スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

全体としての社会を観るべき、考えるべき

さて、前回の続き。

全体主義とネットワーク社会の大きな違いは「強制」と「任意」の違いになる。これは「任意」主体であるために非常に締め付けの緩い社会とも言える。「強制」には「罰」という暴力的な側面があるが、ネットワーク社会では「切断」という村八分なので直接的な暴力は伴わない。しかし皆から拒絶されると生活が出来なくなって実質的には「罰」よりも怖い。

この「無視する」、あるいは「無視される」過程を踏んで人はネットワーク社会での行動の在り方を学習していくことになるのだが、これはネットが巨大な村であることを示すものだ。ネットは村のような共同体を生み出している。この事実認識は重要である。政治も行政も企業活動も、社会インフラも「村」の認識がなければ泥棒さえも挫折してしまう。実状に合わないから挫折する。

何故「村」なのか?情報の伝達が小さな共同体のように早いためだ。情報の速さが「村」を作ってしまう。1億2千3百万人が生活する村。村と考えなければ「情報」の動きを見誤ってしまう。情報伝達の速度はどのように情報が運ばれるかにかかってくるが、情報時代初期の現在、情報の運び方も発展途上にある。発展途上だから情報の運び方はさらに洗練されていく。これは物流や流通の進展を考えれば予想がしやすい。

消費経済の進展は最初に「製造の効率化」から始まり、効率化で浮いた余裕の部分をさらに製造に向かわせたので製品過剰状態になっていく。過剰になった製品のはけ口として消費の拡大を求め、消費拡大のためには流通の整備が要る。こういう玉突き現象で社会はシステム化されていく。実際には政策と自然発生的な企業活動により社会のシステム化であるが、この流れが止まった段階でインターネットが出てきた。ここでは開発途上国にまで筆を伸ばすつもりはない。あちらにはあちらの事情があるためで、そこまで記述したら論旨がムチャクチャになってしまう。

社会インフラや生活インフラが整うと人の欲求は情報に向かいだす。現況のネットでも眩暈(めまい)がするほどにあらゆる情報で溢れているわけだが、それでなおネット「初期」なのである。かゆいところまで手が届いていないからネット「初期」なのだ。人体に模すと毛細血管の伸びが不十分ということ。毛細血管が不十分であれば人体と言えないように、「ネット時代」と言える状況ではない。

しかし不十分というのは、そこが開拓領域でもあることを意味する。従って今考えるべきは毛細血管の領域だ。ネットの力を借りて地方都市に毛細血管を行き渡らすにはどうやれば出来るのか?

その対処で今度は地方都市の現状を観るしかない。「地方都市」としたが企業でも他の団体でも同じ。現状をネットを念頭に起きながら観ていく。でないと可否の判断が出来ない。まずはデーター取得。このことに気が付いた人は自分が住んでいる街のインフラ状況を確認してくると思う。

富士通の行政サービス

これは富士通の住民情報ビジネスの一端。

http://www.fujitsu.com/jp/solutions/industry/public-sector/local-government/solutions/micjet/index.html

行政がどう変わるかの予測資料にもなるのでそちらに関心のある人には必読。他にも実務的な色々な項目がある。コンピューターが社会に入ってくるとネットワーク社会が必然だと気が付くはずだ。現実が政治を置き去りにして先行していることに眼を向けるべき。

・・・・ちょっと疲れた。30代だったら集中力はもっとあったよ。近未来予測の記事が眼に入らないから仕方なく叩き台として書いている。趣味の世界は楽しいのでそっちをやりたいのだが、ネットは趣味だらけで誰も社会論を書かない。この憤りもある。誰か、後を引き継いでほしいね。

スポンサーサイト

インターネットはそもそもネット社会実現のインフラツール

外国をモデルとしての時代は終わった・・・まず最初にこの認識が要るし、実際、そう思っている人は多いのではないかと。その結果として日本再発見という方向に現在は流れている。

で、日本を見直していくと日本人自身が気の付いていないことが色々と出てくる。

日本がヨーロッパに征服されて植民地にされるかもしれないという、この時代の共通した危機意識があった(「明治」という国家 司馬遼太郎)

また、その当時を生きた福沢諭吉は、こんな不安を感じていた。

自分は何とかして禍いを避けるとしても、行く末の永い子供は可愛そうだ、一命に掛けても外国人の奴隷にはしたくない
(福翁自伝 福沢諭吉)

福沢諭吉は、日本が植民地になることを「日本人が外国人の奴隷になる」と考えていた。
これは、幕末・明治の日本人が共有していた危機感で、その後の日本の発展のエネルギーのもとにもなっている。


http://yukashikisekai.com/?p=4053

日本の近未来を考えていくとき、こういった日本の土壌を抜きにして語ればそれこそ福沢などが危惧した「外国人の奴隷」に向かうことになるし、実際、グローバル思考に酔った財界や米国帰りの官僚・政府に巣くう定見もない議員などは「日本をちゃんと見ているのか?」状態だ。

