーズ」の回を削除した。アニメーターというのはちょっと描いて「違うな」と思えばすぐに紙をくしゃくしゃにしてゴミ箱に投げ込む。こういう癖が動画作りでも出てくる。もちろんデジタルだから作ったものは保存してあるが再使用するかについては今は判らない。

「物作り」というのは自分と向き合うことであるから他人の動向は関係がない。だから熱中できるし、熱中しつつも気持ちは平穏になっている。その意味で「他人」というのは煩わしいのかも知れない。ただ、

襟裳岬
アーティスト名 森進一 作曲者名 吉田拓郎

北の街ではもう 悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい
理由のわからないことで 悩んでいるうち
老いぼれてしまうから
黙りとおした 歳月を
ひろい集めて 暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です

君は二杯めだよね コーヒーカップに
角砂糖をひとつだったね
捨てて来てしまった わずらわしさだけを
くるくるかきまわして
通りすぎた 夏の匂い
想い出して 懐かしいね
襟裳の春は 何もない春です

日々の暮らしはいやでも やってくるけど
静かに笑ってしまおう
いじけることだけが 生きることだと
飼い馴らしすぎたので
身構えながら 話すなんて
ああ おくびょう なんだよね
襟裳の春は 何もない春です
寒い友だちが 訪ねてきたよ
遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ

この歌詞を作ったのは吉田拓郎だと思うのだが、これを書いたときの年齢は30代前後ではなかったか? いや、調べてみると作詞は「岡本おさみ」とあった。1942年生まれで1974年シングル発売での「襟裳岬」のときは・・・32歳か・・・。こういう作詞の感慨は20代では無理かもしれない。鳥取県米子市出身だから北海道は想像の場所だ。

「男はつらいよ」を撮った山田洋次は大阪府豊中市出身だが、大阪の人間が東京の下町を描く。こういう反対側に近い立地点に居る人物がその「反対側」を描く場合、自然とデフォルメをやってしまう。誇張だ。これが当地に生まれ育っていると「誇張」ができない。「河内風土記」」や「悪名」を描いた今東光は横浜出身である。筆者は大阪出身だが「悪名」に何の違和感も感じないで楽しく映画を観ることができた。

川端康成は大阪市北区の出身だが「雪国」や「伊豆の踊子」は関西とは違う舞台である。だから光景を理想化できるし、その理想化は美しく魅惑的になる。川端が関西を舞台にした小説を描くと「理想化」も「誇張」も失う。「知らない」ことは物語を作るうえで想像力をたくましくさせて有利になる。「知らないから書けない」と言う人はそもそも「創造」に向いていない人だ。

もちろん実際に書きだしていくと「知らないこと」だらけでは筆が進まない。だから「調べる」。しかしこの「調べる」も実際に知っている人の知識に遠く及ばない。では「ダメ」なのかと言うとそんなことはない。絵で言えば緻密な細密画のような絵だけが優れていると言わないのと同じだ。「写真」の弱点は機械的に何もかも写してしまうところにあり、だから優れた写真家は「何もかも写さない」技術を獲得しようと努める。これが「焦点を合わせる」技術となってくる。

「誇張」とはその人が感じてしまった「ある部分」なので人はそこに興味を持ってしまう。機械的な表現については人は本来、興味を持たないものである。「雑音」は聞こえているのに「聞かない」から「聞こえない」ようになってしまう。そういう人の生理が働く。

こういう人の仕組みというか、感じ方というのはもちろん何にでも通用する。しかし、こういうことを人は案外と掘り下げて考えない。心に落ち着いた時間を持っていないのか?と思ってしまう。
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ランゴリアーズの世界

https://youtu.be/MaG_l1jtKEg

↑ 今回のはキング原作の「ランゴリアーズ」の紹介だけで気の抜けた回。映画というのは題名だけではイメージが全くわかないので映像を見せた次第だが、筆者は妙にこの映画が好きなのである。ある意味、ストレートに「存在とは何か?」を問うている映画で、「存在」のあやふやさを最初に謎解き風で見せていき、次に「存在」を食う怪物を見せ、そして「時空」の裂け目に突入して「現生」に戻る。この「現実の現在」「生きている現在」の描き方が秀逸だ。「匂い」「味」「風」などが無機的な世界から蘇り、そして動き回っている空港の人々が現れてくる。

