情報の過剰生産とその処理

1980年代から1990年代にかけての技術革新はめざましく、パソコンは数年ごとに買い換えられ、まるで消耗品のように扱われていた。だが進歩のスピードが遅くなるにつれ、パソコンの寿命は延び、結果的にパソコンを新たに購入する消費者の数も減っていった。



読者のみなさんが最後にパソコンを買い換えたのはいつだろうか? まさに今、恐れていた事態が到来したと言えるだろう。パソコンは延々と「走り」続けているのだ。パソコンの出荷台数は2011年に3億6500万台まで伸びてピークを迎えたが、その5年後には約30%減の2億6000万台まで落ち込んだ。IT企業は今も製品のパフォーマンス向上やコスト面の削減に取り組むものの、それはパソコンではなくクラウド技術や人工知能(AI)、そして音声認識技術の向上を目的としたものだ。

スマホがいらなくなる未来も?

 タブレット端末がパソコン販売台数の減少を招いたのも事実だが、そのタブレット端末の出荷台数もピークを過ぎている。スティーブ・ジョブズ氏が「iPad(アイパッド)」を発表したのは2010年で、2014年には6800万台のiPadが出荷された。昨年はそれが3割減の4500万台にまで落ち込み、今年はさらに出荷台数が減ることになりそうだ。これらタブレット端末は摩耗する商品ではない上、新たに発表されるタブレット製品は買い換えを促すほどの新たな機能やアプリを搭載していない。まさにラジアルタイヤなのだ。

 スマートフォンについても同じことが言えるだろう。「iPhone(アイフォーン)」が2007年に発表された際は高い注目を集めた。ガラス面の裏にはコンピューターが搭載され、利用者はタップやフリップ、ピンチで操作できる。まさに「Think Different(シンク・ディファレント)」を体現する製品だったと言える。その後アップルは大きなスクリーンのiPhoneを加え、グラフィックを向上させ、ポリカーボネート製の外枠に変更し、指紋認識センサーを加え、圧力センサーも加えたディスプレーや前面カメラ、そして音声認識機能「Siri(シリ)」も付け加えた。昨年7月までの累計で10億台のiPhoneが売れ、その多くは早い周期で端末を買い換える消費者の手に渡っていった。

だがiPhoneの販売台数は2015年以降、おおむね横ばいの状況が続く。スマホの機能が充実し、2年ではなく3年から4年はもつようになったのだろうか? 利用者に買い換えを促すには、何が必要なのだろうか?

――017 年 6 月 5 日    筆者のアンディ・ケスラー氏は元ヘッジファンドマネジャーでWSJの寄稿者 


長々と書くとかえって問題の本質が見えなくなる。この長い引用でも、言っていることは「製品は消費より長持ちする」ということであって、このブログでは何年も前から指摘している。製造は需要より増えて、つまり供給過剰になって生産が追い込まれていくのが大量生産・大量消費の時代であって、これが工場移転という形で世界的な構図になっているのが現在。

そういうところにインターネットが登場してきた。情報は形を持たないのでいくらでも所有できるし、また情報の生産も工場が要らないから誰でもできる。問題は対価。対価が生まれないとカネという形の経済が循環しない。

この対価として著作物などの「知的所有権」「知的財産権」という権利売買の世界的な取り決めが始まりだした。しかし、大きな壁になるのも「形を持たない」という情報の性格だ。「情報は商品になるのか?」と、コピーの氾濫という形で現実が問いだしてくる。この問いに対して悪戦苦闘・試行錯誤が行われているのもやはり現況。

「知的財産権」という問題も世界の情報社会化にあっては小さな問題に過ぎない。「情報社会」というのは「時代」という眼で見なければ流れの行く先が見えてこない。産業革命は土地依存の社会形態から流通依存という社会形態に変えた。工業化された商品は供給過剰を生み出すので市場確保が常態となり、市場を求めて植民地戦争が起きていく。

そして現在のような世界市場が各国に開放されて市場争奪の戦争は戦争の動機を失っていくわけだが、問題は工場移転を受け入れた側と工場を移転させた側の間で時代認識にズレが出てくること。時代もまた各国でタイムラグを生むのだ。時代認識のズレは「言葉」の受け止め方でも違ってくる。

工場を移転で受け入れた側は「さぁ、これで物をどんどんと作って国は豊かになるぞ!」という意気込みに溢れるが、工場を移転させた側は「儲けにもならないやっかいな工場を後進国に押し付けてようやくフリーハンドになれた」という意識の違いが出てくる。流通を主軸に置くと「商品の選択」が最重要になり、商品の選択を社会状況に応じて機敏に動くためには工場という固定した存在は邪魔になってくる。邪魔だから商品企画はやっても製造は他国に依頼する。米国で伸びたアップルなどがその典型。

が・・・これもまた冒頭の記事状態になってくる。情報もまた供給過剰が起きるという現実に直面する。「知的財産権」で大騒ぎをしている間にその知的財産そのものが古くなって商品価値を失っていく。情報は生鮮食品と同じ性格がある。古くなった魚は売れないし、売れないから商品価値もない。これと同じことが「知的財産権」にはある。

生鮮食品と耐久商品を同じように考えるから大きな錯誤を抱いてしまう。情報は日々生産され、また日々消費されていく。また情報にも色々な種類があり、種類に応じて日持ちのする情報、日持ちがしない情報と別れてくる。自分が扱っている情報は「日持ちがする」のか、しないのかという品定めは不可欠。

世界の歴史では何かが生まれると何かを失うという構図ではない。新しいものは旧来の構図の上に足して乗っかってくる。リセットをする共産主義、あるいは宗教のような思想革命は社会に大混乱と大惨事をもたらせる。水道の水を浄化するのだと言って殺菌剤を放り込むようなことをするのが思想革命。

水の浄化には新たな水の浄化設備が要る。その浄化設備には飲料水としての適否の実験が要るし、適否で合格となれば需要量に応じた貯水池が必要になる。こういうことを備えてようやく各家庭に安全な水を提供できる。殺菌剤をポンと放り込んで解決できる問題ではない。しかし思考が短いとそういうことを平気でやる。

「情報革命」の位置づけはこの論法でやると「浄化システム」のポジション。インターネットの存在が浄化システム。不純物を含んでいる情報から不純物を分離し、「この情報はあちら。こちらの情報は向こうの棚」というように区分けをして流れ込んでくる分離前の情報を使えるように浄化していく。

しかし「情報の対価」の問題はまだ解決していない。情報の対価が成立しないと社会は経済で循環が止まってしまう。対価については製造業では「コスト計算」という手法がある。が、市場にとっての対価は「売れるか、売れないか」で決まる。

ここからまた話を展開すると長くなるので今回はここでいったん話を切る。



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情報革命と日本

【カレドニア村(米ミズーリ州)】広大な農場で羊やアンゴラヤギを飼育しているジーン・ウィルソン・ジョンソンさん(60)は、羊毛とモヘアをオンラインで販売するため、6.5キロ離れたガソリンスタンドの駐車場まで車を走らせる。そこはインターネットが満足につながる場所としては農場から最も近い。