が、今はこれを放置して先に進める。情報社会の進展で、情報社会に適応できない集団や個人は力をどんどんと失っていくことになるから時代に任せても構わない。

情報時代というのは情報が先行して社会を動かす時代の事だ。これを皆が認識しているからこそ「情報時代」という言葉が使える。ここで「皆が認識している」ことを「成り立たせる社会」と「成り立たせない社会」が出てくる。主に国家の形態になってくるが、世界の大半は「成り立たせない」社会だ。それには情報インフラが整っていないという理由もあるし、強権主義的統治のために成り立たせない意思が働くという理由もある。

日本人の主権が及ばない国は考えても仕方がないから、やはりこれも「ネットワーク社会」考察の中心には置かない。

筆者は一般的な人には「マジ?」と思われるくらい上下や左右の社会体験を「職業として」経験している。若い頃から意識的に社会探検を目指す傾向があったので、傾向というのは「抑えきれない好奇心」の為せるところだが(苦笑)、この体験から3日・3月・3年という意味をしっかりと確認した。で・・・日本人はネットワーク社会につくづく向いた国民だと思うのだ。

ネットワーク形成でも最初の基礎的な共通意識がなければ最初の段階でモタモタして分解してしまう。共通意識の芽生えで一番手っ取り早いのは「敵」の存在。諸外国で多いのは「敵」を作り出して結束させることがやたらと多い。が、これは全体として眺めると全体の混乱を生み出し、さらに混乱を悪化させる結束でもある。したがってネットワーク社会形成の手段としては妥当ではない。

ネットワーク社会を実現させると誰もが利益を得る、誰もが創意工夫で競い合える、ネットワーックに保護されながら自分の生き方を自由に決められる・・・こういったネットワークの特性を理解させる方向で結束させることが出来れば、全体としての混乱や分裂は起きにくくなる。

繰り返すが「ネットワークの実態は接続」なのだ。悪意を持ってネットワークに接続してきても、悪意が露見すると接続が次々と切られて悪意の持ち主は孤立してしまう。またネットの情報ツールはリアルタイムで全体に伝わるので、悪意の露呈はたちまち全体にも及ぶ。この悪意の露呈で「村八分」という村の総意での処置が自然と生まれてくる。逆に良い評判もリアルタイムで全体に伝わるから、こちらは「信用」の形成が早くなっていく。こういうことを自覚した人によって作り出していくのが「ネットワーク社会」。

・・・「昔の日本に近いんじゃないの?」と思った人は勘がいい。日本の治安の良さは江戸時代にすでに実現している。幕末で乱れだしたが、それも政治の乱れなので京を中心とした局部的なものだ。元々ネットワークでの仕事、あるいは趣味的もの、スポーツというのは安定した社会では発達する傾向がある。日本はネットワーク発展での「安定」時代が江戸時代によって長く続いた。これに話を持っていくと横道に逸れるのでここまで。

ネットワークの結びつきには個人と団体が複雑に絡んでくる。これは現状のネットを観れば判る。前回、派遣会社の数が日本では突出しているグラフを提示した。これはそれだけ派遣相手企業の種類が多いことを示している。細分化しなければ需要に応じきれない。これをさらに細分化していくと派遣企業自体が成立しなくなるほどより密度の濃い就業形態になっていく。

そうなると正社員と派遣社員の区別も意味を為さなくなる。ネット自体が職安のようなものに変貌していく。ここで仕事をする側、仕事を出す側の社会的合意が必要になる。でないと双方が安心して仕事を出したり、仕事を請け負ったりの取り決めが出来ない。

この最低基準がセーフティネットと結びつく。一種の社会的保険だ。

セーフティネットネットが影響を及ぼす範囲は非常に広い。まずセーフティネットが確立されると年金制度も必要でなくなる。セーフティネットで最低生活を保障されるので、それ以上の生活をしたければ任意保険で補うことになる。病気やケガでの収入途絶もやはりセーフティネット依存。失業も同じ。

こういう福祉面もセーフティネットが代替するので個人の確認が必須になり、ここでマイナンバー制が不可欠になってくる。マイナンバー制は福祉面での重複機関を一つにするための基本的役割を担っている。重複した機関を一つにするので、重複をしている部分が消えた分、行政での経費が浮いてくる。

ちょっと長くなった。次に譲りたい。

ネットワーク社会の細部を観ていく

在宅勤務という労働形態はネットワーク社会の基本形みたいなもので、問題が出てくるのは男が在宅勤務をやると過剰労働になりやすいという点。筆者などは自由業の期間が長かったから在宅勤務などは当たり前の感覚で受け止めるが、一般的には男は顔色を上にも周囲にも窺って仕事をやる習慣が根付いてしまっている。その習性で一人だけの職場だと見えない眼を過剰に意識し、どこまで仕事をやっていいのかの判断を失ってしまう。