SFというのは基本的に哲学的要素を含めている。「人間とは何か?」を基底に置かないと未来が描けない。その「人間」の中に自分も居る。

歴史を読んでいくと唐突に「ここに出てくる人物は今は誰も居ない」という感慨というか、想いが頭の中をよぎってしまう。我々が眼にするのはかって生きていた人々の事跡だけだ。消えていった物凄い数の群衆の抜け殻に今、現実に生きている人間は囲まれている。それを思うと「生きているとはどういうことなのか?」と考えてしまう。こういう考えを持ったのは筆者が17歳くらいの時だ。だから少年時代から自分が誰かの手に握られた「駒」になることを拒否する考えで生きてきた。ともかく筆者は「自由」が好きなのだ。

「自由」と「自分」は一対であるとさえ思っている。しかし「病気」という不自由がときには襲ってくる。老年になれば「不自由」が普通になってくる。が、体の不自由さと頭の中の自由はイコールではない。動脈瘤で手術をして感じたことは「考えの自由」あるいは「活発な頭の働き」は当然ではあるがすごく体の状態の影響を受ける。思考の範囲が凄く狭くなってしまう。が、狭くなったからと言って不快かと言えばそうでもない。体が弱ると感覚も弱るので何もかもがぼんやりしてくるだけだ。

「手術中、苦しそうにしていた」と医者は嫁さんに告げたようだが、苦しいことは苦しいが食中毒になったような猛烈な苦しさとは違う。「苦しさを感じなくなったら死ぬかな?」と考えることができる余裕のある苦しさだ。そして、ここが大事なことだが、こういう状態になると自分以外のことには頭が回らないのである。それどころではないのだ。

こういう体験をした後の「存在」という認識は元気が当たり前な状態での「存在」と受け止め方も感じ方も違ってくる。自分が生きているということをひどく「あやふや」に感じてしまう。「生きている」ということを「絶対的」に思えなくなっている。

・・・そうだなぁ・・・やっぱり「匂い」とか「味」とかの感覚でしか「生きている意味」を語れないな。だから「ランゴリアーズ」の無機質の世界と有機質の世界の対比を描くのは「存在」を問う意味で的確な描写だと思う。

自己主張・自己中心だらけの企業宣伝

筆者は熱心なユーチューブ視聴者でなかったのでチャンネル登録などもしたことがなかった。で、初めてチャンネル登録をするとメールボックスにこれが・・・。

こういうの


なるほど・・・知人が「チャンネルを登録しすぎて1日の視聴時間が全く足りない!」と嘆いていたのはこういうことだったのかと妙に納得した。テレビ局からのメールではなく番組からのメール、自動配信メールだと思うがこれは強い営業だ。自分が選んだ番組なのでツイッターからくるほとんど大量であるが故のゴミメールと起きる感情が全く違う。ツイッターからのメールは迷惑メールにしているのだが未だに次々と送ってくる。放って置いたら肝心の大事なメールまでがこれに埋まってしまう。だから「迷惑メール」。

ツイッターにしてフェイスブックにしても人間心理が全く理解でない集団だと思う。フェイスブックを付け加えたのは、やはりツイッターと同じように次々と「友達になりませんか?」というメールを送ってくるからだ。相手の立場や状況を考量しない一方的な自己主張・自己宣伝はそのまま相手に嫌悪感を抱かせ、かつ、その嫌悪の感情を定着させてしまうということに彼らは全く気が付かないのだろうか?そうであれば頭が悪いだけでなく害になる集団だ。

営業熱心は簡単に自分で自分の営業を妨害することに転化する。前にも書いたが、店に入って付きまとう店員が居れば、その店には品ぞろえがよくても2度と行かない・・・こういう気持ちになる人は多いはずだ。だから普通の人間心理を持ち、かつ、その心理をお客さんに当てはめることができる店長が居るならそういう愚かな真似を店員にはさせない。お客さんを逃がしてしまうからだ。

創価学会を嫌う人が多いのも創価学会がこういう勧誘行為をするためであって、創価学会の教義などは嫌悪感上でずっと後ろの方だ。創価学会に限らず「熱心さ」はこういった相手への迷惑行為を平気でやる人間を生んでしまう。

人は「選択の自由」を侵されたら腹が立つし、それが続けば確実に相手を憎む感情に変わる。マイクロソフトのウインドウズ10への勝手な自動変換で怒る人が続出しているのも「選択の自由」を侵されているからだ。それでいて自分は相手の「選択の自由」を平気で侵しているくせに「著作権侵害」での抗議はまたこういう連中が非常に熱心だ。とことんまで「自分」なのである。「自分」しか頭にない。

こういう社会は精神的に低い劣悪な社会だと思うが、こういう程度の低い連中には「なぜ、それが悪いのか?」をきちんと説明しなければ理解できない。子供に向かって説明するような事柄だが、しかし、この連中の頭は子供だから説明しないと解らないのである。この説明を社会が怠ると劣化が劣化を生んでどうにもならない社会になってしまう。

こういうことを心得た上で番組宣伝のメールが来るなら番組好感度も上がるというものだ。

税金は誰の原資となっているのか?