 ジョンソンさんは自分の農場で1カ月170ドル(約1万9000円)の衛星インターネットサービスを契約しているが、写真をアップロードするには速度があまりにも遅く、到底ビジネスに使えるような代物ではない。

 多くの米国の田舎社会と同じく、この地域のブロードバンドサービスは通信速度でもつながりやすさでも後れを取っている。政府のデータによると、彼女が住むミズーリ州ワシントン郡の住民2万5000人のうち、動画ストリーミング配信やクラウドサービスに対応できる高速インターネットサービスを使える人々はごく一部だ。約130キロ離れた同州の都市セントルイスでは普通に行われていることが、ここではできない。


By Jennifer Levitz and Valerie Bauerlein
2017 年 6 月 23 日


日本では当たり前のように光通信が利用出来る環境が整っているので、この米国の通信事情は衝撃的である。

「私たちはそれに値しないと言われているようだ」とジョンソンさんは話す。
 専門家の試算によると、米国の辺ぴな土地に最新のブロードバンドサービスを行き渡らせるためには数千億ドル(数十兆円)の費用がかかるとされ、これまで政府も産業界も消費者もその負担に尻込みしてきた。

 多くの田舎社会では、ブロードバンドといっても旧式のダイヤルアップ接続サービスと速度も品質もほとんど変わらない。住民はネットで提供される娯楽に縁がないばかりか、生活向上のチャンスもあきらめざるを得ない。苦悩する米国の田舎町は、病弊から立ち直った大都市とこの数十年で立場が逆転した。このような技術格差は原因の一つでもあり、症状の一つでもある。

同じ田舎でもブロードバンドにつながる世帯が多い郡は少ない郡よりも所得水準が高く、失業率も低い。オクラホマ、ミシシッピ、テキサス各州の大学研究者が2015年の調査で高速インターネット普及前後の状況を比較して分かった。

 多くの田舎の学校のインターネット回線速度は、米国のほとんどの学校で当然と受け止められる速度よりはるかに遅い。「よそではもっと多くの教育を受け、将来に向けてもっと準備ができているのだろう、と思うことがある」とワシントン郡のキングストン中学校に通うデービッド・バードル君(13)は話す。

米連邦通信委員会(FCC)が「高速」と定義するブロードバンドサービスを利用できないのは、米国の田舎に住む人口のうち約39%(2300万人)を占めるのに対し、都市部の住民では4%にとどまる。


国家間の競争は眼玉技術の攻防に眼を注がれがちだが、実際には社会インフラですでに勝負が決まっている。産業革命に乗り遅れた国家と乗れることができた国家のその後の展開は歴史が証明している。そして通信革命は産業革命と同じかそれ以上の社会革命をもたらせる。「革命」とは進歩以上の意味を含んでいる。社会を一変させるから「革命」。

日本はこの情報革命の基盤をすでに確立できている国、この認識が十分に国民に行き渡らないのはテレビ・新聞・出版というマスコミの既得権益的価値観によってだ。「情報革命」が実際に進展していくとマスコミの構造を崩し、政治の仕組みや法律の在り方まで崩す。

これは1億2千万人の日本国民と社会がネットを通してダイレクトに結びつことによって起きる。ピラミッド型の社会がネットによってフラット型に変わっていくためで、必要な情報をいつでも、どこでも、誰にでも、となると、その状況に応じた社会に否応なく向かう。

「主張」ということすら不要で、現実にピラミッド型の組織図では迅速性に欠けるから文句や苦情が増えて変わるしかないのだ。

これは国会のバカげた政党間の応酬を観ることによっても「これはダメだ・・」という感じ方を多くの国民は持っているはず。が、バカげていると感じても解決手段がなければお手上げ状態になる。この「解決手段」こそインターネット技術なのだ。日本はそれをすでに手にしている。だから必然として日本社会は変わる。理念ではなく実際に日常生活を通して変わっていく。それが「技術の力」。産業革命も理念ではない。実際に様々な技術が生まれて、その技術を手にしたものが競争優位になるから産業革命は急激に進んでいった。もちろん、価値観を産業革命に合わせたところだけが産業革命のもたらせる果実を手にしている。

情報革命も同じ。情報革命を受け入れる価値観や意識の大転換が出来た社会だけが情報革命がもたらせる果実を得る。

例えば法律は誰のためか?を考えてみよう。答えは国民のためにある。法律によって起こるべき紛争を未然に防ぐ。だから法律は国民全部が知っているものでなければならない。が・・現実は膨大な法律用語で書かれた法律が存在し、膨大かつ難解であるから法律の専門家が現れる。とすれば、誰にでも解る言葉で法律を書かねば国民全部に周知できない。デジタルではこれが可能だが、しかしほとんどの人がこれに触れない。

何故か?頭がデジタル認識が出来ないためだ。想像力がデジタル登場以前のままで止まっている。

コンピューターとそれに関わってくる技術の進展はテキストから動画まで拡大し、しかもネットを通してリアルタイムに日本社会全部に行き渡らせた。この現実をデジタル認識が出来ない者は見えない。自分が実際にそれをやっているにもかかわらず、やっている意味が理解できない。「電気は動力になる」ということが理解できない。「電気は感電する」といった体感どまりの認識。

「日本という国は不思議な国」だと、日本の変遷を歴史的に観ていくとどうしても思ってしまう。例えば今普通に使っている日本語変換。これも本来はコンピューター言語として1と0で成り立つ言語だ。この1と0の言語を人間が自由に扱えるようにと様々なプログラム言語が現れ、そしてそこから一般の人でも使えるように日本語変換などのワープロ技術が出てきている。

かってワープロはタイプライターと同じように単独機の時期もあった。それがパソコンの標準装備とされ、今はネット接続も標準装備となっている。複合機と単機能は用途に応じてくっついたり離れたりしてきたのだが、この展開はパソコンとスマホの分離という形で現在も続いている。

技術の流れを固定的に考える者は技術から取り残されてしまう。日々、刻々と技術は改変され、また思わぬ技術が飛び出してくる。技術の世界はそういうもの。が・・・社会は技術と違って固定的に考える者がほとんどだ。何故か?社会は情報で動くからだ。その社会を動かせる情報がネット以前では特定層にとじ込まれてきた。情報取得は特権階級の世界であった。情報を自分達で確保して国民に解き放さないことで特権的地位を維持できる。

その特権的情報がインターネットの登場によって一般国民に解き放されてしまう。それが現在。これが情報革命の「革命」たる所以(ゆえん)。

日本人社会の現在は情報革命の扉を開けてしまったのである。一歩を踏み出している。だから情報革命の世界を観ていかねば何をしていいのかが判らなくなってしまう。今は誰もが考えするしかない状況になっているし、考えたことを世間に問える状況もある。この面で日本は相当に有利な立場に立っているのだから、この有利さを日本人は自覚する必要がある。