女は基本的に自己中心なので無理をしないし、無理をさせると怒ってしまう。専業主婦の場合、家事労働はそもそも自由業なのである。筆者は自由業をやっていたおかげで家事労働がどういものかを知っているし、奥さん連中の交流具合も傍で見ている。

こういうところからネットワーク社会は女の方が理解しやすいかもしれない。

仕事は多様であるし、在宅勤務よりも現場仕事の方が現実にはインフラなどで社会の基盤となることが多い。筆者は3年間ほど釜ヶ崎を根城にして販場を転々とする現場暮らしもやったが、この3年間は社会観察で実に有益だったと自分で思う。毎日が違う仕事をやるのが日雇い業。高速道路建設では山中の飯場で重たい電動ドリルを手に、腰に安全ベルトを着けて山の壁に穴をあける。ロックフライミングのように縦横の移動で穴をあけていくわけだが、穴をあけるだけの仕事なのでそれが仕事の流れでどういう意味を持つかは知らないし、知る必要もない。

しかし、今思うとこれも自由業の中に入る。自由業の人間が販場に集まってそれぞれの部署につき、仕事が終われば解散。これはチーム仕事だ。チーム仕事なので誰をどの部署に配置するかは仲間内の評判で決まり、その評判がチーム管理者に伝わって部署の配置を割り当てていく。こういう仕事でもスカウトがある。筆者は運転免許を提示できるので配置部署に仲間を送っていくこともやっていたが、その運転中に色々と話を聞いた。

「今の現場は社員になれとうるさいんだよ」と40半ばの男が助手席で呟く。このときは二人だけの注文仕事なので販場から現場までトラックでの行き帰りだった。「じゃ、社員になれば?」とハンドルを握る筆者が言う。「社員になるには書類が要るからなぁ。あと、仕事をする気にもならないときでも出社だし、ああいうのは嫌だ」と言ってから筆者を見て笑う。

書類を出すのを嫌うのは身元を知られたくないためで、そのために運転免許証も販場の管理人に提示していない。そういう事情がある。また免許所の書き換えもせずに失効していることも販場の人間には多い。そういう世界なので免許証を提示できる筆者には信用仕事をよく回された。また会社仕事に比べて肉体的にはきついが、精神面では非常に楽。だから男の説明には納得が出来て筆者も笑う。

世間的には「犯罪者ではないの?」という状態だが、仕事は与えられたことをちゃんとやってくれれば何も問題はない。「ちゃんと仕事をやる」という評判が信用になっている。ここから信用=全人格ではないということが割り出されてくる。

ネットワーク社会の基本形態を在宅勤務としたが、「在宅勤務」という言葉は実態に合わない。探偵仕事のようなもので在宅中は仕事の依頼を待っている待機であり、仕事が決まれば家を出る。そういう在宅仕事が実際には多いはずだ。だから自由業として在宅勤務を捉えるべきなのだ。だから一見、現場仕事と在宅勤務は正反対と思えても「自由業」という括りでは違和感は何もない。現場仕事の多くは「チーム」によってやる仕事であるためだ。

チーム仕事こそネットワークによって成立している。単独ではまとまりがないので、得意のある人物を集めてセットにして仕事を請け負う・・・この形態は社会の至る所にある。そこにインターネットという情報伝達ツールが登場してきた。ネットワーク社会の実際は事務仕事ではなく現場関係の仕事で実現していくのではないか?とさえ思う。

その意味でチーム作りを頭に浮かべるとネットワーク社会が現実味を帯びてくる。問題は教育でも報道でもチーム仕事の紹介を滅多にやらないこと。むしろネットワーク否定の報道が圧倒的に多い。ここで下のグラフを見せる。

派遣各国比較

このグラフでの日本の派遣業数がダントツに多いのは何を意味するか?である。多くは、というか圧倒的に多いのは正社員と非正社員を問題にする評論だ。これを「ネットワーク社会」という視点で観ると全く別物の世界を見せる。日本はすでに世界とは違う領域にあることを示すグラフでもあるのだ。

中小企業の割合

この現状から筆者は「ネットワーク社会」ということを考えている。頭が疲れてきたので今回はここで止める。次からは仮想的にネットワーク社会の実際を考えていきたい。

ネットワーク社会を考える

スイスの高級スキーリゾート地ダボスで、1月17~20日に世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)が開催される。ダボス会議の3,000名の参加者には、世界の大手多国籍企業1,000社から約1,800名のビジネスリーダーの他、世界の指導者、経済人、メディア関係者、セレブが出席する予定である。今年のダボス会議の注目は、 中国の習近平国家主席が中国の国家主席として初めて出席することである。