所得税や住民税などの税金も、年金や健康保険などの社会保険も勤め人にとっては源泉徴収されるので、意味付けは違っても「税金」と見做してよく、その方向で書く。所得税が重視されるのは所得税を基準にして住民税や社会保険の額が「翌年」に決められるわけで、これは勤め人になって退職すると「何だぁ、この額は?」とかなり頭にきて実感させられる。「頭にくる」のは会社の負担が消えて全額が自己負担になってしまうからだ。

ここの説明は「何が問題か?」という優先順位などを置かずに均一での説明になっているのがほとんどで、しかも細かいからすぐには頭に入りにくい。むしろ頭に入りにくくして自分達の専業を守っていると言ってもよい。行政関連はすべてこの姿勢だ。税金は強制徴収なので消費者の顔色を窺う姿勢がそもそもない。

顔色を窺うべき相手は市長や知事などの選挙で選ばれた首長であって、この知事や市長が行政の言いなりだと公務員の態度は傲慢になるし、事実、筆者の若い頃は江戸時代の役人感覚が、つまり「お上」という言葉が普通に世間で飛び交っていた。政府が命令し、国民は服従しろ!というのが行政だったのである。行政が「国民サービス」と意識しだしたのは市長選・知事選での選挙の中でだ。地方選は行政による社会サービスの色合いが濃いので選挙戦での焦点になりやすいという事情がある。

地方の衰弱は現在でも大きな地域問題になっているが、しかしインターネットの登場は素晴らしいものがあり、地方新聞の脆弱な報道から地方在住の者も脱することができた。「地方新聞の脆弱報道」としたのは、テレビ局でも構わないが要するに情報発信力をインターネット以前の地方は持っていなかったためである。東京からの端末として地方のテレビや新聞は存在していた。

地方の情報発信力が脆弱だと日本各地に住んでいる人間は自分達の地域の状況も正確に掴めなくなってしまう。地方は経済も脆弱だから「有力者」というのが幅を利かす。しかし地方経済もインターネットによって繋がっていくと「有力者」も「ただの田舎者」だ。実際、多くの地域がコンビニやスーパーなどでは中央資本が支配するようになっている。この場合の「支配」とは「決定権」のことで、地方有力者に見られるどろどろとした人間関係ではない。もっと乾いた資本の効率で物事を決めていく。儲からないと観たらすぐに店を潰す、あのドライさである。

民間企業の行動を法律が決める要素は微弱だから民間の動きは判りやすい。善いにしても悪いにしても法律の細かい条項・規定の知識などは無縁だ。赤字が続いて資力が消えていくと店はつぶれる。だから赤字にならないように知恵を絞り、かつ動く。

しかし行政の公務員は善いにしても悪いにしても法律の規定に沿って仕事をするから赤字という感覚がそもそもない。予算が足りなかったら住民から税金で徴収すればいいだけだ。こういう場合、先に潰れるのは税金を盗られ続ける住民の方である。

税金は強制徴収だから税金を払えなければ家屋などの資産の差し押さえがある。差し押さえられてしまえば目先的には何とかしのいでも中期的には生活が成り立たなくなリ蒸発などでどこかに消える。こういう形で住民が減っていくと住民税の原資も減っていく。しかし原資が減っても公務員の賃金は法律で決められているから簡単には下がらない。結果、公務員の所得は同業種民間比較で倍くらいまで上がった。公務員の賃金が上がったというよりも民間の賃金が半分になって倍になっている。

民間の賃金が半分になったということは民間の消費が半分に減ったということでもある。こういう状況を招きながら「増税」というのは公務員の賃金が下がっていないために民間の消費余力の状況を公務員とそれに類した政治家が理解できないためだ。共産党や民主党などの支持勢力である組合のほとんどは公務員と大企業の組合である。零細や中小企業の組合さえ持つことができない層と無縁の勢力によって支持されている。