仕組みに国や社会の大小は関係がない


 フィンランドの教育の大事なポイントは、①すべての子どもに対して平等に高い質の教育を保障する、②競争ではなく共同の教育を保障する、③国家による上からの統制ではなく、子ども・教師・親・地域住民の参加によって学校をつくる、ことが貫かれていることです。


 以下、フィンランドの教育の主な特徴をあげると――


 ◆子どもが生まれると、国から母親全員にベビー服や布団、哺乳びんや絵本などのセットが届き、17歳までの子ども全員に月1万3千円が支給される。


 ◆高校や大学はもちろん大学院や専門学校を含めすべての教育段階が無償である。


 ◆授業料が無料というだけでなく、子どもたちには通学手段、食事(給食)、教科書や学用品が無償で提供される。さらに、校医・学校看護婦・学校ソーシャルワーカー・学校心理士・生徒カウンセラー等のサービスを無償で必要に応じて受けることができる。フィンランドの基本は「生徒の必要に応じて無償サービスを受けることができる」ということ。


 ◆大学生などには月数万円の返済不要の奨学金が支給され、貧富の差なく教育が受けられる。


 ◆労働者に残業はほとんどなく、夕方5時には家族そろって親と子どもがゆっくりすごせる。


 ◆夏休みは2カ月あり、宿題もない。


 ◆授業時間数はOECD加盟34カ国の中で最も少ない。


 ◆ひとつの学級は24人以下の少人数で、実際には20人以下の学級が多い。


 ◆「全国いっせい学力テスト」のような国レベルのテストはもとより、地域レベルでのテストも無い。フィンランド教育省は、「テストと序列付けを無くし、発達の視点に立った生徒評価」が重要と述べており、とりわけ「子ども期」における「競争による序列」を問題視し、小学6年生までは通知表も無い。


 ◆すべての子どもがわかるまでを基本に、結果平等の教育が徹底され、学習に困難が生じている子どもに対しては、即座に特別支援教育によるケアが実施される。とりわけ、低学年時を重視し、学習のつまずきの早期発見によって、学習困難の子どもの問題発生を最小限に抑えている。


 ◆イギリスやドイツなどがフィンランドの「学力世界一」に衝撃を受けたのは、エリート教育に力を注ぐイギリスやドイツよりもフィンランドの「学力上位層」の学力が上だったこと。


 ◆学校や家庭での体罰は厳しく禁止されている。


 ◆学校の運営機関に生徒代表が参加する。


 ――以上のように、フィンランドの教育の特徴を見ていくと、日本の現状がほとんどの場合、フィンランドとはまったく逆の教育になっていることがわかります。


http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10653717561.html

小さな国だからやれる、大きな国だからやれない・・・という判断はシステムという考えでは????になる。仕組みというのは大小に関係がない。数字を変えるだけで大きな仕組みにもなるし小さな仕組みにもなる。

茨城県の牛久大仏の大きさはハンパじゃありません。身長120メートル、ギネスブックに認定された世界最大の大仏です。なんと自由の女神の3倍、奈良の大仏が手に乗る大きさです。

http://bqspot.com/kanto/ibaraki/197

最初に完成模型を作り、それを拡大して巨大な仏像を作っているわけだが、実際に事を進めていくと想定外の問題が出てくる。が、想定外の問題の全ては解決可能である部分的な問題。現在ではシミレーション技術が発達しているので巨大な構築物もミリ単位までの誤差で済む。

この技術的な考えで教育などの社会問題を考えていくと「誤差」を念頭に置くようになる。最初に「日本の教育はこうあるべきだ」という完成模型を作れば、日本という人口1億2千6百万人の社会に完成模型を当てはめていくことになる。

巨大仏像も実際に作る段になると資材調達・資材運搬・資材の格納庫などとそれぞれの専門に通じた人物を揃えていかねばならない。当然、人も資材も揃えるわけだからそれに応じた費用も必要。教育もしシステムとして考えていくと構図は巨大仏像の建立と全く同じ。

競争が子どもの学力と幸せ奪う - テストやめ学力世界一のフィンランド、競争で学力低下させる日本 」と論じる趣旨はいいのだが、実地に移る設計図を示さなければ「絵に描いた餅」だ。社会問題を語る人にはこの「設計図」を示さない人が実に多い。「水は必要です!」と述べるだけで「水をどのように確保し、どのように各家庭に運ぶか?」を述べない。

理念だけで現実味がない・・・これはネット以前の言論の特徴。

ネットが登場すると、理念と現実化は必要に応じてリンクされていくので構想はもっと立体的になっていく。自分で何もかも構想の組み立てをやる必要がない。これをやっているのがパソコンのOS設計。膨大な人が設計に携わっている。理念の工業化と言ってよい。

「戦争のない世界」という理念があれば「戦争をしない」あるいは「戦争が出来ない」設計が必要になる。

この場合、「戦争をしない」は自分だけの心構えに過ぎず「戦争のない世界」の設計となるのは難しい。「戦争のない世界」の設計目的は「戦争が出来ない」設計で目的が達成される。この設計目的ができれば次は「戦争が出来ない」」状況の分析に入る。ここで兵器の問題が浮かび上がってくる。

米国で「銃の所持が深刻な事件を引き起こす」という共有認識が出来ても実際に「銃の所持禁止」は中々やれない。「銃の所持」に色々な理由があるからだが、しかし「銃の所持禁止」の町を作るなら実現も容易になってくる。が・・・容易になる前提が必要。銃を持っていれば現実に誰もが相手にされず、銃で脅せば町の治安機関が多数の人員を動員されて射殺されるか、拘束されるという状況がなければならない。

これで銃のない社会に向けて一歩を踏み出せる。

教育問題も技術思考で考えていくと社会的広がりを否応なく考える羽目になっていく。が、社会的広がりに耐える理念こそ本当の現実味を持った理念なのだ。人と人の繋がりで「個人の自由と可能性」と、そのために「個人を規制する」仕組みを考える。そこでの教育はこの仕組みを子供たちに理解させることにある。

教育の哲学はそれぞれ勝手にやればいい。社会の教育はそれぞれの考えを認める、保証する考え方を子供たちに教えて社会の一員として迎え入れる・・・これが社会が求める教育。技術的な思考では神学論争にはまらない。

教育を「システム」として考える。社会福祉も同じだし、それらを論じ・討議する政治もシステムとして考える。これで社会の動きが解りやすくなる。

手紙を海に流す・・・流行ったら困るなぁ

メッセージインナボトル

あることをやり続けていると、あるいは考え続けていると、やっていることに疲れが出てくる。そのためか最近「文芸映画」ばかり観続けている。文芸物は落ち着いた気持ちとか逃避とか、そっちに向かわないと読めない分野、少なくとも筆者はそう。

瓶に手紙を詰めて海に落とす・・・このイメージは昔から物語として多く使われている。この映画(メッセージインナボトル)の場合はこれと新聞がくっつく。その手紙を編集デスクが勝手にコラムとして載せた。世間も大きな人の海。人の海なので海に流された手紙が多くの人の眼に入ってしまう。そして反応という情報が新聞社に送られてくるわけだが、そこにこの手紙の続きと思えるものが2本読者から届いた。