 ダボス会議から生まれた、銀行家・ビジネスリーダー・政治家の「ダボス」ネットワークの参加者で毎年開催されるダボス会議は通称、世界の0.1%の超富裕層、「グローバル・エリート」のための会議とも呼ばれてきた。本年度の議論のテーマは、「俊敏で責任あるリーダーシップ」であるが、中心となるのは既存の政治、社会経済システムに反対する民衆への対応策と思われる。

 英国のEU離脱、ドナルド・トランプ大統領の誕生、イタリアの憲法改正への反対によるレンツィ首相の辞任、欧州諸国で極右派政党の支持拡大など2016年は国民がグローバリズムに対する不満と反対を示した年であった。今年予定されているオランダ、フランス、ドイツでの選挙結果では、グローバリズムを推進するダボス会議参加者にとって、既存の社会経済状況が大きく変化し、大きく影響を受ける年といえる。


https://www.trendswatcher.net/112016/geoplitics/%E3%83%80%E3%83%9C%E3%82%B9%E4%BC%9A%E8%AD%B02017%E3%81%AB%E9%9B%86%E7%B5%90%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88/

世界のピラミッド支配構造として名指しされていたのがこの「ダボス会議」。ここで「既存の社会経済状況が大きく変化し、大きく影響を受ける年」としているのは、間違いなくインターネットの思わぬ展開だと思える。また筆者もインターネットを軸に、「新世界秩序」派に対して「ネットワーク社会」という網膜構造の社会を解析しているつもり。「つもり」が筆者の気の弱いところ(苦笑)。

一元管理は企業や国家の組織として、また行政の組織図としてもおなじみだから理解しやすい。しかし、実際の世界は「世界政府」の出現がない現在、連結構造になっている。「条約」「協定」などは国家間の連結のためにある。これが「連結」思想になっていないのはそれぞれの国が一元管理思想で運営されているためで、連結思想という言葉にピンとこない。実際には連結によって社会構造が成り立っているのに、だ。

確かに連結思想は一見「アナーキズム」に近い。

既成の国家や権威の存在を望ましくない・必要でない・有害であると考え、調和的な社会結合を目指す政治思想。アナーキズムと表記されることもある。また、無政府主義とも訳される。

https://www.google.co.jp/#q=%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%82%BA%E3%83%A0

が、製品製造販売の普及は「アナーキズム」の定義に合っている。自然の調和もアナーキズムだ。これが一元管理思想である宗教とは整合性がとれないので「神」という仮想物を置くのが西欧的秩序の考え方。日本の場合は自然を尊ぶ神道があるので無理に社会のトップに神を据えることはない。

ま・・「アナーキズム」よりは「自然調和主義」の方が聞こえがいいし(苦笑)、イメージもしやすい。

で「自然調和主義」としてネットワーク社会を考えていく。この具体的なイメージはこのブログで何度も書いているように「パソコンとネットワーク」。ここでパソコンがネットに繋がる、「繋がる」ことの意味に言及したい。

ネットワークという網膜状の社会には中心がない。中心がないということは社会がピラミッドのような階層を持っていないということでもある。パソコンのスイッチを押してON状態にするとネットに入れるのも、パソコンが回線でネットと繋がっているため。ということは自主的にネット世界に入っていることを意味する。強制されてネット世界に入る訳ではない。「繋ぐ」ということには自主参加の意味がある。

集団動物は集団に依存する。その依存の形が強制的であればピラミッド構造になるし、自主参加であれば不定形な網膜状になる。小魚の魚群も団子状態を持った網膜状であって、状況に応じて色々な形を作る。

個体の群れだけが網膜状態を作るのではない。人の社会では学校も企業もスポーツクラブもそれぞれが連結して網膜状の集合体を作る。この最初の網膜状態の集合体を、今まで馴染んでいるピラミッド構造に変えてしまうのが人間。必要性の有無にかかわらず、にだ。これは情報技術の未発達で起きている。最初から「繋ぐ」技術が個人に与えられていればピラミッドによる一元管理にはならない。誰かが命令して、それに従う必要性がないためだ。

単位は学校なら年齢とか学習成績などの共通項で括った小さなグループになるし、それが日本全土で結びついてネットワークを作り上げる。それも「共通項」が変わるたびにグループの中身も変わるという変化自在の小集団。変化自在だからネットワークもそれに対応してネットワークの中身も変幻自在。固定したものではなく常に動いているネットワークの構造。

ネットワーク構成の単位が個人や小集団になると、目的によってネットワークも変化していく。ネットワークの形を規定するのは「目的」なのだ。だから企業でも同様で、「仕事」という目的によって集まった集団がネットワークを作っていく。この場合、「あちらのネットワークに接続する方が収入も多い」という形で変化するかもしれないし、「仕事をしやすい仲間で集まろう」というネットワークも十分に考えられる。これは小さいネットワークで、この小さいネットワークが他の小さいネットワークと結びついて大きなネットワークを作っていく。

しかし、あくまで網膜の形状を維持している。

ネットを考えたらこの形状の強さが理解できる。ネットに攻撃があっても中心がないから部分しか破壊できない。しかも無傷の他のネットワークが直ちに修復しだす。理屈としてもこういう社会は最強だ。リアルタイムでネットワーク全体に情報が伝わり、どこかが優れた案や対応力を示せば直ちにその案や対応方法が全体に波及する。結果、その社会は色々な有益情報を内部に取り込んで新たな世界を目指し始める。

理屈としては申し分ない。しかし、現実にはそれが可能か?