一方、自民党の支持勢力は経団連などの企業経営者であった。

こうなると重大な何かが抜けてしまっている。大企業にも公務員にもなっていない圧倒的多数の市民層が抜けてしまっている。この圧倒的多数の声が政治に届かない状況になっている。こういう状況が続いた結果「日本の衰退」が始まったと考えるのが正しい。基本生活を破壊されてしまえば「結婚」もできず、「結婚」できなかったら子供も生まれず、結果、人口の再生産も衰弱して人口滅に向かう。何もかもが縮小再生産だ。

正常な社会を説明するのは普通の感覚を持っていれば誰にでもできる。しかしこの「普通の感覚」を新聞・テレビが失って、かつ新聞・テレビの報道独占があればどうなる?「何が正しいか?」という判断さえ失ってしまうのだ。

我々はインターネット登場によってようやく「何が正しいか?」を問える状況を持った。狂いつある社会システムを正常に戻せるチャンスを得た。このチャンスを政治の正常化に向かわせるべきだ。

税金を誰が食い漁っているのか?

https://youtu.be/AF3_3JWOd6U

↑ 5月27日、ユーチューブにアップ・・・・と、動画アップの記録みたいになってきたな。こういうのは自分でやって知ることがあり、ユーチューブ上のヒット数と実際の訪問者数は10倍くらい違う。15だと150が途中までのヒット勘定に入らない数で、このデーターはアップした当人のみが掴むことができる。それ以外にも実に細かいデーターが出てくるわけで、これには感心した。

人工知能もこういう様々なデーターを把握して次の行動に出るか、やるべきことを教える。ま、しかし、人間も人工知能の真似事くらいはできるわけで、また人工知能も近いうちに個人向け販売もあるらしいから「人工知能」で妄想を膨らませても仕方がない。実は人工知能の致命的な弱点は「選挙権」を持っていないところにある。「助言」はやれても「決定権」を持たない。

ロボットの弱点は「責任の所在」がロボットの所有者にある・・・と以前、ブログで指摘したことがあるが「人工知能」の弱点も同じだ。ロボットも人工知能も人間に付随はするが「自立」はできない。これは裏返して「人」の意味をも問う。「人」は「自立」して「人であることを認められる」ということになる。

それはさておいて・・・日本の政治・行政のでたらめさを丁寧に説明しているサイトを知人が送ってきた。

税金と公務員所得


アメリカ→日本のように排気量にかかる税金は無し。似たような税金に「ナンバープレート税」があります。年にKなら75-100ドル前後です。

ドイツ→排気量によって税額は異なるが、日本の自動車税の約半額。30年以上経過した車は、自動車税免除。

オランダ→25年以上経った車は自動車税ゼロ。

スウェーデン→日本の半額以下。

チリ→1年点検費用+自賠責保険など合計で1年間で12000円程度。古い車はかなりやすくなる。

イタリア→流通税が4000円程度。20年以上経過のクルマはクラシックカー扱いになり、ほぼ無税に。

このほか日本はドイツの約2.4倍、イギリスの約1.4倍、フランスの約6倍とのことです。

高速道路の料金も非常に高額です。

これまで、道路整備計画が更新されるごとに道路財源不足に対応するため、クルマに対する税金は新税の創設・増税(暫定税率の適用)が繰り返されました。
それが今や9種類にも及び、税負担の総額は9兆円にものぼり、ユーザーの税負担が過重となっています。結果、高速道路の料金は高額に。

アメリカのフリーウェイはほとんどのところが無料、欧州の高速道路も無料が多く、有料の場合でもほんのわずかなものです。
日本では、たとえば東京~下関の1000km間が通常約2万円、ETC割引を最大限に使っても14000円ちょっと…。すさまじく高額です。
買うまでは持ち上げておいて、そして、買ったら「クルマを使うな」「税金払え」「駐車場がないから電車やバスを使って」とはおかしな話。これではクルマが「税金を取るための手段」のように思えます。

自動車税を払わなければ、車検を受けられません。
つまり、クルマを走らせることができません。クルマは確実に税金を搾取できる有効な手段なのです。

http://car-me.jp/articles/2419

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我々は「監視される」状況から「監視する」状況に転換する必要があるし、インターネットによってそうした傾向が強くなってきている。

「なぜ税金がバカ高いのか?」という項目もあったが、ここの説明はおかしい。明確に「公務員」の所得を問題にしないと何一つ本質的説明にならない。「高い税金」は「その高い税金を食い漁っている存在」があるから「高い」のだ。だから税金を食いつぶしている集団とメカニズムを最低限でも暗示する必要がある。