この映画の現代風なところは海に流した人物を瓶やタイプライターの癖などから特定してしまうところ。ほとんどネットの捜査と同じ(苦笑)。しかし海に流すという心情を思いやると、そこからは現代から離れ、自分の足でその思いを探っていかねばならない。場所も番地も解っている。小さな港町。この風景もこの映画の主役扱いで撮っているが、この風景の扱いに監督の思い入れが窺えて好感が持てる。

筆者は映画評をするつもりはなく、ブログの材料として取り上げているのでネタバレを考えない(ま・・少しは考えるが)。気持ちを文字に綴(つづ)って海に放流する・・・この映画の場合は亡くなった妻に対しての自分の気持ちを海に流している。海に流すことで誰かに解ってもらいたいという気持ちが微かにある。「微(かす)か」としたのは解ってもらおうという気持ちは本人自身気が付かないほどに細いものだから。海に自分の気持ちを溶け込ませるという気分がほとんど。

その気持ちを察するにはやはり手紙を拾った人が海を眼にしていなければ心に届かない。だから監督は港町を主役並みに扱ったのだ思える。映画を観ている人に「こういう光景で手紙の入った瓶は砂浜に流れ着いて砂に埋もれていたのですよ」と言っている。

ここで「偶然」という言葉が浮かんでくる。

ある程度歳を重ねると「人生というのは偶然だらけ」と悟りだす。「必然」の範囲は狭い。世界の流れを必然と理解しても自分の人生に戻れば偶然だらけ。無数の選択肢で無数にAかBを選んでいる。この選択の積み重ねで人生が形を作ってくる。人生は必然ではない。

ちょっと巧いなと思ったのは新聞社に届けられた2本の手紙のうち、1本が流した本人のものではないということ。

妻もまた自分の死を目前にして自分の思いを海に流している。海は自分の気持ちを溶解して受け入れる・・・男と同じ感性。この感性は心の結びつきだ。文の内容に関係なく海に流したという行為に男と男の妻は結びついている。そして・・・すでに男に気持ちが傾いてしまった女は・・・その光景を見てしまうのだ。「奥さんに対する思いの強さに惹かれた」と自分でも判っているのに、現実に妻の手紙を食い入るように読む男の姿で自分の気持ちは届かないと察してしまう。

恋愛ドラマに繊細な感覚を描くことが出来なければ失敗作。この映画はハリウッド映画という制約がありながらある程度は成功している。米映画は侮れないところがある。この侮れない映画を米映画は時々作ってくるので逆に邦画のお粗末さが浮き彫りにされてしまう。邦画のほとんどは単純すぎる。不必要なところで場面が長く、また不必要に言葉を多用する。反対に言葉を必要とするところで言葉を入れない。

映画は人生と同じで「観る」であって「語る」ものではない。語ってしまうとスクリーンの光景が持つふくらみを一挙に失ってしまう。ま・・・それを語っているんだけどね(苦笑)。評論は語るもので観させる作品とは違うから(汗)。

地方都市の位置づけ


舟橋村には、村役場の図書室しかなかった。1980年代後半には、貧弱な蔵書に、週末のみの開館という不便さが表面化。一方で、越中舟橋駅も老朽化し、乗降客の減少が顕著になっていた。このままでは、停車する電車の本数も減り、駅も無人化になるという危機。舟橋村全体を見ても、人口1400人台の停滞が続いていた。さまざまな課題をクリアしなければ、村に明るい未来は描けなかった。

この対策も兼ねて舟橋村は大きな図書館を作る。

舟橋村の玄関口、富山地方鉄道の越中舟橋駅の駅舎に、図書館が併設されている。ここから富山市まで電車で12、13分ほど。250台を収容できる近接の駐車場に車を停め、電車で富山市まで通う人が多いという。

越中舟橋駅の乗降客増加をねらった、この「パーク&ライド方式」は好評で、隣接する自治体の人たちも越中舟橋駅を利用、図書館の利用者も併せて順調に伸びてきた。現在の図書館の利用登録は約1万8000人。村外の利用者が1万5000人ほどとなっている。


http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/04/funahashi-vill_n_8909360.html

舟橋村立図書館

これと対比して北海道の夕張市の10年間の推移を観てみる。

夕張市10年間の変化

企業ではヒット商品を出し、ヒット商品を維持し収益の安定を確保することによって企業の将来展望が拓ける。

行政も基本は同じだ。人を呼び寄せる眼玉が要る。

富山平野の「ヘソ」に位置する富山県舟橋村。北陸唯一の村であり、面積が3.47平方キロメートルという、日本で最も面積が小さな村でもある。この「日本一小さな村」が近年、注目を集めているのが、全国トップクラスを誇る人口増加率だ。現在、人口約3000人。平成に入ってから、ほぼ倍増してきた。


で、「年間予算13億円の村に10億円で図書館」を作ったわけだが、「人を呼び寄せ、何度も通わせる」という意味で図書館という発想は秀逸だ。確かに図書館は「何度も通わせる」習慣性を持っている。ハードカバーの本だと1日で読み切るのはまず無理だから。

ここから「何度も通わせる」何かがあれば村や町の起爆剤となることが読み取れる。普通なら観光だが、観光に持続性は少ない。スキー場なら持続性はあるが季節事業になってしまう。海水浴も同じ。「習慣性」というところに眼を置いていない。パチンコなどのギャンブルは習慣性が非常に強いが、これは麻薬と同じ習慣性なので健全とは言えない。生活を破壊しかねない習慣性。

行政がギャンブル経営をすれば「健全な社会」に対する挑戦でもある。それはギャンブル」ビジネスとギャングの関係性を観れば容易に想像がつくはず。ギャンブルで社会は発展しない。「発展」という視点が欠如している。

そいうことから「豪華図書館」は実に優れた着想なのである。

さらに村を発展・拡大させるには、同じ視点で村自体を図書館と繋がる事業を見つけて配置していけばいい。貸出回数の多い本から類推して新たな事業を考え出していく。ヒットというのはそういう関連を繋いでいかないとやがては飽きられるし、寿命も短い。

夕張市も行政がヒット事業を生み出さなければ夕張の再生は難しい。最初は夕張市の立地状況を観る。

夕張市地図

ここでマイナスに見えることをプラスにさせることはないか?という視点が要る。この視点で北海道の風土や土地の値段、交通事情、周辺の産業・・・ひとつひとつの点検をしていく。これが夕張市の市会議員に求められる仕事なのだ。動く前に調べる。この「調べる」ことでヒントを生む。ヒントが生まれると次は検証。実際に足を使って見て回る。

特別に変わったことをするわけではない。誰でも思いつくやり方だが、しかし多くの人はそれをしない。しないのは必要性の認識が薄いためだ。ここで穴が出来る。穴を見つければチャンスだ。誰もやっていないことをやれば注目を浴びるからチャンスなのだ。