可能かどうかは結局「人」に掛かってくる。ネットワークを作るインフラが整っていても、猜疑心の人が多ければネットワークは切れてばかりになってしまう。しかし、人は模倣する習性がある。模倣の伝播力で地球上の競争相手になる動物を倒してきたし、動物を倒し終えると今度は集団同士の模倣が始まり、模倣に遅れた集団は劣位に立たされていく。

この場合の模倣は一人の発明が直ちに集団に伝播されていく「模倣」。模倣によって一つの発明が全体に共有される。模倣を「伝播」と捉えると悪いイメージが消える。これに「接続」という自主性・自発性を絡ませると全体主義とは正反対の多様性を維持した民主主義社会が見える。

日本社会はネットワーク社会の下準備を今までして来たのである。宗教面で自然崇拝の神道があったのは大きい。自然の調和と馴染んでいる。今までやって来たこと、伝統を受け継いできたことをそのままネットワーク社会に適用するだけで日本は突然、変貌する。問題は西欧的一元管理主義をどれだけ排除できるかにかかっている。一元管理主義が自然主義を妨害する。一元管理主義で日本人の生活を破壊されている。

重要なのは日本社会での生活のしやすさだ。それが日本社会の「目的」にならねばならない。この目的に沿ってネットワークが日本全土に行き渡れば、間違いなく日本は「夢の国」だ。

ネットワーク社会はどのようにして出来ていくか?

ブログだけだと現実の場から乖離しやすいのでツイッターという短文サイトに足を移したりしているのだが、短文慣れは危険だとも思う。「制限時間1分で書け!」と急かされた状態に無意識になってしまう。ブログは頭が疲れるまで「書いて考え、考えて書いて」ということがやれる。これは誤字・脱字で現れる。短文のツイッターの方が文字数比率で誤字・脱字が多い。書くことに気持ちが急いているのだ。落ちついて文章の見直しをやっていない。

今書いた分量だけでもツイッターでは二枠は使う。これでは何も書けない。ま、それでも書いているんだが(苦笑)。

ツイッター小説というのが一時あったらしいが、それを読んだことのある人に聞くと「ツイッターで読む分ではいいんだけど、本になると無理。全然、面白くない」と言っていた。ツイッターで書き込み慣れをするとそれはよく理解できる。「遊び」の間が作れない。文字制限があるので言葉をぎりぎりに押し込んでしまう。これで本になると窮屈感が出てくる。

そういうことではアマゾンの読後感想の方が長文を書けるからか、面白いのが多い。

このブログでは「ネットワーク社会」を主題にしつつあるが、だから実際に自分でツイッターやYouTubeなどを体験しようとしている。実際に自分でやって見ないと「どういうものか」を実感できない。これも「ネットワーク社会の双方向性はSNSが中心になる」としているからで、それで可能性と限界の見極めもある程度はつく。

で、新たにツイッターで発見したのがこれ。

ツイートアイコン2

これはメッセージ機能だが、ツイッター内でのメールのやり取りができるアイコン。これが以前にはなかった。で、Skypeで皆を呼び出してツイッターをやっていないAに「これはそっちにある?」と尋ねて、「いや、俺にはそれがないな」と答えたところで、Bに「お前は?」と訊く。「俺はある。そういえば前にはなかったよな?そうするとツイッターに登録している者だけしか互いの通信はできないってことだな」とBが言った。

確かにメッセージツールが追加されたことでツイッターの用途は大きく広がる。ツイッター内とは言えども公道上のタイムラインにはやり取りが見えないためだ。やり取りが他の人に見られたくないということはけっこう多い。建前と本音はどの分野でもあり、本音で補足すると「ああ、そういうことか・・・」と納得する部分が確かにある。

特に短文では言葉を圧縮するので補足的な機能は必要だ。また、ツイッターでは書き込みの上からクリックすると下に新たなページが出てくる。これも気が付くのに筆者はちょっと時間がかかったので仲間に伝えると、「いや、俺も知らなかったよ。」と返ってきた。筆者らは3人グループなので誰かが何かを発見するとSkypeで呼び出したり、呼び出されたりで情報が行き渡るが、一人でネットに向かい合っているとこういう情報の伝達は容易ではないと思えてくる。