こういうことも結局は「選挙」で解決する問題なのだ。

中国人間のクズランキング

【新唐人2014年1月4日付ニュース】中国のネットユーザーが匿名で行っている「中国人間のクズランキング」の結果が、年明けとともに発表されました。周永康元政法委員会書記が「人間のクズ」トップに選ばれたほか、ジャッキー・チェンや司馬南などの有名人も2年連続「人間のクズランキング」にランクインしました。個人ランキングのほかに集団ランキングもあり、中央テレビ局と環球時報がそれぞれ1位と2位に選出されました。



「人間のクズランキング」の審査は、ノミネートされた人の卑劣さ係数、恥知らずのレベル、下劣さの程度によって行われ、2段階の審査を経て1000人を超えるクズ候補者から、最終的に100人の「人間のクズ」を選び出します。



北京社会活動家 胡佳さん

「この種の庶民自発のランキングは毎回 当局の想像を超え、当局をビクビクさせています。これが真の勢いのある民意になれば、ランクインした者には大きな圧力になります」



海外の中国語サイト「参与」の紹介によると、「2013年人間のクズランキング」にランクインした「クズ」たちのクズレベルは去年に比べ大幅に上がり、大学の専門家や教授、学者が最も多く、全国人民代表大会代表、各地の人民代表大会代表がその次を飾っています。また、解放軍関係者も少なくないそうです。



2013年にランクインした人間のクズを部類別にまとめると、第1類は悪名高き中国共産党元高官。例えば、元政法委員会書記・周永康、元公安部副部長・李東生(りとうせい)、元鉄道部部長劉志軍(りゅうしぐん)、元国家発展改革委員会主任・劉鉄男(りゅうてつなん)などです。



第2類は、仰天発言で民間の非難を受けている有名人。例えば、アリババグループの総裁・馬雲(ば うん)。「天安門事件の鎮圧は正しい」と発言し、「人間のクズ」トップにランクインしました。李鵬(りほう)元首相の娘・李小琳(りしょうりん)は、「節約に励み、親に頼らず、自力で努力した」との発言で人間のクズ第3位にランクイン。解放軍空軍上校の戴旭(たいきょく)は、「鳥インフルエンザで何人も死ぬ事はない」と発言し、4位にランクイン。27位にランクインした女性市長韓迎新(かんげいしん)は、「最も容赦ない立ち退き女市長」と呼ばれ、「私は立ち退きの法律など知らない。立ち退き法には従わない」などの仰天発言でランクインしました。



第3類のクズは、ネットユーザーから軽蔑されている「五毛党」(うまおだん)と中国共産党官製メディア、および御用文人や専門家、教授など。例えば、「経済問題で学校に通えない生徒は中国にはもういない」と発言した教育部部長袁貴仁(「えんきじん」。「中国にはニュースの検閲制度などない」と発言した外交部の華春瑩(かしゅんえい)報道官。「共産主義は宇宙の真理である」と発言した「解放軍報」の孫林平(そんりんへい)副編集長。



このランキングサイトの発起人によると、人柄の特に悪い人以外は、一度ランクインした人が、翌年に再度ランクインすることはほとんどないそうです。しかし、悪名高き方舟子(ほうしゅうし)、司馬南(しばなん)、ジャッキー・チェンなどは今年2度目のランクインを果たしました。



今年の「人間のクズ」ランキングには個人ランキングのほか、集団ランキングも設けられ、中央テレビ局の「新聞聯播」(しんぶんれんは)チームや環球時報、湖南省衡陽(こうよう)市の518人の汚職人民代表がトップ3位を占めました。ほかにも、官製メディアや中国石油などの国営企業、赤十字会、公安、検察、司法部門、都市管理局などの政府機関がランクインしています。



このほか、今年は「第1回中国英雄ランキング」も発表され、高智晟(こうちせい)さん、唐吉田(とうきつでん)さんなどの人権弁護士、胡佳さん、秦永敏(しんえいびん)さんなどの人権活動家や新公民運動家がランクインしています。



時事評論家 林子旭さん

「中国では異なる声を聞くのは難しい事ですが、今多くの民衆が努力して、貴重なプラットフォームを建てています。近い将来 きっとランキングに入っているこれらの機構や個人が歴史の舞台から退き、人々から捨てられ、忘れわれるでしょう。またランクインした英雄はますます多くの中国人から尊敬されることでしょう」



ランキングサイトの発起者はこのように締めくくっています。「人民は覚醒しつつあり、悪魔は肝っ玉を失いつつある。弔い(とむらい)の鐘はすでに鳴り響き、独裁は必ず滅びる」