日本の再生もまた地方から・・・これは規模的に「実験がやりやすい」からそうなってくる。

SNSの「言論統制」危機

アカウント凍結
これが凍結になった画面。

が、凍結した相手は「げん まさき」という愛媛県西予市の自民党所属議員。ツイッターが凍結、と言ってもツイッターを運営しているのはデジタルガレージなので、ここの社員、または関係者が自民党所属議員のツイートを停止したことになる。

株式会社デジタルガレージ(JASDAQ 4819、本社:東京都渋谷区、代表取締役/グループCEO:林郁、以下:DG)は、ミニブログ・サービス「Twitte」を運営する米Twitter社(米国サンフランシスコ、CEO:エバン・ウイリアムス)と、日本におけるTwitterサービスの継続的な成長を目的として、本日、業務提携に関する基本合意書を締結いたしました。本合意書には、DGグループによる、Twitterの日本語公式サイトに表示する広告の販売に関する条項が含まれています。

http://www.garage.co.jp/ja/pr/pdf/100513_dg_twitter_termsheet.pdf
代表者 代表取締役グループCEO:林郁 (かおる)
資本金 74億26百万円
(2015年6月30日現在)
主要株主 林郁 14.31%
電通 6.98%
(2015年6月30日現在)

これを今書いているのは当事者である「げん まさき」氏が筆者がスクリーンショットしたのと同ような画像をツイイターに復帰して上げているから、ま、問題はないだろうと(笑)。で、デジタルガレージの主要株主はウィキペディアでは社長の林郁 14.31%と電通 6.98%しか名前が出ていない。ここから電通系列の会社と推測しても問題はないはず。

この電通系列企業であるデジタルガレージの傘下に「選挙ドットコム」というのがある。下のアドレスがそのサイト。

http://www.net--election.com/news_4FGZrfSNe.html

デジタルガレージ 公共機関のTwitter利用を後押し

デジタルガレージが、地方自治体などの公共機関に向けた「ツイッター」の解析や運用を支援するツールを提供する考えであることが、asahi.comの4月20日の報道でわかった。


電通がテレビ・出版の陰の主役と言われてきたのは広告を集めてくるのが電通であるから。で、電通の社長が変わると、テレビ・出版も電通の社長に同調して同じように変わる。それが今までの経緯。どうしてそうなるかは憶測になるので「闇の中」としておく。

別に電通を問題にしているわけではなく、電通の意向を受けてのネット言論統制なら問題だと、「言論統制」を恣意的にやられることを危惧して書いている。この「言論統制」はテレビや新聞と同じように選挙とは無関係の、しかも法律的な裏付けのない「言論統制」であるから極端に言えば中国や北朝鮮、韓国の意向に沿った言論統制をやれる。

ツイッターが言論統制で中国や北朝鮮・韓国化してもおかしくないのだ。「公共機関」のツイッターと、「公共機関」を自称しているが、あくまで私企業のSNS。公共機関ではない。が「公共機関」と自称するなら日本の民主主義体制の基盤である「言論の自由」を守ってもらいたい。

実際、フェイスブックでもアカウント停止処置などが続出しているという声が聞こえている。この連動をするかのようにツイッターの凍結も出てきた。テレビはテロ防止法案潰しでNHKから民放が一丸となって攻勢をかけている。しかも、それだけではない不穏な放火や仏像破壊などが去年から今年になって激増しだした。

日本社会の混乱を画策している勢力が大きく活動しているとしか言えない状況になっているが、もちろんテレビなどはこれを報じない。自主的に報じているのはネット諸氏である。しかも放火や仏像破壊などの地域情報をツイッターで流してきた人は2回もツイッターのアカウント停止になっている。アカウント停止になるとその存在が停止期間中は消える。

「公共機関」と名乗る癖に、やることは根拠も示さない処分を恣意的にやってくる。こういうところは「なるほど電通らしいやり口だ」と思ってしまう(苦笑)。

本当のネット革命は社会を一新させてしまう

インターネットの登場で日本社会の近未来を語る論調が不思議なほどに無くなった。何故か?近未来を語ることになれば否応なくピラミッド型の統治体制の見直しに言及するしかないためだ。

これは双方向性の通信技術の発展が代議員制の必要性を取り払っていくため。企業で言えば社長が平社員に直接指示を出せるのが現在の通信技術。情報処理で情報の階段を踏む手続きが消滅したからやれる。社長と平社員、社長と幹部、幹部と平社員・・・これが同じ神経網で結ばれている。同じ神経網になって全体と部分の情報がリアルタイムで全体に行き渡る。

こういうネットの性格から道州制の論議ですら消えた。道州という中間が不要になったため。前回での財務省の「闇」もピラミッドの統治形態だからj生まれる「闇」。構造の下部、つまり国民には上部が見えないことから生まれる「闇」。

これがネット(網)構造だと、財務省がやっている事のひとつひとつが情報網という神経網で国民の一人一人まで知ろうと思えばリアルタイムで知ることができる。これは新幹線の運営システム室を思い浮かべると想像しやすい。システムが正常に動いている場合は青ランプが付き、システムのどこかに異常が出ると赤ランプが点滅する。

この光景を国民はリアルタイムで自分のディスプレから観ることができる。観てもシステム運営に支障が出てこない。むしろシステム監視に参加している状態であるために、誰かが異変に気づくとシステム運営室に直ちに連絡を入れることができる。で、故障を直せば再び青ランプに変わる。

情報の双方向形態というのは故障に対して誰もがダイレクトに対応を促すことができるのだ。

実際、日本の社会では部分部分はもうこの形態に移行している。消防署や病院などの社会インフラ部分とか、あらゆる業種の企業も同じ。組織がネットを使いだすとこうなってしまう。判断し、決定する部署はそのための情報を求めるために恣意的に情報を選別する部署が邪魔になってくる。それぞれの部署で必要な情報は異なるし、状況次第で求める情報も違ってくる。

つまりあらかじめこういう情報が要るというのは情報伝達に迅速性が伴っていないから生まれている。リアルタイムで必要な情報を得られるなら、「今必要な情報」に専心するだけでいい。

次に「判断を仰ぐ」ということはどういうことか?という意味を考える必要がある。判断を仰ぐ状態は判断できない状態が起きているためだ。判断できない情報の不足とも言い替えることができる。これに全体が情報網と繋がっている場合、その部署が判断できないということは全体が判断できないことを意味する。そうであれば全体の各部署が自主判断でそれぞれが情報を集めなければならない。

この例として原発事故がある。原発で事故が発生した、という状況が生まれるとネットワークが日本全土に敷かれている場合、原発関係者だけでなく全ての企業、全ての分野、全ての人が解決方法をネットに上げてくる。ネットに解決方法が上がってくると同じように全ての人が検証をやり、検証に耐えた解決方法がネット上に残る。後は残った解決方法を実際に試すだけだ。それで解決に至らなかった場合、退避などの対策もネットを通じて全国民が提案し、それも同様に検証される。