パソコンでも集団内で普及するのは一人、パソコンに詳しい者が登場してからだ。それまでは集団内においてはパソコンは全くと言っていいほど普及しない。がいったんパソコンに詳しい者が出てくると瞬く間に普及してしまう。

パソコンは解説だけではほとんど普及しない。「ここをクリックするとこういう画面が出て・・」「あ、なるほど・・・」というやり取りの中で覚えた者は他の者にも覚えたことを伝えていく。これもリアルな世界での口コミ。そして情報の有難みを体感していく。解説だけなら「あ、そうですか。勉強になりました」で終わり。そこから行動に移るのは一握りだ。

その意味でパソコンの世界はとことんまで「口コミの世界」だ。これはキャンペーン政治の終りを意味する。単純なキャンペーンだけで行動する人はスマホも含めたパソコンの世界を知らないか、馴染んでいない人だけだ。しかもパソコンを知っている人が老人ホームで現れるとあっという間に老人ホームはパソコンだらけになってしまう。

老人ホームを例にしたのは「こんなところまで情報が来るか?」と示すため。実際、高齢者でパソコンをやっている人は世間が想像する以上に多い。LINEが瞬く間に普及したのもこういう潜在需要があったためで、逆に日本で日本製LINEのようなアプリが出てこなかったのはテレビ・新聞・出版がネットを敵視したことによる。これでネット参加者もマスコミを敵視しだした。マスコミ関係者は敵と味方という区別的な発想から抜け出さないとマジ、滅亡するよ。

世界はどうなっている?

isis、シリアの子供の臓器販売

ここに貼るのを迷ったが、ツイッターでの拡散貼り付けよりは安全かな?と。(ちょっと怖いね、ISISだから。・・汗)

これを見るとイスラエル情報だな。「ISISがシリアの子供の臓器販売(腎臓)を米国で1万ドルで売っている」という意味だろうな。動画は麻酔をかけられた青年の開腹手術をしている場面。で、グロイからそっと閉じ。

中国の法輪功信者の臓器販売がかなり周知されてきたが、この非人間性のシステム化はギャング世界にも広がりそうで寒気がしてくる。所得格差どころではない。

もちろんSNS情報ということで「嘘情報」として処理される可能性は大いにあるが、「嘘」とか「本当」とかの問題ではないんだよ。こういう仕組みが存在できる「可能性」こそ大問題。

監視の仕組みが社会に出来ていないと「とんでもないこと」が起きる。この場合の監視というのは「社会全体の眼」。検閲ができる監視ではない。日本なら1億人の眼による監視。非道さというのは「眼」が多ければ多いほど「非難の声」が上がりやすく、かつ拡散されていく。これによって「非道」や「不正」が抑止される。

「煽り」があるから言論は規制されなければならない→→→「検閲」の正当化→→→恐るべき事実が闇に葬られる

中国の腐敗は言論統制から生まれている。ヒトラードイツでもスターリン的全体主義でも、徹底的な言論弾圧によって本来自然が持つ調整機能を失っていく。

近未来の社会を考えるとき、こういう情報の制限が生む人的災害については十分に考え抜くべきだ。いったんそれが始まったら後戻りが出来ない暗黒社会に突入してしまう。

必見「CIA ザ・カンパニー」シリーズ

ジェームズ・ジーザス・アングルトン

1954年から1975年までCIAで防諜部長を務めた。退官時の正式な職名は防諜担当副次官。

CIA長官を務めたリチャード・ヘルムズはアングルトンについて、「当時、ジムは西側諸国のカウンターインテリジェンス(防諜)を代表する人物だった」と語っている。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3

アングルトン

「CIA ザ・カンパニー」という米テレビでのシリーズドラマがあるが、このドラマの陰の主役がアングルトン。筆者は諜報物の本をリアル推理小説のような受け止め方で相当に広範囲に読んでいるが、「CIA ザ・カンパニー」は筆者のそっち方面の知識と照合しても優れたドラマだと評価している。

「優れた」と評価しているのは、「世界の俯瞰」とスパイという「個人」を過不足なく描いているためで、これは容易ではない作り方だから。多くのスパイ物はイスラエル諜報特務庁、通称モサドがやった「ミュンヘンオリンピック事件」などが典型だが、「事件」で終始している。その意味で「CIA ザ・カンパニー」は「ハリウッド、侮りがたし!」という観を抱かせる。

ここに出てくるアングルトンはブライアン・ フリーマントルのスパイシリーズに出てくる防諜担当者と重なって、フリーマントルはアングルトンをモデルにしているなと思わせるくらい丁寧な描写をしている。

防諜のための人物観察はもはや純文学(笑)。

先日のニュースで、CIAが中国に居る諜報員の大量行方不明によって中国での諜報網が破壊されたという報道がされている。ここでダブル・エージェントの存在も明かしているのだが、スパイではダブル・エージェントが最も情報の核心に迫られるという厄介な事実がある。