新唐人テレビがお伝えしました。

http://www.ntdtv.com/xtr/b5/2014/01/02/atext1035416.html  (中国語)

(翻訳/坂本 ナレーター/村上 映像編集/工)

これも面白い。中国人はやるね(笑。

論票から行動へのアイデアを

2016/03/16 22:10

 中国当局がネット封鎖を行っている事を、多くの人は知っている。しかし、その自由のないネット空間を体験した人は少ない。先日ニューヨークで、1カ月という期間限定の「ファイアウォール・ネットカフェ」が開設された。中国の閉塞的なネット環境を経験するという斬新なアイデアは、注目を集めている。

 ファイアウォール・ネットカフェには、パソコンの他に、左右の壁に米「Google」の検索画面と中国の「百度」の検索画面が映し出されている。これによって、両社の検索結果の違いが一目瞭然となる。

 独立衛星放送・新唐人テレビの取材に応じた米ベテラン記者のジェイムス・クレーン氏は、ファイアウォール・ネットカフェのパソコンを使って、中国当局が封鎖する同社の社名を、キーワード検索した。

 ジェイムズ氏は検索結果に驚いた。「Google」の検索結果は、数秒で、新唐人テレビの会社ロゴ、番組画面など関連情報が100以上表示された。比べて「百度」では、画面が突然3回ほど点滅し、その後5分ほどかけて、関連のない画像がずらりと並べられた。

 ファイアウォール・ネットカフェの創設者は台湾系の芸術家・李玉瑾氏。彼女はアメリカで生まれ育ち、世界屈指の名門私立大学連盟であるアイビー・リーグ加盟校を卒業。2011年に友達と中国を訪問した際に、ネット封鎖とファイアウォールに対する関心が強まったという。

 大学教授でもある李氏は、学術研究の一環として設立したファイアウォール・ネットカフェを通して、多くの人にネット検閲や情報の自由について関心を持ってほしいと語った。

(翻訳編集・山本アキ)

http://www.epochtimes.jp/2016/03/25410.html

馬渕睦夫「和の国の明日を造る」第15回

1 時間前にライブ配信開始

馬渕大使の新番組がスタート!
毎週水曜日に収録現場から生放送!

外交官として各国を渡り歩いてきた
馬渕睦夫元大使が語る“日本温故知新”―。
「日本人であることの意味」を振り返り、
日本の未来を指し示します。


【2016年5月25日(水)20:00〜21:30】
・前半:深読み世界のニュース(30分)
    ・未定
・後半:日本再発見(30分)
    テーマ:「未定」
・最後の30分:質疑の時間

出演:馬渕睦夫
<プロフィール>
元駐ウクライナ大使兼モルドバ大使 元防衛大学校教授。 1946年京都府に生まれ。
DHCシアターでは『世界を知れば日本がわかる』『外交虎の穴』監修・出演、『やらまいか―真相はこうだ!』に出演。

https://www.youtube.com/watch?v=QHj0_wt1iQ8&spfreload=5

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筆者は動画をやりだしているが基本はテキスト派である。これには理由があって「要点」だけを追い求める気質のためだ。だからテキストであっても簡潔な表現を好むし、要点を最初に提示していないと読まない。だから2チャンネルの「3行で頼む」という書き込みには苦笑しつつ共感を覚える。

「説明」部分は要点に関心がなければ聞く、あるいは読む必要のない部分だ。

例えば東京都知事の乱費の問題では、これは最終的には政治的決着に繋がってくる。政治的決着とは「選挙」のことである。東京都知事を辞職に追い込む勢力があれば応援すべきだし、擁護に向かう勢力があれば選挙で落とさねばならない。これが「政治の浄化」である。この「浄化」を怠れれば政治はますます腐っていき、無用の税金がどんどんと嵩上げされて苦しむのは投票権のある自分たち国民、あるいは都民なのだ。

この構図をきちんと踏まえて論評しているかどうか?踏まえていなければ自己満足、自己陶酔の文だ。構図を踏まえていれば必然的に相手を追い込む手立てやアイデアが出てくる。そして実際に役に立つのはこの「手だて」や「アイデア」の方だ。これによって国民を騙す人間を減らすことができる。

その意味で最初にアドレスを提示した記事は中国の言論統制を非難する評論より踏み込んでいる。また、この具体性を持ったやり方は日本でも応用が効く。社会を変えていくには鬱憤を晴らすような文章や記事だけではだめだ。具体的に「このやり方で悪い奴を追い込みましょう!」という手立てやアイデアを是非とも提示してほしい。それが「なるほど!」と思えるものなら筆者も実行する。筆者と同じことを考えている人はけっこう多いはずだ。