インターネットはそういう社会に向かうし、促してくる。誰か個人の提唱ではない。ネットの性格がそのようにさせる。

この社会の変化は結果としてピラミッド型統治の見直しになってくる。ネットワークの形態とピラミッド型の統治では接触する部分で火花を散らすことになるからだ。性質の違うもの同士の接合は不具合を生じ、断絶するか、片方に同化するしかない。が、すでにネットワークは社会の現実として機能している。ネットワークを否定すれば社会の至る所で不都合が、不便が起きてくる。そのために社会はネットワークを否定することが出来ない。それが現在であり、さらにネットワークは進行し、拡大していく。

社会はネットワークの性格を観、ネットワーク進行の現実を直視するしかない。ここから現実の社会をネットワーク社会にどのように適合させるか?という議論に入らないと「昔はこうだった・・」という懐古話になってしまう。

「報道のその後」はネットで追う

イタリア財務警察は、総額1340億ドル(約13兆円)相当の米国債をイタリアからスイスに持ち出そうとした日本人2人の身柄を拘束し、検察当局に送致したと発表した。

今月3日、イタリアからスイス側に入ったキアッソの駅に停車中の電車内にいた2人の所持品を検査。二重底になっていたカバンの底から額面5億ドル(500億円)の米国債249枚などが見つかった ものである。在ミラノ総領事館が逮捕された男が日本人かどうかを含め確認を急いでいる。


http://www.y-asakawa.com/message2009-1/09-message37.htm

今から8年前に冒頭のような短い記事が流れた。で・・・それっきり続報を眼にすることもなく「奇っ怪な事件」として世間から忘れられ・・・ということはない。ちゃんと追いかけているサイトがあった。行政は我々が眼にする役所の仕事と上層部の仕事はまるで違うということを示す記述でもあるので拡散の為にも長文を引用したい。

この事件がなんとも奇妙なのは、所持していた債券一枚が500億円という途方もない額面で、その総計金額が13兆円という中堅国の国家予算規模である ということである。それに債券の中にケネディ大統領時代に発行された40年も前のケネディー債が含まれていた点も奇妙な点である。



邦人所持の米国債、大半は偽造 伊当局捜査 (朝日新聞/2009年6月16日18時30分)

 【ローマ=南島信也】総額1345億ドル(約13兆円)相当の米国債をイタリアからスイスに持ち出そうとして、日本人2人がイタリア財務警察に身柄を拘束された事件で、所持していた米国債の大半が偽造されたものであることが分かった。イタリア捜査当局は日米両捜査当局とも連携しながら、入手ルートや背後関係などの捜査を進めている。


「邦人所持の米国債、大半は偽造」・・・この題の付け方で読者の関心を一般的な犯罪に向けさせようとする意図を感じる。果たして本当に偽造なのか?

持ち込んだ債券のうち米国債249枚の内「その大半が偽造されたものであったことが分かった」と記されているが、この記事を裏返せば、3分の1近く、つまり 20~30%前後は本物であった可能性が大きいということになってくる。 それに、ケネディー債については米証券取引委員会(SEC)にも調査を依頼しているところを見ると、本物の可能性が大き そうである。となると、13兆円のうち、3兆円~4兆円は本物の債券ということになってくる。こんな大金を一個人が持ち歩くものだろうか。 

小さな国の国家予算に該当するこんな大金を所持している人間が、日本にいるのだろうか? だいたいそんな人物が誰であるか、名前も明らかにされずにいること 自体が異常である。報道されているように単純な詐欺事件であるなら、イタリアの警察当局に問い合わせればすぐに分かるはずである。


やはりサイト主も筆者と同じような疑問を感じている。

現に、スイスに住むある日本人は、スイスの友人が今回の事件について次のようなことを教えてくれた、とブログに書いている。

「偽物であれば、知らならい人から郵送してもらう。もし発覚しても、こんな差出人は知らない、一方的に送られてきた、などいくらでもトボけることができる。本物であれば、絶対に肌身離さず持ち込む。また、スイスは世界一の金融機関を誇り、偽物であれば、持ち込んだあと発覚する可能性のほうが高い。だから通常、偽物の債権はスイスに持ち込まない」どうやら裏で、相当の大物が蠢(うごめい)いているようである。


では「大物」とは誰なのか?ここで終わっていたら情報の消化不良になってしまう。ドキドキしながらさらに読む(苦笑)。

イタリアのアジアニュース(AsiaNews)というブログを読むと、 オバマ大統領がアメリカの不良資産救済プログラム(TARP)に準備した7000億ドルの残り 1345億ドル (13兆円)とイタリアで押収された債券の額が奇妙に符合する点についてふれている。つまり、アメリカの要請で日本から秘密裏に持ち出された債券ではないかというわけである。

おっ、これは「超大物」の予感が・・・

逮捕された男が短期間で無罪放免で釈放された裏には、日本政府やアメリカ政府の裏工作があったのではなかろうか。先に記したように、尋常ならざる所持金額と、記事の最後の一文、「日本の預かり証も含まれていた」を読むと、釈放された二人が日本の財務省と関わりがある人物である可能性は否定できないように思われる。 

日本という表記の裏には日本政府、あるいは財務省という意味が隠されていることは、自明である。


財務省!!!・・・と驚いて見せたが記事の内容から財務省が関わていたのは容易に推測できる。問題は財務省が「犯罪」と関わっていた「事実」の記述があるかどうか?政権を揺るがす大問題になるから日本の新聞は記事にしないだろうということも予測がつく。

「AsiaNews」の記事を転載しておいた 。時間がないので日本語訳はつけられなかったが、詳細を知りたい方は辞書を片手に読まれたらいかがだろうか。

これは筆者も飛ばす。

追加情報 1 

問題の二人の人物の名前がはっきりしてきた。2人のうち1人は、武藤敏郎氏の義弟である山内恒夫なる人物であることが判明。武藤氏と言えば、大臣官房総務審議官、主計局長を経て、大蔵事務次官、そして、2003年3月から日本銀行副総裁となった人物である。 

こうなってくると、政府筋、財務省、日本銀行といったところが奥に控えている可能性がますます大きくなってきた。

調べてみると、この債券はクリントン大統領の時代にアメリカから、日本国政府に支払われたものであるようだ。しかしこれは換金してはいけないという合意の上で支払われたものらしいので、この約束を破って密かにこの債券で金を作ろうとした可能性も出てきた。 



1340億ドル(約13兆1千億円)相当の米債券をスイスの銀行に持ち込んだとして、3ヶ月間預けると、いくらの資金が発生するか?金利を1%として運用した場合、年で1311億円。これが選挙期間の3ヶ月だと 328億円。スイスの銀行側の手数料を10%とすると残りは、295億円。これを狙ったのかもしれないが、 こんなことが表に出たら自民党の大敗は確実。それゆえアメリカも日本政府も黙りを決め込んでいるのかもしれない。