政権中枢部に入るには仕事熱心でないと、入る前提の「有能」さを示すことが出来ない。自民党関係者がIRONNAで「共産党は長期戦略で行政内部に隠れ党員を送り込んでいる」と警鐘する投稿を掲載していたが、これは共産党に限らず創価学会も同じ。むしろ創価学会の方が世界活動をしている分、警戒の必要度が高い。

うむ・・・アングルトンみたいな分析をやっているな(苦笑)。

CIAの中国での諜報網を破壊されたという報道は、逆に言えば中国の防諜関係者が優秀でもあるわけで、その優秀さは無茶をやってもOKという中国共産党の支えがあることも大きい。怪しい奴を片っ端から処刑すれば結果的に米国の諜報網を破壊することに繋がるためだ。西側ではこの無茶がやれない。指示をした者、認めた者の責任が問われて政治的に失脚してしまう。

そういう制限がある中でアングルトンは防諜、つまり内部に居る敵側のスパイ摘発で能力を示した。

「怪しい」と思った人物には徹底的に過去や周辺を調査することになるのだが、これは「現実での相手の振る舞い」を無視することでもある。スパイは役者よりはるかに演技力がある、という前提があるためだ。動揺を克服させるための「鉄の心」を持った者だけがスパイの世界では生き残れる。

「そんなことは当然だろ?」と思う人が居るかもしれないが、スパイ機関で最優秀とされてきたモサドでも変な人物をスパイとして使っているのだ。エジプトに侵入して重要情報を流していた諜報員がイスラエルからの連絡係として女諜報員と接触しようとしたとき、その言動が見るからに怪しく、それで「あんなのを寄こさないでくれ。こっちは命がかかっているんだぞ!」と暗号通信で怒鳴りつけたという逸話がある。

その優秀なモサドのスパイもエジプトの諜報機関に見破られて逮捕され、勾留中にイスラエルとエジプトでの捕虜交換で命が助かった。だから自伝で書けた。

日本も周辺状況が緊迫している現在、「CIA ザ・カンパニー」は必見だと思う。政治の裏、さらにその裏・・・こういう疑心暗鬼の世界と対比しつつ、一方で世界の技術や経済が作り出していく表の社会が持つ力強さ。

「CIA ザ・カンパニー」は最後にこの表の世界の強さを示して終わりとしている。見事だ。

想像以上に日本のネットワーク化は進んでいる

昨夜だったか、雑談仲間が「ジェット機の爆音で煩い、なんかあるかも・・」と連絡してきた。「テロ等準備罪」可決の日だったのだが、これは忘れていた(苦笑)。が・・・北朝鮮が、というより米国が日本と連携して攻撃する場合は、「テロ等準備罪」が可決した後でなければ北朝鮮が忍び込ませた工作員の蜂起に対処しにくい。

で「近々が危ないな」と返事してから寝たが、そういう日は眼が覚めるのも早くて早朝、5時ごろに起きた。ネットが繋がるので、今のところ何も起きていないなと安堵して寝ぼけた頭でツイッターに色々と書きつつニュースを待った。で、ようやく「テロ等準備罪」が可決したことを知る。これ、公明党とか維新とかが裏切ることも予測していたんだが、裏切らなかったね(笑)。しかも全員起立の賛成だから頭が混乱したよ。中国の指示が変わったのかと思ったし、あり得るとも思う。

で、さっき、また北朝鮮がミサイルを撃ちあげた。撃ちあげ慣れさせて油断したところで本物が・・・という想定も必要。今回も暗号メッセージが出たようで、その通りに北朝鮮はミサイルを撃ちあげた。しかし北朝鮮はミサイル製造力を誇示したいのかと思う。

一番の要注意は神奈川の米軍基地と沖縄。「お前のところは安全圏だからのんびりできるが、俺のところはモロ射程圏に入っているからな!」とジェット機の爆音がうるさいと言ってきた雑談仲間の一人がぼやいていた。それで「非常時にはネットも接続できないし・・・」と筆者が言うと、「ショートメールがある。あれは震災でも通信できたそうだ」と返ってきた。

・・・・・・何か戦時中みたいなことを書いているよ。

「火事速報~火災・災害・消防~」というサイトがある。

https://twitter.com/kazi_sokuho

これね?