「社会的に価値のある人」という基準の時代

やらまいか


https://www.youtube.com/watch?v=kptWEEuxSC4

ネット・ウォッチャーの知人が色々なアドレスを送ってくるのだが、ここもそのひとつだ。テレビ局が半島系に制せられているためか、ネット・テレビは民族派が多い。「民族派」と言っても日下公人のようにVOICEなどで評論していた人達だから単純にガチガチの左翼に毒されていない人達と呼ぶのが適切だろう。

「もうね、色々なチャンネルを登録しているから1日の時間が何時間あっても足りないんだよ」と知人は苦笑していたが、話を聞くとそういう人はかなり多いようだ。こういう評論番組も動画洪水を作る一つになっているし、これからもどんどんと増えていくはずだ。津波の一波が始まって次に2波が押し寄せてくる。

需給論で分析すれば供給があるということはそれだけ需要があることになり、この需要はそのまま市場の拡大を作っていく。市場が拡大しているからネット映像の世界はさらに広がると予測できる。産業革命も正しくこの構図で世界中に広がり現在を作った。また規模が世界的だと単純な見通しは通用しない。産業革命の場合はこの革命に適応できない国は植民地になってしまった。工業力で戦争すらできない格差を産業革命が生んだためだ。

情報革命も同じ構図を作る。従来の産業を中心とした価値観が個人を中心とした価値観に覆されてしまう。「何故、個人か?」と言えば、情報の性質が企業を素通りして個人に向かうためだ。

実際、筆者などが作っている動画など、個人が作って個人で発表できる「場」まである。こういうことはインターネット以前ではカネの面でも労力の面でも不可能だったのだ。実は、このことについては深い問題が横たわっていて、未だに誰も明快な答えを出していない「経済」がある。情報は途方もない量で流通しだしているのに「経済」は置き去りにされたままなのだ。カネが情報量とストレートにリンクされていない。ストレートにリンクされないまま情報の流通は拡大する一方なのである。

だから筆者は「経済」よりも「社会」を問題にしだした。「情報が主力になった社会は何であるのか?」と考えざるを得ない。

ここで仕事の意識を問うたデーターがある。「何のために働きたいのか?」という問いで「社会の役に立つために」という動機がトップで、「カネのため」などより抜きんでていたのである。このアンケートは日本ではないが仔細は忘れてしまったのでどこの国であるのかを書くことができないが、ともかく「社会の役に立ちたい」という動機がトップなのだ。これは注目するに値する。

やはり「経済」より「社会」なのである。

「カネがなければ生きていくこともできないぞ」という言葉は正しいが、だからと言って大金持ちが立派な人だと思うのはおそらく少数のはずだ。仕事上、膝を屈していても内心は「この野郎、偉そうに・・・」と思っている人が多くても全く不思議ではない。尊敬する心はその人の「行動」に対して生まれるからそうなる。カネの量ではないからだ。

しかしクズ・マスコミ、特にテレビはひたすらカネの量を煽って、行動は問わない。こうなるとテレビ局に勤める人間を「クズ」と見做される時代が来ても全く不思議ではない。実際、ネットの世界でテレビ局に勤める人物やタレントを無条件に尊敬する人は稀であろう。そんなことを口にすれば口にした人間までが奇異の眼で観られるようになっている。

だから「経済」より「社会」なのだ。

「社会的に価値のある人」という基準はもうそこまで来ていると思える。

新規アップと不要作品の削除

https://www.youtube.com/watch?v=J7q7FNl0TH0&feature

うるさい先生キャラをまとめて5分ものにしたのが上のアドレス。

やっぱり動かないと面白くない。動画を作る者が世界中でどんどんと増えているから「一種の動画の津波みたいな状況になってきているな」と、作っていると実感できる。

キャラ・シリーズというか、シリーズ物は内容はともかく技術的には、いや、素材的にはだが、作る度に素材も増えてくるので質は自然と上がってくる。こういうことは観ているだけでは感覚的に感じることが難しい。筆者もユーチューブに上げだして1か月ちょっとくらいだが、その1か月間でも上げる前と上げない以前では知識がまるで違ったものになった。

5分という時間は作っていると長い。歌で3分から4分なので、ちょうど収まりがいい単位なのだろう。これを体験的に理解できると、単純にカメラを回す動画であっても工夫が必要になってくる。カメラを対象に向けること自体がメッセージであるから、文章で言えば文節に相当する。