その他にも天皇家の持つ隠し資産だとか、色々の話が飛び交っているが、真相はまだまだ闇の中である。


「天皇家の持つ隠し資産だとか」・・・これは天皇退位問題で色々と情報があるのは筆者も知っている。が、今は直接には関係がない。次を続ける。

追加情報 2
 
米のターナーラジオネットワークは、イタリアで身柄を拘束された2人の日本人は「財務省職員」だと
報道しています。掲載のHPを下記しました。
 このアドレスが風俗情報サイトに代わっていた。「大物」の工作の手が・・・と思ってしまう。 
http://renzan.org/cat20/post-290.html

追加情報 3

国際諜報機関関係者からの情報によると、マスコミがほとんど報じない日本人2人によるスイスへの邦貨換算で13兆円にものぼる米国債は、米国のロックフェラー筋から清和会(小泉元首相)へ送られた裏資金であるようです。

裏金として渡された米国債を秘密裏に換金するために、非合法にスイスに持ち込もうとしたところを、麻生側がイタリア経済警察にリークし摘発されたというのが真相だと諜報関係者は解説しています。

6月30日付けのASIAN NWESでは、「見つかったケネディー債は債券ではなく、利子のつかない換金性がある証券(Treasury Notes)である。その証券は宇宙船とケネディ大統領の顔が、丁度真反対サイドに印刷されている、それらはここ10年の間に発行されたものだ。

また、他の債券(249枚)は市場で使われるためのものではない。それは偽造しても使えないことを意味するので本物の可能性が高い」そして、2人のうちの一人は山内恒夫という人物で、財務省武藤敏郎元次官の妻の弟であることも記事に書かれています。


筆者の消化不良はここまで読んでほぼ解消した。間を色々と省略しているので本分をきちんと読みたい人は下のアドレスで。

http://www.y-asakawa.com/message2009-1/09-message37.htm

ついでにウィキペディアのアドレスも貼っておくので事件の記述の違いも知っておいた方が後々の参考になると思う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%BD%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E5%82%B5%E4%BA%8B%E4%BB%B6

「キアッソ米国債事件」とこの事件に名前が付けられているが、この名前の付け方も目くらましの臭いがする。筆者はそう呼ばれていることを知らなかったから、リンクをたどってウィキペディアの記事にたどり着いたのである。

「ネットは検索とリンクが全て」と改めて思った次第。しかし・・・雑談している最中にこの話が出てきて、「そう言えばアレはどうなっているのだろう?ちょっと調べてみる」といったきっかけがなかったら後の情報も知らないままでいた。

今回はこれだけで終わり。

歴史とインターネト

イエズス会日本準管区長のコエリョがスペインに軍隊派遣を要請した直後の1585年5月4日に、秀吉はコエリョと会っている。ムルドック「日本史」にはこう記されている。

「秀吉はコエルホ(コエリョ)に語りて曰く、予が日本全国を平定するの日は近きにあり。この上は…親から(みずから)進んで、朝鮮、支那の征服に従事する筈ぢゃ。今や大兵輸送の為めに、戦艦二千艙を造る可く、樹木伐採の命を布かんとする所である。予は師父等に、何等の註文なし、但だ彼等の力によりて、葡萄牙(ポルトガル)より二個の巨大にして、武装したる船を獲来る丈の事のみだ。

…若し成功して、支那人悉く皆予に恭順せんか、予は支那人より支那を奪うを欲せず、又た予自ら支那にあるを欲せず。予は唯だ支那人をして、予を其の君主と認めしむるを以て、足れりとするのみ。然る時には、其の全土に教会堂を建てしめ、総ての人民に令して、邪蘇教徒たらしめ、聖律に遵由せしむ可し。」(徳富蘇峰『近世日本国民史』)


http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-188.html?sp

69年間生きてきて思うところは「歴史教育が最も重要」という感慨というか総論。もっとも学校教育の歴史はヒントの羅列に過ぎない。歴史の面白さと重要さは歴史教育からはみ出たところにある。この「はみだたところ」を学ぶのにネットは最強なのである。

冒頭のサイトでは『もう一度読む山川日本史』山川出版社とか高瀬弘一郎『キリシタン時代の研究』岩波書店、徳富蘇峰『近世日本国民史』、『倭国伝』講談社学術文庫、からの部分引用を繋いで「秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか?」を解き明かそうとする。

これはほとんどノンフィクションの記述に近い。ノンフィクションに通じる面白さがある。

憂鬱な朝鮮半島 韓国は日本へ憎悪のはけ口として再び歴史戦争を仕掛けるだろう 筑波大学教授 古田博司

http://www.sankei.com/premium/news/170610/prm1706100007-n6.html

こちらは歴史を土台に置いて現在の朝鮮を分析し、分析の結果「日本と朝鮮」のこれからの関係を見通そうとする。

人の考え(部分的であっても)その上に自分の考えを乗せるというのは技術発展の手法と同じ、と前に書いた。脚本家である笠原 和夫は映画の脚本は監督も含めて3人くらいを併せて書くと面白い映画になると彼の著作で述べている。

パソコンなどのOS設計ではさらに膨大な人数でプログラムを構築していく。こうなると思考も技術論そのものになってくる。

また情報が膨大になってくると考え方も情報処理のやり方でないと対応しきれなくなってしまう。筆者などは情報の区別でフォルダーを次々と増やす羽目に陥っている(苦笑)。ブックマークのフォルダーもいっぱい、外付けハードディスクのフォルダーもいっぱいという状態。当然、我ながらよくもこういうゴミ屋敷状態にしてしまったと嘆いてしまうのだが、またゴミ屋敷と同様に使わない休眠データーが山ほど溜まってもいる。

情報保存をやった当時は必要な情報と思えたのだが、次から次へと必要と思える情報が溜まっていくので結果として99%は使わない情報になっていく。こうなると考えを改めるしかない・・・と思うのだが、頭に来ることに、ある事柄を書いているときに眠っていた情報を必要とする時が来る。でハードディスクを家探しするのだが見つからない。「まぁ、いいわ・・」最後にはこれ(苦笑)。

中規模の総合商社に勤めていたとき、所長から「暇を見つけたらデパートをぶらぶらしてこい」と助言されて、言われるままにデパートをぶらぶらしたことがある。ただ、ぶらぶらしてきた報告書も書かねばならないから観察視点をどこに置くかも考えねばならない。で、商品配置に眼をつけた。衣服・家具・スポーツ用品・化粧用品などのカテゴリー配置は正しいのか?と考えつつデパートの全フロアーを歩き回った。で、売るための配置では他の方法もあるのではないか?と報告書を出した。

「面白いが・・・俺の言ったこととちょっと違うんだなぁ」と報告書を読んだ所長は笑いながら言った。「???」と若いときの筆者。「商品の種類を観てこいと言ったつもりなんだが・・・まぁ、これはこれで遊んではいないな」とOKを出してくれた。

データー整理を考えたときにこの時のことがすぐに思い浮かんできた。実用性のあるデーター整理は人によって様々。ある作家は書く前に必要な本を周りに並べ置くと読んだことがある。確かにこれは実戦的だ。こういう実戦的なやり方がネットではいとも簡単にやれる。武器は「検索」。

「検索は少し前には流行ったけど、今は誰もしなくなってるよ」と若い者の言葉を聞いた。「まぁ、そうだろうな。百科事典を読むようなものだからすぐに飽きてしまう」と筆者。「これがブログを始めると検索が必須になって、また検索慣れしてくると検索するのが面白くなるんだよ」と筆者は続ける。

歴史の場合は特にそれがある。判っていたつもりでも次々と知らない歴史が出てくる。日本史の或る年代と世界の歴史の或る年代との照合などはその典型。それも統治の歴史だけではなく文化史や技術史なども入ってくると、場合によっては全面的に考えの見直しが必要になってくる。

が・・・考えの見直しを要求してくるのがインターネットの魅力でもあり、力でもあるのだ。これは力説したい。

誰が国を変えるか?