火事が多いな・・・。

思いついたら「サイト」という感じで実用性のあるサイトが次々と増えてきている。日本人は自主的に動く人が多いとつくづく感心する・・・。筆者が予想する「ネット政府」が事実先行で出来つつあるような・・・。

1億人の政府機関のイメージは荒唐無稽に聞こえそうだが、これは一元管理の頭で考えるから突飛もないと思ってしまう。しかし「システム」の発想だと「システム連結」ということで、すでに日本社会はそのようになっているのだ。現実が認識もされないまま進行している。

システム連結というのはUSB接続を増やすようなもので、「俺んとこも結びつけるよ!」みたいな気楽さで新たな機能が連結され、連結された分だけネットワークは強力になっていく。これが現在、進行中なのである。日本の青写真も提示されないままどんどんと日本のネットワークは拡大されている。産業革命の進展過程も同じだったはずだ。英国で始まった産業革命が「何で日本という極東の島国が我々と結びつくのだ?」と頭をひねった欧州人が居ても不思議ではない。

社会というのは一定規模を超えると一元管理が不可能になり、その不可能なことを無理やり一元管理にしてしまうと全体としては故障だらけになってしまう。

中国当局が「群体性事件」と呼ぶ"抗議活動"
発生件数は2011年には年間20万件にのぼり、この10年で約4倍になっている。
「ただ、あくまで当局の発表。実際はそれ以上、年間30万件以上起こっていると思います。」

https://matome.naver.jp/odai/2140180921003296301

日本の人口を中国の1割だとすると年間3万件の暴動が起きている勘定になる。これでは政権はぶっ壊れてしまう。が、そうしたことが起きないのは日本のネットワーク化が進んでいるためだ。

この現状を前提として今後の日本社会を考えていかねばならない。

ツイッターなどのサイバーテロ発生?


ツイッターで 書き込みが出来なくなっている人のための状況説明。サイバーテロ発生の可能性が極めて高いね。

ツイッター障害情報サイト
ツイッター2障害情報サイト

ネットをどのように利用できるか?

インプレッションが伸びた記事

最近ではこの書き込みがインプレッションでダントツに伸びた。「いいね」が21なのに閲覧回数が1万8813。記述内容は画像内の通りだが、体験上、「いいね」の10倍くらいがインプレッションの数字なので、本来は2100。この基準を9倍オーバーしているということは投稿した内容にそれだけ関心が強いことを意味する。

「この世代の高齢者はもともと気が荒いから、高齢者の犯罪行為が増えている」みたいなことを書いていたので「何をデタラメ言っているんだ」と反論的な意味で投稿した。

「孤独」→般的な情報に接しない→被害者意識が強くなる→周囲が敵に見えて暴れる

この構図だと年齢や世代は関係がなく、「孤独」の状態に置かれている人は潜在的に上の流れに近くなる。「引きこもり」とか「人との付き合いが下手」という「状況が生み出す」結果。そうすると国の補助金を貰っている社会福祉団体は「孤独という状況」を改善する行動をとらねばならない。社会福祉団体がそういう行動をとらなければ行政がとるように指導する。

これをやらない、あるいは発想も考えもないから「政治・行政は頭が悪い」と書いた。実際、相当に頭が悪いのが政治・行政には集まっている。そのくせ「自分はエリートだ」という間抜けな自尊心があるから始末に負えない。

問題の解決策を出せなければ「アホ」なのだ。賢いのとアホの区別は「解決能力」で決まる。これ以外に他にどういう基準があるというのだ?あったら教えてもらいたいね。

各家庭にパソコンのような情報端末を行政が配って、その地域はシステム社会の構成に加わることが出来る。「孤独解消」はシステム社会の構成員が利便性を獲得する一つの恩恵に過ぎない。年齢がそれなりに若いと「孤独解消」からさらに一歩前に進んで社会活動の一員として加わることもできる。これで体も健康になり、医療費削減効果も見込める。

小さなことに見えることでもシステムと繋がってくれば、システム自体が活性化してくる。

こういうことが今の日本では明日にでも可能。可能性があるのに実現できないのは「システム」という意識が国民全員に行き渡っていないから。前時代のイデオロギー対立とか、欲ボケによる争い、根拠なしのお花畑にしか関心が向かわない人間を忘れた人・・・これらは自分達で自分の首を絞めている。

これは手始めであって、社会がシステムとして繋がっていると色々なことがやれるようになる。

カネの使い道がなくてタンス預金をしている人には新しい事業に出資してもらって、新しい事業が成果を出すと出資割合分だけ新たな収入が入ってくる。地域社会では「誰が?」が特定しやすく、特定できることによって出資する不安の多くは解消できる。筆者が地域社会を重視するのは「信用」と「信頼」が狭い社会ほど確立しやすいという理由に因っている。

新しい事業も、地域の眠っていた財産に光を当てることで財産を蘇らせて活用できるということも可能だし、これによって新たな雇用も生まれてくる。また眠っている「地域財産」は「地域」という特殊性があるから、需要を開拓できれば必然的に競争力を備えている。どこかの真似をしてどうする?成功している相手の真似は相手の特殊性を考慮すると、特殊性を持たないだけ真似をする側は不利になるのだ。

が・・・これも政治としての力を持たなければ夢物語だ。だからネットを駆使しての「勝つ政治」を筆者は模索している。
プロフィール

haizara

Author:haizara
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。