こんなことを書けば映画愛好家から怒られるかもしれないが、「浮雲」1本をまるごと編集したくて仕方がない。5分という基準が出来上がると昔の映画は冗長過ぎると思ってしまう。「7人の侍」でもそう感じてしまう。

生活のリズムが変わると感じ方まで変わってしまう。蒸気機関車でしか長距離移動ができなかった時代と車で移動できる時代は時間感覚が違う。情報も同じだ。「オバマと言う黒人の大統領が・・」と口にした国会議員はネットに馴染んでいる筆者から見れば、「どの時代の人間だ?」と思ってしまう感覚なのである。であるのにたぶん年齢は筆者より下だ。調べていないし、調べる重要性もないから放置するが、明らかにネットの世界に滞在する時間で感覚も変わる。

「感覚が違う」というのはそのまま「生活が違う」ということでもある。

筆者が昔描いた漫画もネット時代ではないから動画にすると無駄な長さが気になってきた。「無駄な長さ」というのは「情報量が少ない」ことを意味する。5分という時間に入っている情報が少ないのである。この場合の情報というのは「映像」のことだ。これも自分が作って、ユーチューブに上げると気が付く。

文章でも同じで、あるITニュースサイトを覗くと長い文章のまるごとが空白の文章で、その人物の頭の中を覗きたくなった。IT用語の羅列はかまわないが、その言葉が具体的にどういうことを指しているか?あるいはどういう動きや働きをするかに筆が及ばない。筆者のように映像畑で生きてきた人間には頭が空っぽに見えてしまう。

「精神病患者のつぶやく言葉は意味を持たない」のは具体性を伴わないからで、また具体性に脈略を失うと精神分裂、「統合失調」という言葉より「精神分裂」のほうがイメージしやすいからこちらを使うが、文章でもこれが出てくる。さすがに事件を扱う週刊誌の記者はIT関連の書く人と違ってイメージをきちんと示す文章を書いているが、技術系では逆にイメージを喚起できる文章を書く人が希少と言っていいくらい珍しい。

こう書くと民主党の元総理であった「鳩山」も技術系だったなと連想してしまうが、技術系の人は表現や思考力で汎用性を持っていないのではないかと思ってしまう。映像というのは写真が典型だが一つの場面でも言葉をはるかに凌駕する情報を含んでいる。人物の顔のアップでも同じだ。皮膚があり、眼球があり、髪があり、そしてそれらを動員して表情を作る。しかもそれほどの情報を有していながら活字で書けば「顔」という一つの言葉に収まってしまう。

映像時代でなかった人はだから言葉で「光景」を描き、その分量の割合は70%はあったはずだ。思考としての言葉は残り30%。それでも、いや、むしろそうだからこそ自分以外の人に何事かを伝えることができた。光景を描いた70%を省略すれば単純に「頭の弱い人」になってしまう。

・・・ここで終わったら筆者も「頭の弱い人」になってしまうかな?(苦笑。

テレビの伝統芸「話のすり替え」に注意!

ワープロ替わり3


感情を入れて書く場合は上みたいにキャラを設定すると書きやすい。文字だけだとストレートになりすぎて、筆者などは共感する意見でも「ちょっと・・」という気持ちになってしまう。

逆にこのオヤジの場合は言いたい放題でもキャラが言葉を緩和させる。しかし・・・動画作りの応用は多いな(苦笑)。ブログに静止画で持ち込めるわ(笑。経済解説でもこの手法はマジで使える。「マジ」って言葉はこの手法でなければ使えない。まともな言葉を使っているのに、突然「マジでヤバイっすよ!」なんて書けば、読んでる方は「ボケてるのか?」と思わせてしまう。

話を画面に戻して・・・日本のマスコミの報道分類でのデーターがどこかにあって、日本は欧米との比較で群を抜いて「どうでもいいニュース」が多いと出ていた。これを「視聴率が・・・」というのは嘘だ。日本人が賢くなるのを警戒している勢力が現実に居るためだ。

それだけではない。重大な問題が出てくると問題の本質をはぐらかす論調が「識者」と称する連中を使ってバカなニュースの上にかぶせてくる。こういう形で重要な問題がうやむやにされた例が実に多い。

今はネット工作でそれをやっている。「日本はいつでもこうだよ。変わらないよ」という嘆きを装った現状肯定の工作意見。一生懸命に日本人の牙を抜こうとする。

ま・・・ネットが出てきた現在、政治人間ではない筆者もたまには噛みつくことをやるぞ。
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