愛媛県西予市会議員光景

げん まさき【愛媛県西予市議会議員】がツイイターで投稿した愛媛県西予市議会の光景
「西予市議会では、昨年12月からタブレット端末を利用した議会運営を行なっています。執行部も6月定例会からノートパソコンを持ち込むようになりました。ただし、ペーパーレス化は目的ではなく手段です。」
https://twitter.com/Masaki_Gen

東京都議会

こちらは東京都議会。議員の机の上にパソコンがない。彼ら・彼女らはこの光景で見る限り単なる聴衆・観衆にしか見えない。

政治の仕事は住民の意見をくみ取り「こういう状況であり・・視察した動画がありますので皆さん、自分のパソコンでご覧ください。こういう状況で現地の人からこういう要望が出ております。」・・・という討議の場が議会のはず。

筆者が「新しい動きは地方議会から」とするのも、地方は規模として小さいので体感的にもデーター的にも管轄の範囲が視野に収まりやすという理由から来ている。今は世界的な大企業になっている企業も当初は零細企業から出発している。ここで規模を観るのではなく、「零細」という「総合」の形態を観ないとその後の展開が予測できない。

零細企業では人が少ない分、守備範囲が広くなる。

1986年2月、歳男氏の長男・敏氏が4代目社長に就任。三洋は第二世代を迎えた。敏氏は社長を辞めた後も、会長、最高顧問を務め、約20年間、三洋の最高実力者として君臨した。

 経営者・敏氏の最大の失敗は、中国ビジネスである。「お人好し過ぎた」というのだ。敏氏は中国事業に、ことのほか思い入れが強かった。81年に、日本企業として初めて三洋電機(蛇口)有限公司を設立して、ラジオの生産を始めた。

 中国企業は、日系企業から人材を引き抜き、技術を模倣し、劣悪な労働条件で低コストの二流品、三流品を作って急成長してきたことは広く知られているが、なかでも三洋が格好の餌食になったというのは、経済界の定説である。

 その「お人好し」ぶりを見せつけたのが、敏氏が親密にしていた中国家電大手の海爾集団(ハイアール)との合弁事業。2002年2月、合弁会社「三洋ハイアール」を設立。その合意内容に、業界は唖然とした。メーカーの基本動作を逸脱したものだったからだ。

三洋と中国ハイアールが共同開発した製品を「ハイアールブランド」で日本市場に投入するというのだ。家電メーカーにとって「自社ブランド」は命。自社での製造に手が回らないときは、他社に作ってもらったOEM生産の家電品を「自社ブランド」として売らねばならない。店頭シェアを死守するためだ。

 ところが、三洋は「ハイアールブランド」の冷蔵庫、洗濯機、エアコンを日本市場に投入することに全面協力した。「ハイアールブランド」を店頭に並べるには「三洋ブランド」の店頭シェアを犠牲にせざるを得ない。他社から「慈善事業」と揶揄されたのも無理はなかった。

 敏氏は、ハイアール製品を日本で売ってやれば、三洋製品の中国での販売にハイアールが協力してくれるという計算が働いたかも知れない。しかし、そういった「もちつもたれつ」の関係が中国ビジネスに通用しないことは、経験者ならば誰でも知っている。

http://www.data-max.co.jp/old/2007/04/_2_142.html


初代:井植歳男(1947年~1968年)※創業者
2代:井植祐郎(1968年~1971年)※歳男の弟
3代:井植薫(1971年~1986年)※歳男の弟
4代:井植敏(1986年~1992年)※歳男の長男
5代:高野泰明(1992年~1998年)※夫人は歳男の姪

「帝王学」と口にしていたのは3代目か4代目か忘れたが、この「言葉」を雑誌で読んだときに「この会社はダメだな」と筆者は思ったものである。「一族の血を継がせる」ということ自体、組織運営では論理的に破綻の考えであるからだ。組織がしっかりして初めて社長業が務まっていることを自覚もしなければ認識もしないのが「帝王学」。

零細企業での事業経営は毎日が綱渡りの連続。そして資金的余裕を生み出してから企業拡大の道を歩みだす。この「資金的余裕」を生み出すのはヒット商品が出たときだ。であるために「ヒット商品」を生み出すことがどれだけ至難であるかを多くの中小企業経営者は肌で知っている。良い商品=売れる商品、とはならない。時流の風向きや攻勢のタイミング、資金の確保、動ける人材の有無などの諸条件が巧く組み合わさって「ヒット商品」となる。

地方の再生も同じ。その地方独自のヒット商品を得て地方は飛躍の手がかりをつかむ。そうすると「ヒット商品を作る」というのが地方議会の目的とならなければならない。ヒット商品を得て財政的溶融が生まれる。地方議員が公務員であっては困るのだ。事業家としての資質が要る。有権者はこの資質を候補者が持っているかどうかを定めて投票しないと、自分が住んでいる地域はいつまで経っても発展はしない。

ではこの資質を有権者はどのようにして見分けることが出来るのか?その見分けが出来るのがネットなのだ。

ブログやツイッターでどういうことを述べ、どういう事を問題にし、どういう風に行動してきたかをきちんと書き述べている人物こそ代議員に適している。流れに乗っかっているだけの人物ではない。東京都の黒幕騒ぎでの内田元議員は今頃になって同情論が出てきたが、この同情論の根拠は根回しの巧みさでの評価でしかない。問題は根回しで事が進む都議会状況にある。余りにも都議会状況を語らない代議員が多すぎるのが主因。

多くの都議会議員が都議会の状況を語れば、それだけで都議会は透明化する。透明化すると都知事の適性も浮かび上がってくる。健康の基礎は体質を良好にすることだが、組織は人と同じなのである。

ま、これは議会に代議員がパソコンを持ち込むことで大方は解消する。自分達が何をやるのかということを情報に接して必然的に解ってくる。パソコンという情報機器を使い慣れて現在進行している情報時代の流れに乗ることが出来る。最初の事例が出てくると後は早い。日本はそういう国なのだ。だからこそ事例作りが重要になってくる。
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